【2003 12/10(12/11記)
今日の釣果は純也と健司の2匹づつだった。情けない事に釣り歴20年以上の俺だけ当たりすらない釣果0匹。悔しくても久しぶりに楽しい時間を過ごせたなぁ。これからはもっとこうゆう時間を増やさなければ。帰りの車で純也に「母ちゃんと何かあった?」と聞かれた。正直、言葉がでなかった。何でもないから心配するなとはいったものの果たしてそれが正解だったのか?でもあの場面で母親の浮気問題でギクシャクしているとは言えない。俺は何て言えば良かったのか?誰か教えて欲しい。】
【2003 12/11
【さすがに夕べは疲れて寝てしまった。二日分の日記になってしまった。帰って来たとたん胃が痛くなるから不思議だ。毎日でも魚釣りに行ば治るのか?現実からは逃げられない。
一旦日記帳から目を離し、天を仰いで回想しました。
覚えています。確かにあの一時期両親のただならぬ雰囲気を感じていた私は言い知れぬ不安感を感じていました。
父と母は必要以上に会話しないし目も合わせようとしない。一応私と弟に気を使っているのか、食卓やリビングでは普通に振舞っている様でしたが、無理からやっていたからなのか不自然さは拭い切れてはいませんでした。離婚も理解できる年齢だった事もあり、このままうちの両親も?と、何度も頭をよぎっていました。
だから、あの時の父の言葉は心底安心したしうれしかった。ただ単純に。
しかし、その裏で父は悩んでいました。離婚後の私たち兄弟の事を最優先に考え、どうしたら一番いいのか?と。
睡眠時間も極端に短くなり不眠症になってしまいました。そんな中で、仕事、離婚問題、そして私たちの事。父には、心と体を休める時間は皆無でした。
その代償はハッキリとした形で現れます。この数ヶ月で、父の体は病魔に徐々に蝕まれていたのです。
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