「え、自炊してるんですか?」
僕のマンションの部屋に入るなり、リビングの端にあるキッチンエリアを見て菜穂さんがそう言いました。洗いカゴにある調理用具などでわかったのでしょう。
「駅前のレストランはあそこだけですからね。あれじゃ値段が高くて毎日は無理ですよ」
「高いランチをご馳走していただいちゃってすみません」
そう言って菜穂さんはニッコリした。
「いえ、そういう意味じゃ」
失言でした。
「すごーい。電気圧力鍋が2つもあるんですね」
「それ、楽なんですよ。スイッチ入れたら放置できますから、準備さえできたら他のことができます。一方で豚の角煮を作ってもう一方で煮物を作るとか、そんな風に使います」
「もっぱらこれでお料理するんですか?」
「いえいえ、普通に煮たり焼いたりもしますよ。コロッケとかハンバーグを休日にまとめて作って冷凍してあるんです。それなら会社から帰ってきてもすぐに調理が終わります。フライパンにレトルトのハヤシライスを入れてちょっとソースを垂らしてやって、それに冷凍しておいたハンバーグを入れて焼けばデミグラスハンバーグが出来ます。コロッケは電気フライヤーで揚げます。最初はガスコンロでやってみたのですけどどうにも温度調節うまくいかなくて。でも、コロッケとハンバーグなんて子供っぽいですよね」
「うっそー、すごいですね。私も大好きですよコロッケもハンバーグも。凝ってますね。そうそう、揚げ物は温度命ですからね。これならレストランよりも手料理をご馳走になった方が良かったかも!」
「事前にいらっしゃるのがわかっていれば、それでも良かったですね。ちょっとは味に自信もありますから」
「そうなんですか。じゃあ、来春、所用でこちの方に来るから、そのとき寄ってご馳走になっちゃおうかしら? あは」
「え、そうなんですか。じゃ、ぜひその時に」
菜穂さんと私はこれから男女の関係になるとは思えないような会話を交わしながら笑っていました。
お互いに誤魔化している。
たぶんそうなんだと思いました。
そうでなければ菜穂さんには全くその気がないということになります。
「お皿つかっていいですか?」
菜穂さんのこの言葉を皮切りに二人の飲み会が始まりました。
私のリビングにはベッドとしても使える広めのソファがあり、その前に食卓テーブルがあります。
普段の就寝にはベッドルームのベッドを使っていますが、泊りで来客があったときにはソファをベッドとして来客に提供しています。
そうは言ってもこれをベッドとして利用しているのは出張時に宿代わりにやってくる兄ばかりなのですが。
そのソファに二人で並んで座り、テーブルに置いたつまみを食べながら、お酒を楽しみました。
昼食は済ませたばかりなので、つまみよりもどうしてもお酒が進みます。
ワインから始まり、菜穂さんが日本酒が好きだというので3種類買った日本酒の飲み比べをし、お酒談議にもなりました。
もちろん、菜穂さんがこの3日間で行った観光の話も盛り上がりました。
スマホで撮影した写真を見ながらワイワイガヤガヤ、昔からの友人の様に会話が途切れることもないし、そこから派生していろいろ新しい話題が飛び出して時間はあっという間に過ぎていきました。
私がトイレに立ったときちょっとふらついて、自分がそれなりに酔っぱらっていると感じました。
そういえば、菜穂さんの顔もほんのり赤いし、陽気な菜穂さんがもっともっと明るくなっています。
たまに見せる仕草も、酔っていることがうかがえました。
「菜穂さん、ミニスカートが似合いますね」
こんな話題を出せるのも酒のせいでしょう。
「これは膝上丈で、ミニじゃないです。年齢的にこれが限界です」
「そんなことないです。すごく足が綺麗ですよ」
菜穂さんの肌色の薄いパンストに積まれた足はまっすぐで、とてもセクシーでした。
それは最初からそう思っていたけれど、そういうセクハラみたいなことはなかなか口に出来ない時代なので控えていました。
酒の力です。
「実はたまにそれ言われるんです。足がまっすぐ生えたことだけは母に感謝です」
菜穂さんはそういうと、スカートを引っ張って太ももを私に見せました。
もうちょっとでパンツが見えそうで、私はお酒を吹き出してしまいそうでした。
「美貌だってお母様に感謝でしょう」
私は酔っぱらうと調子の良いことを言うけれど、これは本心でした。
「お上手ですねぇ、あはは。でも、ありがとうございます。褒められちゃうとお酒がますますおいしくなっちゃいますね。ちょっと失礼します」
菜穂さんはトイレに立ちました。
酔ってさらに魅力的になっている菜穂さんを抱きたいけど、こんなに楽しく話をしているのにどう切り出していいかもわかりません。
「そろそろ時間なので始めましょう」と菜穂さんが脱ぎ始めるわけもないので、何か流れを作らなくてはいけないのでしょうけれど、どうしていいのかさっぱりわかりません。
こういうときっていきなり抱きしめるものなのでしょうか。
それでもし「なにするんですか!」とか「そんな女だと思っていたの?」なんて言われたらどうしよう、と思ってしまいます。
あれこれ考えているうちに、会話だけでも楽しめればいいかな、なんて私は思い始めていました。
菜穂さんがトイレから戻ってきました。
菜穂さんは私の隣に腰を下ろすと、さっきまで飲んでいた冷酒ではなく、残っていたワインを自分でグラスに次ぐと一気にそれを飲み、ふぅ~と息を吐き出しました。
そして、
「あなたは紳士ですね」
と、菜穂さんが真顔でいいました。
「え、なんでですか?」
私がそう質問しても、菜穂さんはそれには答えず、下を向いていました。
そして意を決したように突然体を倒して、私の胸に顔を埋めました。
私は硬直しました。
きっと菜穂さんには、破裂しそうなほどの私の心臓の鼓動が耳に響いていたことでしょう。
ぼんぼんぼんぼんどっくんどっくんどっくんどっくん。こんな風に。
(つづけるつもり)
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