土曜、日曜、祝祭日の夕食に至っては、宅配食材
に頼らずに自炊をしていたのですが、以前妻から
好評を貰えた豚の角煮を振る舞う事に決め、前夜
には圧力鍋で作り終えていました。
宴は17:00からと連絡を重ねていたのですが、
彼女が私の部屋のインターフォンを押したのは1
6:00を少し周った時刻で、玄関先で望む彼女
の姿は配達時の印象とは打って変わり、肩先まで
下した髪型に明らかにいつもとは異なる薄化粧を
施し、白い麻のブラウス越しに黒いキャミソール
を透過させると、サブリナパンツから覗く素足が、
夏の終わりを惜しむかのようでした。
そんな彼女をリビングへと招き入れると、男性の
住まいに入るのは大学生の頃以来だと言い、私の
書棚を興味深そうに伺ったり、ベランダからの下
界を展望したりで、女学生のように振る舞う彼女
の姿を尻目に、キッチンで小松菜のサラダの用意
をしていた私の傍らに添うと、
『わぁっ関根さん、私小松菜のサラダ大好物…』
と顔を綻ばせ、ツナとざく切りにしたトマトを和
えようとする私に『私がやりますね!』と横に並
ぶ彼女からは、甘いフローラルなコロンが香って
いたのです。
そんな彼女の持つ明るさに癒しを覚えると、彼女
の住まいは隣町にあり、私のマンションまで徒歩
20分の近さだと聞くと『これ、美味しいんです
よ』と持ち寄った地産品の牛タンを食器棚の小皿
に盛り分けた彼女。
そうこうしながら、リビングのローテーブルにお
酒のアテを運ぶ一面さえ見せると、二人だけの、
ささやかな宴を始めていたのです。
お互いに既婚者同志で在る事を意識する様に、私
の妻や彼女の夫の話題には触れず、お互いの子供
達の話題や、学生時代の思い出を応酬させる中、
中学、高校と陸上部に所属し、ハードル競争が得
意種目で、夢中になって練習したと言うだけあっ
て、今も見せる無駄の無い均整の取れたスタイル
が、何よりそれを物語っていました。
17:00を周る位から飲み始め、空になったビ
ールの大瓶が6本目となっていたのですが、少し
だけ頬を赤らめる彼女がトートバッグから小さな
バスケットを取り出すと、ひじきの炊き込みご飯
で握ったお結びや、塩昆布を塗したもの、それに
加えて梅としらす干しで握ったものなどが、保冷
材に挟まれながら、綺麗に詰め込まれていたので
す。
『これ、お腹が空いた時にでも…』と背中を見せ
る彼女がキッチンに向かうと、酔い覚ましにお茶
を入れると言うのです。
時刻も20時を過ぎた頃でしたけど、キッチンに
立つ彼女の立ち姿を横目にしながら、東京に残し
た妻や家族の事なども忘れ、以前から知り合って
いたかの様な、不思議な感覚にも見舞われ、お茶
の準備を始める気の利く彼女の横顔を眼に、かぶ
りつくお手製のお結びに彼女の愛情すら感じると
『小山さん、お結び凄く旨いよ…』と思わず声を
挙げていたのです。
そんな私の反応を耳に、急須と湯飲みを手にした
彼女がリビングに戻ると『良かったぁ~』と満面
の笑みを滲ませ、お互いにお腹一杯だったにも係
わらず、食べ終わりの食器類まで下げようとする
ので、私は慌てて彼女を制していました。
開け放ったベランダのサッシから生温い夜風がレ
ースのカーテンを揺らす中、酔い覚ましのほうじ
茶を二人で啜り飲む、静寂な一時でした。
『ご主人、夏季休暇に帰省されないんですか?』
と酔った勢いに任せた私が訪ねると、私と同様で
コロナの蔓延も気にかけ、赴任地の東京で自粛し
ていると言う彼女。
そして私の意を汲んだかのように、23歳で結婚し、
翌年には関大へ進学した一人息子も授かり、19
年連れ添った夫に対しては、家族の一員としての
意識でしかないと言う彼女は、まさに私と同じ夫
婦関係である事を、端的に語っていたのです。
そして気まずく淀みかけた空気を読み、私が改め
るようにお茶を入れ直していた時でした。
『愛人/ラマン(L’Amant)お好きなんですね?』
と彼女が向ける視線の矛先を眼で追うと、書棚
に投げ置いていたDVDに向けられていたのです。
不味いモノ見られちゃったかな?と私が思うのも
無理は無く、ご覧になった方なら判るとおり、幻
想的な映像美とふんだんに盛り込まれた濡れ場シ
ーンで、話題をさらった名作だったのです。
『この原作、マルグリット・デュラスの自伝的小
説で、世界的なべストセラーだったんですよね、
私は大学1年の時に原作の小説を読んだんですけ
ど、ファンタジックで官能的な小説だったな….』
とあっさりと返す彼女に一先ず胸を撫で下ろして
いると『関根さんDVD観せて貰っても構いませ
んか?』と言葉を続けたのです。
『実はこれ、妻が乾物と合わせて送り届けて来た
んですよ、映画自体の配給は1992年ですけど、
これは2000年に再販された無修正版のDVD
なんだけど、大丈夫ですか?』
と一応は彼女に尋ねてみる私に、是非見させて欲
しいと言う彼女。
116分に及ぶ配信を静観する彼女を他所に、私
はシンクに溜め置いた食器類を洗いながら、時折
りリビングのソファでDVDを見入る彼女に視線
を送ると、口許を両手で被い、時にその身を捩っ
て見せる後ろ姿は、明らかに感じ入ってる様子を
標榜とさせていたのです。
このまま抱き付いてしまおうか…。私はそんな衝
動にも駆られていたのですが、自制心がまさり、
そんな行動に移せる度胸もなかったのです。
DVDを見終えた彼女を横目に捉えてもいたので
すが、少し放心した面持ちを見せながらも『映像
も凄く素敵ですね..』と満足気な笑みを溢すと、
そろそろお暇しますね?とソファから立ちあがっ
た彼女。
『良かったら小山さんに差し上げますよ,,,』とケ
ースに戻し入れたDVDを差し出すと『でもそれ
は奥様に…』と拒む仕草を見せ『妻が私をからか
い半分で送って来たものですし、もう何度も鑑賞
してますから…』とトートバッグの中へ入れて差
し上げたのです。
夏らしいウエッジソールのサンダルを履き、玄関
を後にし、駅に向かい遠ざかる彼女の後姿をエン
トランスの外で見守っていたのですが、時折り振
り向き様に手を振る姿が堪らなく愛しく、私は彼
女の姿が視界から消えるまで、意味も無く見送っ
ていました。
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