第二十四章
「これ、おみやげです。あまり時間がなくて、気の利いたものが買えなかったのですが」
「ありがとう、ただでさえ忙しい遠征中に気をつかってもらって悪かったね」
いつものショットバーのカウンター席。
田中君は深緑色の紙袋を私に手渡すと、前置きもなく今日のお題に話を移しました。
「あの、実は、美佐とのことなんですが」
「ああ、彼女も寂しがってるだろう。僕たちのことは気にせず、もっと時間を作ってあげたらいいのに」
「昨日、代表チームが解散した後、まっすぐ彼女のアパートに行きました」
「そうか」
そこで何かがあったであろうことは話の流れから想像がついたのですが、軽く相槌をうち話の続きを促しました。
「それで、その、久しぶりだったのと、海外遠征ですごく刺激を受けたのとで気分が昂ぶっていまして」
「刺激って、まさかお前、オーストラリアのパツキンお姉ちゃんにじゃないだろうな」とは言いませんでした。ラグビーの世界レベルを知ったということなのはすぐにわかりましたし、なにより、彼の様子は冗談を言うのが憚られるほど沈んで見えたからです。
「結論から言います。実は、僕、美佐にお二人とのことを話してしまいました」
口に含んだシングルモルトを噴き出しそうになり、慌てて飲み込むと今度は激しく咳き込んでしまいました。チェイサーのグラスをつかむと一気にを呷り、落ち着いたところで彼に向き直り尋ねます。
「嘘だろ」
「ほんとにすいません」
「それは。食事のことじゃなくて、つまり、あの夜のこと」
「すいません」
彼が深く頭を下げるのですが、そもそも座高が違うので、私は見上げる格好のまま腕を組んでため息を漏らします。
「それは、そうか、うーん、しかし、それは」
「ほんとに、何て言ってお詫びしていいか、すいません」
彼は肩を震わせ頭を下げたまま謝罪の言葉を繰り返します。
「まぁ、それは、わかった。それで?彼女の反応はどうだったんだい?」
ようやく顔を上げた彼の両目は潤み、その上の極太の眉毛を八の字に垂れ下げた表情の弱弱しいことといったらこの上ありません。グラウンド上で見せる、敵に噛み付かんばかりの野獣のような表情を知っている私からすれば、同じ人物とは思えませんでした。
知り合った当初の、消え入るような声で話を続けます。
「実は彼女、前からおかしいとは思っていたようなんです。僕の、変わりようっていうか、急に自信をもった態度をとるようになったことを」
「うん、まぁ、それは彼女じゃなくてもそう思ったやつは多いかもな」
「もちろん、そのことについて聞かれても僕は答えをはぐらかしていたんです。ただ昨日は彼女を抱いた後、久しぶりのお酒で酔っていたこともあって、気が大きくなっていたというか。いや、こんなこと言い訳にしかなりません、すいません」
「いや、済んだことはもういいよ。それで、そのことを聞いた彼女はなんて言ったんだい?」
「怒りました」
「そりゃ、そうだろうなぁ。」
彼女が怒りにまかせて、このことを口外してしまうのではないか。真っ先に心配したのはそのことです。
しかし、話は予想外の方向へと進んでいきました。
「怒るには怒ったんですが、その、彼女は『ずるい』って言うんです」
「んん?」
「つまり、僕が、いわゆる浮気をしたことを『自分ばっかりずるい』ってことなんです。でも、西村さんもご存知のとおり、あの時は彼女から別れを告げられた後でした。厳密に言えば、浮気でもなんでもないんです。だから、そのことも話したんですけど聞く耳をもたなくて。」
「それで?」
「その、大変申し上げにくいことなんですが、彼女の言い分としては、自分にも同じことをさせろってことなんです」
すぐには彼の言っていることが理解できませんでした。
初めは、彼が外国で怪しげなカルトの宗教にでも染まってきたのかと思ったくらいです。
「えーと、ちょっと、ちょっと待ってくれ。それは、つまり、私と君と、君の彼女の三人で、ってことか?」
他に客はいませんでしたが、マスターの視線を気にして、小声で答えました。
「いえ、それが、その、少し違ってまして」
私に合わせて、声のトーンを低くした彼が、肩をひそめて話します。
「どう、違うの?」
「奥さん、西村さんの奥さんも一緒にって」
「ええ?それは、おかしくないか?君の彼女は何を考えてるんだ?」
「そうですよね、そう思いますよね。西村さんからそういう言葉がでることは彼女も予想していました。それで、もしよかったら、今度、直接、彼女から話を聞いてもらえませんか」
「彼女と?電話で?」
「いえ、日を改めて別の場所で。西村さんが今日、この場で拒否されないようなら、自分の口から説明したいってことなんです」
私は大きく息を吐き出しながら、リキュールグラスの中に残るラガブーリン16年に視線を落としました。
深い琥珀色の液体が波打っているのを見て、自分の手が震えていることに気づきました。
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