公共事業が華やかであった時代。土木工学が専門の夫は、私の生まれ故郷に新設されたダム建設事務所に転勤となり、幼稚園の子供の進学のこともあって、三年だけの約束で、家族全員で、引っ越しました。私の両親は大喜び。もっと歓んだのが、小学校の同級生で、中学校の生徒会役員を一緒に経験した仲間たちでした。彼らはいまや、家業の傍ら、青年団幹部として活躍中です。私もすぐに、書記役として活動を始めました。
毎週土曜日は、青年団幹部会議があります。団長、副団長、会計の三役がそのまま、中学の生徒会役員だった、三人組みでした。それに書記の私が入って、昔の生徒会四役の復活です。この四人組は、幼稚園のもっと前から、いつも一緒でした。時に、納屋の奥で、お医者さんごっこを楽しんだ四人組でもありました。と言っても、私が脚を開き、見せてやるから、私の家来になるのよ、と言って、下から覗かせただけでしたが。
小学校に上がると、お医者さんごっこも、自然消滅しましたが、中学の生徒会で、それが復活しました。と言っても、スカートを捲り上げ、ショーツをひき下ろすようなことはしません。打ち合わせをするのに、何故か四人、ぴったりと身体を寄せ合い、打ち合わせをし、私が記録をとります。会長が私の背中にぴったりと股間を押し付け、私の肩の上から手を伸ばして、乳房をゆっくりもんでいます。副会長と会計は、左右から私を挟み、スカートの上から、私の太腿を撫で、時に会長と胸の愛撫を交替するといった程度でした。
青年団幹部会議は、月一度、生徒会と同じ雰囲気のまま、進められます。違うのは、全員大人になっていることだけ。団長は、私の背中を捲くり上げ、硬く太くなったペ○スを、ぴったりと押し付けてきます。左右の二人は、私のスカートの中に手をいれ、交代で、クリトリスを嬲ったり、膣の中に指を入れたりしてきます。その刺激に耐えながら、急いで打ち合わせの記録をとり、書類を纏めてしまいます。それが終わると、一人は口で、二人は手で、ペ○スをしごいてやります。三人とも射精させてやってお終い。四人が一緒のときは、絶対にそこで終わりにしました。それが四人ののルールでした。
でも、週に一度、三人のうちのだれか一人とこっそり会いました。つまり三人にとっては、月に一度の逢瀬です。そのときは、突きまくられました。もちろん、ゴムをつけさせたほうが、太く感じて気持ちよく、生理のとき以外は、本当に楽しむことができました。
夫は平日は現地宿舎に泊まりこみ。金曜日の深夜に帰ってきて、月曜日の早朝、叉現場監理に出かけます。夫とは毎土曜日、生入れ中出しはもちろんです。その三年間、私は故郷で幸せでした。子供の小学校入学のため、東京の家に戻って、夢のような生活は、終わりました。一五年ほど前の話です。