今年53才になる主婦です。
私は、お勤めしていた若い頃に会社の妻子持ちの5歳年上の先輩と約10年間不倫していました。
東大阪の女子高を卒業してまじめなOLをしていたのですが、その中身は、男性とお付き合いをしたことがない反動で、セックスに対する興味が人一倍強く、小学5年の夏頃からオナニーをするようになっていました。
そして、中学3年の頃には、瓶やこんにゃくなどをあそこに入れることも覚え、卒業する頃には、茄子を根元まで挿入できるようになっていました。当時は、バイブなど通販で買う勇気もお金もなかったですから。
その頃のおかずは、河川敷の橋の下で拾ったエッチ本5冊で、妄想を膨らませながら、飽きもせず何年も使っていました。
高校生になってからは、近くの大学生などがは入居しているアパートで、月一回の廃品回収の前夜、ゴミ置き場に色んな雑誌に紛れてエッチ本が棄てられていることを知り、毎月その日の夜遅くに家族に見つからないように盗みにいっていました。
それらをお家に持ち帰り、自分の部屋でそれを見ながら午前4時頃までオナニーに耽っていました。
それだけではなく、先程のアパートの一階の共用スペースに1セットだけ置いてあるコインランドリーの乾燥機にお洋服に紛れて男性の下着があるのに気付き、勝手に開けてブリーフを盗んで帰ったことも何度かあります。
いけないことだと知りながらも我慢出来ず、それを持ち帰り、男性のあれが包まれる部分を舐めながらオナニーしたことも数十回あったかわかりません。
女なのに私って異常性欲者じゃないのかと恥ずかしくて悩んだときもありました。
でも、弟が大学生になって隠し持っているビデオを弟が留守の間に盗み見するようになってからは、映像を通じて、皆な同じように底知れずエッチなんだということに気づき、その悩みもいつしか消えてなくなり、毎日エッチなことばかり考え、探していました。
そんな隙だらけで淫らな私ですから、社会人になってからお休みの日には、怪しげで何となくエッチっぽい京橋駅前近くや通天閣辺り、西宮の今津駅辺り、大阪の虹の広場などをぶらぶらと徘徊するようになったのです。
怖いと思いながらも、一度も男性とお付き合いをしたことがない私は、誰も自分のことを知らない街で、見ず知らずの人にナンパされたいと、そう心の何処かで期待して彷徨っていたのです。
そして、その日は、徘徊を始めてからわずかひと月半ほど経った夏の終わり頃、京橋の商店街の喫茶店でやってきたのでした。
ハンサムでも醜男でもない極普通の大学生に声を掛けられ、喫茶店でしばらくお話をした後、川沿いの堤防に座ってまた話をしたのですけれど、端からお互いカラダ目的だとわかっていましたので、喫そのままラブホに行き、初体験を済ませました。
初体験だったのですが、既に色んなものを何百回もヴァギナに通していた私は、わずかな痛みしか感じることはなく、男性自身を挿入されエッチを経験した喜びと罪悪感が入り混じった複雑な気持ちだったことを今でも覚えています。
そのとき初めてフェラも経験し、その日を境に、合計5人男性とその場限りのナンパセックスをしてしまいました。
ただし、誰にも私のポケベルの番号は教えませんでした。
一人だけ丁寧にアソコを長時間舐めてくれる年上の男性がいましたので、その人とは5~6回ほど会ってイカせてもらい、フェラ調教もしていただきました。
そんな淫らな生活を1年間ほど続けていましたが、翌年の秋口にとても怖い目に会い、それを最後にそのような危険なお遊びはキッパリと止めました。
その後は、また元通り男っ気の一切ない日々が4年ほど続いたのですが、お恥ずかしながら、バイブやディルドーまで買って、ほぼ毎日自分で慰めていました。
そのような性欲盛んな私でしたから、毎日会社で会う気心の知れた先輩からお酒を飲みに誘われたときは、ホイホイと付いて行ってしまったのでした。
そして、帰りにお酒の勢いで、車の中で押し倒されたとき、期待通りの展開となり、先輩のモノをすんなりと受け入れてしまいました。
当時は、今と違って、飲酒運転の検問などあまりなくて、罪も軽かったため、なるべくして成ったという感じでした。
その後、安心してセックスが出来るその先輩に夢中になり、相手に妻子がいることなど構わずに、会社の出勤時に待ち伏せして、開店前の商業施設の立体駐車場の薄暗く人に見つかりにくい場所や、会社帰りの夜に近くにあった大きな病院の人気のない待合イスなどで、フェラやセックスをする淫らな毎日を送っていました。そして週末には、ホテルや港の突堤でのカーセックスなどを繰り返していました。
いつしかその先輩を自分のものにしてしまいたいと思い、彼に気に入ってもらうために、彼の要求にはすべて応え、いわゆるフェラ撮りやハメ撮りなども何十回もしました。
それだけではなく、放尿浣腸脱糞プレイや野外露出プレイなども受け入れてしましたした。
その頃、流行っていた素人投稿エロ雑誌にも目線入りですが投稿されたことま何度かあり、飲精はもちろん、お互いに飲む飲尿プレイまでしていました。
特に私が好きだったのは、顔面騎乗位で私のおしっこを彼に直飲みしてもらうプレイでした。
本当はただの変態プレイなのですが、なんだかとても彼に愛されている感じがして仰け反りながら毎回昇天していました。
そんな淫靡な年月を長い間送っていたのですが、やがて生で嵌めてもらう快感を覚えてしまい、当然の結果ですが、誤って妊娠してしまったのです。
悩んだ末に、泣きながら彼に奥さんと別れて結婚してほしいとお願いしたのですが、予想通り、彼の返事はNOで、彼は下ろせの一点張りでした。
性奴隷になっていることは、わかったいましたが、私自身がその変態性奴隷の快感から抜け出すことが出来ず、その後も5年ほどズルズルと付き合い続けました。
下品な表現らしいですけれど、私の付けていたセックス記録では、計10年間で発射してもらったのが527発、フェラは908回となっていましたが、彼は家庭を捨てる気配はまったくありませんでした。
私も35才になり後がないと思い諦めて彼とは別れ、親の勧めで予め別れる前にお見合いしていた相手とその後すぐに結婚したのです。
調教され尽くされた私は、不注意にも主人との新婚初夜にいつも通り、普通に濃厚なフェラテクを駆使してしまいました。
後悔は先に立たずで、主人から「かなりうまいよね。誰に教わったの?」と詰め寄られましたが、この日の為に本で勉強し、バナナで練習しましたと苦しい言い訳をしたことを今でも忘れません。
主人と結婚して早17年目を迎えますが、平穏な日々を過ごさせていただいております。
セックスもほどほどにしますが、時々先輩との変態セックスを思い出し、お風呂場で自分で慰めてしまうことがあります。
女は、一度愛想を尽かした男性と別れると、二度とその男性を近づけないし、なんとも思わない生き物ですが、お互いに伴侶が居て同じ立場になったいま、先輩ともう一度再会し、残る余生を家族を欺きながら、密会を重ね変態で淫らな日々を送り人生を満喫したいと思ってしまうこともときどきあります。