俺は可奈が店にいつ来るだろうかと考えていた。俺は店舗に常駐している訳では無い。
事実、今日もコロナを不安がる店長と話し合う為に久しぶりに店舗に顔を出しただけだ。
通常ならば週に一、二度様子を見に行くだけだ。
しかし俺はどうしても可奈にもう一度会いたかった。俺は真っ暗な食卓でビールを飲みながら店舗に頻繁に顔を出す理由を考えていた。
としあき。俺は出し抜けに大きな声で呼ばれ振り返ると寝巻きの女房が俺の背後に突っ立っていた。
何度も読んだのに貴方難しい顔して何か考え込んでいたから。いつ帰ったの?ごめんなさい気がつかなくて。何?どうしたの?電気も点けないでと言いながら食卓の電気を点ける。
俺は可奈の横顔をずっと思い出していたので少し女房に後ろめたさを感じて謝りながら缶ビールを一気に煽って俺ももう寝るから寝床に戻ってくれと女房に即し慌てて着替えて寝室に入った。
翌日、俺は通勤電車に揺られながら何となく可奈が今日も来る予感というか確信めいたものを感じていた。俺は電車を降りると店長に連絡し昨日話し合ったコロナ対策について纏めた資料を持っていき店舗スタッフに始業前ミーティングで共有したいと伝えた。
可奈が帰り際に言った今度はもう少し早い時間に寄らせて貰うわという台詞に可奈は早い時間に来るという予感がしていた。
俺は日中そわそわした気分で業務をこなし、店舗の始業ミーティングに出席する旨を伝えて昼過ぎには本社ビルを後にした。
遅めの昼食をとり店舗付近の競合店を何店舗か視察して時間を潰し、俺は夕方に店舗に入り事前に店長と打ち合わせをして始業ミーティングをこなした。
開店準備が整い看板に灯りを入れると俺は可奈が今にもあの扉を開けて入ってくるのでは無いかと高揚が抑えられなかった。
しかし俺の立場では店舗スタッフと一緒に店頭で彼女が来店するのを立って待っているわけにもいかず俺は事務所スペースに陣取りパソコンを開いていた。
来週あたりから自粛営業が始まるやもしれないと昨夜の報道を見た客が自粛前にという事で久しぶりに開店と同時に客の入りが良い。
昨日までの客入りを見て店長が人員を絞っていたので裏方がかなり忙しい様子だ。俺はホールの応援に入る。
スタッフの手の回らないテーブルの片付けをしていた時だった。すみません。入り口から女性の声がした。振り返ると入り口の扉前に可奈ともう1人の女性の二人連れが立っていた。
俺は動悸が早くなるのを感じたが何とか自分を落ちつかせて可奈達の前に進み出た。
俺は可奈達をたまたま今、空いたばかりの昨夜と同じテーブル席に案内した。
可奈は連れの女性に昨日来たの。美味しかったのー。ミクも絶対気に入ると思って!と明るい声で会話しながら席に着いた。
俺はテーブルに着いた可奈に連日のお越し有難う御座いますと伝えた。可奈はだって昨夜は遅くてゆっくり出来なかったし、食事も済ませた後だから全然食べられなかったけど凄く美味しかったし、友達と会う予定だったから思い切って連れて来ちゃったと溢れるような笑みを見せた。
可奈はアラカルトで何品かと昨夜と同じくシャルドネをオーダーした。俺は厨房にオーダーを通して昨日の上客が来ているからサービスで1品目が出る前に何か簡単な物を出してくれと料理長に頼んだ。
昔はホテルの料理長だった初老の男はこういうオーダーに気の利いた応えが出来る。手早く小綺麗なカクテルグラスに盛り付けた先付を出してきた。
俺は冷えたシャルドネを飲みながら友人と楽しげに話す可奈に店を気に入って頂いたお礼に店からサービスをさせて下さいとことわりカクテルグラスの先付を出す。
可奈はパッと辺りが華やぐような笑顔を見せてわー嬉しい。有難う御座います。綺麗ねー。とはしゃいでくれた。
俺はテーブルで給仕するたびに可奈に話しかけられて店舗スタッフでは無く本部の営業部長である事や昨夜は時間が無く満足なサービスが出来なかったのでまた来て欲しかったなどと話した。
可奈は俺の話に耳を傾け頷き、料理が美味しいと喜びの声を上げる。
食事が終わり会計を済ませた可奈に俺は名刺を渡し、何かあったらご遠慮なくお申し付けください、今後ともご贔屓によろしくお願いしますと頭を下げた。
可奈と友人は満足しきった様子で帰って行った。
俺は可奈にまた会えたこと、昨日とはまた違い今日は仕事の帰りなのか美しいスーツ姿の可奈を見たこと、何よりまたあの心惹かれるいたずらっ子の様な溢れる笑顔が見られたことに喜びを隠せなかった。
その日また閉店作業まで手伝い、従業員に忙しかった今日の仕事を労い深夜帰宅した。
前日と異なり今日は女房は起きて待っていた。開店前に胃液まで吐いていた俺の健康を女房は心配していた。駅前の牛丼屋で食べて帰った事を告げるとこんな時間に牛丼なんてだの、外食ばかりじゃ身体を壊すと例によってグダグダ言い始める。
俺は生返事を繰り返して女房を相手しながら缶ビールを飲みながら今夜の可奈の姿や声を思い出していた。
翌日、出社すると名刺にある会社のアドレスに可奈からメールが届いていた。昨夜のサービスへの礼と店が気に入ったので今後も利用しますといった内容だった。
俺はすっかり気分を良くして直ぐに可奈に当たり障りのない返信した。
送信してから午前中の業務に没頭し、昼過ぎにメールを確認すると可奈から返信が来ていた。
他愛の無いこのやりとりが俺の人生の落とし穴になるなどとはつゆほども思わず俺は嬉々として可奈から返信メールを開いた。
※元投稿はこちら >>