初めての彼女が、ずっと気になってました。
中学生同士の幼い恋愛でしたが、大切な思い出でした。
キスとペッティングまでの間柄で、お互い下半身を脱いで股間を弄り合うまではしましたが、その先へは進めませんでした。
彼女のオマンコを初めて見て、触れて、そして彼女にペニスを弄られて、そして射精を見られた時の羞恥は忘れれません。
好きな女の子にペニスを弄られた男子中学生が、射精をするなと言うのは無理です。
橋の下で、ビュービューと精液を噴き出し、彼女も驚いていました。
中学を卒業する時、彼女の父親の転勤でお別れでした。
近所の人たちに囲まれて、別れを惜しむ彼女一家、トラックの後ろに彼女の家の自家用車があって、彼女が最後に乗り込むとき、近所の人たちに紛れて見送った私に、
「さよなら」
と彼女の口が動いたのを覚えています。
彼女の車が見えなくなった後、自転車飛ばして家に帰り、自分の部屋のベッドに潜って嗚咽した、生まれて初めての失恋でした。
お互い30代になって、子供が小学校に上がった頃、再会しました。
私の上の子と、彼女の下の子が1年生の同じクラスで、約20年ぶりの再会でした。
さりげなく廊下に出ると、私のところに来てくれて、満面の笑みで笑ってくれました。
一緒にPTAやって、そのための連絡先としてメルアド交換して、携帯電話には彼女のフルネームの後に(PTA)と添えました。
一緒にPTAしたのは3年間、彼女は私と再会する2年前からこの街に戻ってたので、ご主人の赴任期間は5年、彼女はこの街を離れました。
お互いに家庭があって、肉体的なつながりは避けていましたが、最後の最後、彼女が旅立つ3日前、私は午後休暇を取り、彼女を乗せて郊外のラブホへ行きました。
お互いアラフォー、抱き合い、舌を絡め、既に使い込まれたお互いの股間を舐め、そして、最初で最後、生のまま思いを遂げました。
23年間の時を超え、初めての恋人が結ばれました。
繋がったまま下を絡めて愛を伝え、間もなく離れ離れになる二人が愛し合いました。
彼女がこの街を離れる日、見送りにはいきませんでしたが、最後のメールを送りました。
「PTAではお世話になりました。次の学校でも元気で頑張ってください。さようなら。」
と送り、彼女からは、
「こちらこそお世話になりました。さようなら。お元気で。」
と返ってきました。
あれから15年、私も五十路、あの時のガラケーはスマホになりましたが、彼女の名前+(PTA)は、スマホにも引き継がれたままです。
今ではラインが主流になり、アドレス帳を開くことも少なくなりましたが、先日、アドレスに彼女の名前を見つけて、思い出の彼女が、今も心の片隅に居ることに気付きました。
そして、たった一度だけ結ばれたあの日のことが、今でも鮮やかに思い出されます。
初めての彼女だったけど、処女と童貞は捧げ合えなかった彼女・・・今、五十路の彼女はどんな街に居て、どんな暮らしをしているのでしょう。
お互い、子供たちの成人して、夫婦でまったりと暮らし、たまに肌を合わせる日々、きっと彼女もそんな日々を送っているでしょう。
そして、一度だけ結ばれたあの日の思い出を、大切にしてくれていると確信しています。
そんな、初めての彼女の幸せを願って、ここに思い出を書き込みます。