10日ほど前のことでした。
新しい町会長さんがカラオケ好きで、月に2、3回
のど自慢カラオケ大会というのを開くんです。
うちは主人がカラオケ好きで、毎回参加していたのですが、
そのときはちょうど出張中で参加できませんでした。
お隣の奥さんが回覧板を持ってきたとき、主人が出張中である
ということを伝えると、私も出るからあなたも出ましょう、って。
わたしはカラオケは苦手ですし、お酒も飲めるほうじゃないので
断りたかったのですが、強引に参加ということにさせられて
しまいました。家を出る前に夕飯の支度をして
6年生のお姉ちゃんに弟の面倒を見てくれるよう頼んで
かなり憂鬱になりながら会場の居酒屋まで出かけました。
総勢30名ほどの参加者だったのですが、女性は4人だけで、
女性だけでかたまることができずバラバラに座らされたので
会話をする相手もなく、ただ他人の会話にあいづちを打って
早く時間が過ぎてくれることばかり考えてました。
居酒屋から場所を移して、カラオケボックスのパーティールーム
のようなところに入って、酔っ払ったおじさんたちの
どちらかというとお上手ではない方がほとんどの大会が始まりました。
わたしはほんとに歌えないので、審査員の席に座って
出来るはずもない歌の審査をしていました。
隣に座られた男性は、ちらっと見かけたことがあるくらいで
ほとんど面識のない方でした。あとで聞いたのですが
わたしより8歳年上の43歳のFさんという方で、
つい最近奥様と離婚されたとのことでした。
非常に物静かな方で、その場ではほとんど会話することも
ありませんでした。わたしは顔はニコニコ微笑んでましたが
心の中ではうんざりして、早く終わってくれることだけ
考えてました。歌えない、と言っているにもかかわらず、
わたしやFさんは何度も歌うことを強要されましたが、
なんとか断ってやり過ごしてました。が、かなり酔っ払った
ひとりのおじさんがわたしになぜ歌わないのか、と絡んできました。
困り果てたわたしにFさんは助け舟をだしてくれましたが、
それがそのおじさんには気に食わなかったらしく、
Fさんは歌わされるはめになってしまいました。
見た目は線が細く、自信なさげなFさんでしたが、
マイクの前で立ち、曲が流れてきたときから
Fさんは別人でした。曲名は忘れましたが、
冬の海に佇んで亡き我が子を偲ぶ、という感じの歌でした。
歌い始めて間もなく、周りの怒号は消えうせました。
それほどにFさんの声はすばらしく、心に響くものでした。
わたしはその曲を知りませんでしたが、聞いているうちに
完全に引き込まれてしまって、気がつけばボロボロ泣いていました。
いつ歌い終わったのかもわかりませんでしたが、歌い終わられてからも
ひとりいつまでも泣いていました。そのときからすでに
あまり記憶が定かではないのですが、いつの間にかカラオケは終わり
行けるものだけで飲みなおそうということになり、飲めもしないのに
なぜかわたしもそこにご一緒していました。人数は6人ほどになり
Fさんもいました。あとで聞くと、わたしを放っておけなかった
ということでした。それほどまでにわたしはFさんの歌に心を奪われ
半分放心状態だったようでした。そんなわたしを下心丸出しの
おじさん達から守るための盾になってくださり、とつとつと
ご自身のことを語ってくださったFさん。ほかのおじさん達に
勧められるまま飲めもしないお酒をけっこういただいたようで
さらに意識は朦朧としていましたが、Fさんは自分の不注意で
お子さんを亡くされ、それが原因で奥様と離婚されたという話しを
してくださったのは、はっきりと覚えています。
その思いがあの歌に命を吹き込んだのでしょう。
それからどれくらい時間がたったのかもわかりませんが、
気がつけばFさんのお家のソファーで寝かされていました。
わたしの家がどこかわからなかったが、おじさん連中に
わたしを任せたらあぶなそうだったから、と笑顔で
コップにお水を入れて運んできてくれました。
テーブルにコップを置いたFさんの手をわたしは無意識のまま
握り締めてました。不意のことに体勢を崩しよろけて座り込んだFさんを
包み込むようにわたしは抱きしめていました。
Fさんはなにかおっしゃったようでしたが、まったく覚えていません。
なぜ自分がこんな行動に出たのか、まったくわかりません。
主人以外に男性は一人しかしりませんし、満たされていないわけでもなく
Fさんがわたし好みの男性であったというわけでもありません。
強いて理由をつけるとするならば、歌の魔力とでもいいましょうか。
自分からそうなるように望んでそうしたわけでもありませんが、
Fさんの激しい求めを一切拒むことなくわたしの中に受け入れました。
終わってからしばらくFさんの腕に抱かれてましたが
ゆっくりと起き上がり、服を身につけ、ごめんなさい、
ありがとう、のふたことだけを残して家に帰りました。
不思議と主人に対しても子供達に対しても罪悪感はありません。
わたしも、そしておそらくFさんにとってもこれっきりの
関係だからでしょうか。うまく言葉に出来ませんが、
男と女の肉体の触れ合いなどというものではなく、
人と人との魂が共鳴しあって触れ合い、そして別れたにすぎないから
こんなにすがすがしい気持ちでいられるのだろうと思っています。
でも、彼の歌声はいまだにわたしの耳の奥に響いています。
長々と書いてしまって申し訳ありません。
気持ちが漠然としすぎていて友人や知人にはまだ話せないこのことを
吐き出してみたい気分になったから。
それでは失礼いたします。