「ゆめなり」さん。助平でない話をありがとうございます。きっと是のサイ
トには相応しくない議論だと思います。しかし、かような高尚な議論を此処
で済ましてしまうのはもったいないと思量して一筆啓上します。
鮮明には覚えていませんが、柴多翔の「されど我が日々」の中の「節子への
手紙」で「こうして私達は年老いた。若い人たちには其の時代、其の時代に
困難はあるだろう。・・・・・」こんな台詞を思い出しました。確かに団塊
の世代は「遣り放し」だったかもしれません。日本経済を戦後復興させたか
もしれませんが、およそ定見、理念が無く、品のない日本にしてしまいまし
た。世界から尊敬される訳がありません。経済成長の負の遺産は貴兄のご指
摘の通りです。私達が当面する「年金」も危機的な状況にあります。全くも
って自業自得です。「じーじー」さんがネットカフェで頭と腰の軽いオネー
ちゃんと遊んでるいるのは不届き千万の所業です。私達団塊の世代は「遣り
放し=無責任」世代かもしれません。しかし、如何なる世代も「遣り放し」
です。私達も、敗戦後の日本帝国主義を引き継ぎました。その結果,禄でな
い平和憲法なるものを持たされました。そして60年後。惨憺たる有様で
す。しかし、それでも時代は進み、「昨日より今日」「今日より明日」日本
と世界は良きものに進化していくでしょう。人類史とはそうしたものです。
私達団塊の世代は既にバイアグラなしには自己の肉体を励起できません。自
然活力は喪われてしまったのです。それこそ余命幾ばくもないのです。是の
加齢現象を冷静に正皓に受け止められないのは馬鹿です。私達は明日を考え
ないよう、見ないようにしています。私達は悔しいけど「確実な明日」が見
えてしまうのです。未来とか希望は不定形です。茫漠としています。だから
未来であり、希望を持てるのであり、夢を描けるのです。私達は違います。
確実な明日が観えます。其れは死です!死の直前に些か馬鹿を遣っているの
です。是の馬鹿騒ぎは「稚気愛すべし」の類で「老気愛すべし」とでも言う
べきものです。爺供の馬鹿騒ぎはご容赦願いたいと思います。其のうち私達
だけは静かになります。まぁ、後20年のご辛抱です。もっと短いかな?
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