『ここって、よく来られるんですか?』、席に座った僕は、由希子さんに聞いていました。少しだけ町に出たところにあるレストラン。
お店のデザインも凝っていて、繁盛しているのか満席に近いです。若者というよりかは、マダム向けのレストランのようです。
『ほんと、たま~によ。お友達と一緒に来ることあるの。』と言われていました。
店員に通されたのは、客室列車のような造りをした仕切られたボックス席。
飲み物と軽食を注文し、テーブルの上に並べられれば、すぐに簡易のロールが降ろされて、そこはもうカップルのための個室となるのです。
『食べて。』と言われ、僕は軽食を手に取りました。由希子さんも同じように手には取りますが、それはたった一切れで終わります。
彼女はグラスのストローに口をつけ、笑顔で僕の顔を見て、何かを言いたそうです。しかし、何も言わない彼女に、僕は軽食を口に運ぶのでした。
由希子さんは、ただ笑顔を見せてくれていました。我が子に食事をさせているような気分なのでしょうか。
それとも、僕相手に恋人気分でも満喫しているような気分なのでしょうか。
『偽りのカップル。』、恋愛などありえない二人です。僕とは37歳の年齢差、彼女には旦那さんがいて、孫までいます。
恋愛などありえないから、こんな僕と『友情』を感じられたのです。恋人気分になっても、それ以上は考えられないから、偽りのカップルでいられるのです。
『どうしたの?』、由希子さんに聞いてみました。あまりにも恋人のような顔をして見られているので、僕が先に冷めたのです。
『浮田さんと私、なんか秘密の関係みたいやねぇ~?秘密のユッコちゃん。』、たいして面白くないおばちゃんギャグでした。
『秘密のアッコちゃん』と掛けたのだと思います。ただ、それは由希子さんの照れ。つい、『秘密の関係。』と言ってしまったことを隠そうとしたのです。
食事をしていた僕の手が止まり、ある決意を持って行動を起こします。それは、彼女の目を見続けること。避けられるまで、見続けてやろうと思ったのです。
僕の目は、由希子さんの目に吸い込まれていました。と言うことは、彼女も僕を見続けていると言うことになります。
恋人のように見つめ合い、会話などないためお互いの気持ちが分かりません。
テーブルに肘をついたままの由希子さんも、どっしりとこの恋人気分を楽しんでいるだけなのかも知れません。
『浜野さん?手、出して?』、恋人気分の僕は彼女に伝えました。しかし、『ダメ~。』と断られます。手を握りあおうとしているのがバレバレなのです。
しかし、『まだ、ダメ~。』と言い直しをされました。由希子さんも、まるでその気が無いわけでもないようです。
そして、『好きだから、手、出して…。あなたが好きだから、手、繋ぎたい…。』と伝えてしまうのでした。
彼女が微笑みました。『なら…。』と言って、テーブルの上で組んでいた手を外し、仕方ない顔をしてながら、左手を僕に差し出したのです。
僕はその手を握り締めます。58歳の女性の手、30年クリーニング屋をしている女性の手です。細く長い指が特徴で、爪には赤いマニキュアが塗られています。
『長かったぁ~!』、僕は由希子さんから目をそらし、そう口にしていました。達成感からか、思わず本音を彼女に伝えてしまったのです。
そして、『ずっと好きやったんだからね~。浜野さんのこと、ずっと前から好きやったんだからね~。』とスラスラと告白をしてしまいます。
もう、気分が高揚してしまっていて、ドンドンと自分の気持ちを伝えてしまうのです。
彼女の手を握ったまま、僕はイスから腰を浮かせます。テーブルがあるため、中腰止まりでとても立つまでには至りません。
それでも顔を寄せようとしてくる僕を、由希子さんは見ています。『誕生日…、キスさせて…。』と寄せた始めた唇。
言われた由希子さんは、表情を何一つ変えませんでした。
誕生日…、21の子供…、好奇心…、個室…、ただのスキンシップ…、自分は58歳…、旦那さん、表情を変えない彼女の中にもいろんな葛藤はあったはずです。
しかし、彼女の決心は、彼女の腰を僅かにイスから浮かせていました。それは、ちょうど僕との唇が重なるだけの距離。
由希子さん自身から、迎えに来てくれたキスでした。
一度だけ重なっただけのフレンチキス。彼女の唇には厚いルージュが塗られていて、地の肌までは到達をしなかったかも知れません。
それでも、大きな一歩となったことに違いはないのです。
『恥ずかしいわぁ~。もうしないよ?』、照れた彼女はグラスのストローをくわえ、大好きなレモンティーを飲むのでした。
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