蛇の様な陰湿な宮田と、やり取りを交わしたあの日から俺は宮田の女房である美佐子の運転手兼、彼女の店舗マネージャーをやる事になった。
美佐子はやはり只者では無かった。宮田からの潤沢な資金の裏付けがあるだけでは無く、美佐子は確かにそちら方面の才覚があった。
宮田に出店を認めさせた後、彼女は直ぐに物件を見て回り条件交渉を行い出店場所を決め、事務所で会った2週間後には内装の施工業者に現場で指示を出し、内装工事作業と並行して店舗で働く女性の募集、面接を始めスタッフ確保を始めた。
俺は、夏の終わりのその頃は朝10時過ぎに宮田の所有するウォーターフロントのタワーマンションの駐車場から、宮田名義のドイツ製大型SUVをマンション正面玄関の車回しに停め、平日はほぼ毎日彼女を待った。
美佐子は、美しい容姿から近づき難い印象だが、時折見せる細やかな心遣いが見事で、普段は必要以上に話す事が無い美佐子が、毎朝必ず運転席の俺に朝食の残りだと云い手製のサンドイッチやクッキーを手渡して来た。
店の準備が着々と進み、内装工事もだいぶ進み店の全体像が見えてきた頃には、女性スタッフの面接を済ませ人員はほぼ固まり、店のオープンが10月に入った最初の金曜日に決まった。
俺もフロアマネージャーとして、スタッフミーティングや酒屋を始め取引業者との交渉や打ち合わせに開店までの日々を追われた。
オープン初日は宮田の交流の幅広さから駅前ビルのワンフロアを借り切った大型店舗のエントランスは祝い花で埋め尽くされ、入りきらない花で1階のエレベーターホールも溢れる状況だった。
初日の盛況ぶりに後押しされて店は順調な滑り出しを見せ開店後1カ月経った11月の落ち着いた頃には界隈では話題の人気店になっていた。
美佐子は人気店のやり手ママとしての手腕を発揮し、連日常連客の確保に同伴出勤、店が終われば上客に付き合い、店を俺に任せて夜の街に消えた。
俺は毎晩、売上管理を行い、フロアスタッフの清掃や酒類、備品の発注を見届けて深夜帰宅。
店舗のオープニング時には美佐子宅に連日行っていたが、その頃は夕方に店舗に出勤し、忙しい美佐子とは電話やメールでのやり取りが主流になっていた。
開店して1ヶ月経った11月でも週末には店舗に入りきれず断る客が出るほど相変わらず店は繁盛している。そんなある日、店が終わり業務を終わらせた俺の携帯が鳴った。
美佐子からの着信だった。俺は何か忘れ物でもしたのかと電話に出る。
普段は冷静沈着な美佐子の声が少し上擦っていた。けんじさん、まだお店かしら?少し困ってるの。今、自宅にタクシーで戻って来たんだけど、マンションの入り口に酒井さんが居た。こないだ帰りに様子が変だったから、このところ気をつけてたの。
酒井というのはオープニングスタッフのキャバ嬢時代からの客だという地元の総合病院で事務方の上から3番目だか4番目という触込みで、美佐子がテーブルに挨拶に行って以来、週に2、3度来ては美佐子と同伴したり、アフターを付き合わせていた小柄な大人しそうな男だ。
今、車回しにタクシーを停めようとしたらチラッと姿が見えたから、運転手さんに停めないで貰って今、時々コーヒーを買ったあのコンビニで下ろして貰ったの。
けんじさん、タクシーでコンビニで私を拾ってマンションエントランスに入るまで送って貰えないかな。
旦那さんは?面倒を避けたい俺は旦那に連絡すべきだと言ったが、女房が水商売をする事を快くは思っていない旦那にストーカーまがいな客が居る等と報告したら、今すぐ店を止めろと言い出しかねない。
お願い。けんじさん助けて。
美佐子の塩らしい声に、俺は分かりました。今向かいます。コンビニにいて下さいと応えた。
コレが俺、美佐子、宮田、酒井のそれぞれの人生を狂わせる最初の小さな出来事だった。
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