娘が高校生になってすぐ、関連会社に出向になった。
県庁所在地で運れ育った娘は、さすがに天候はできないから単身赴任になった。
アパートを借り、大学以来、22年ぶりの一人暮らしになった。
暮らしには困らなかったが、まだ44歳だった俺は、嫁を抱けるのが帰宅した週末だけになったのが辛かった。
それまで、週4回は営みがあったから、欲求不満が溜まった。
男と言う生き物は困ったもので、そうなるともう誰でもいいからやらせて状態になった。
アパートのそばにある弁当屋、時々利用してたが、そこにいたおばちゃん、近くの居酒屋で一人で呑んでて、カウンターで隣に座り、あら、となった。
50代後半くらいかな、と思ったら、御年当時65歳、閉経超熟女、何とも言えない魅力を感じた。
どんだけ飢えてるんだよと思ったが、65歳のババアに股間が疼いた。
それは、女は何歳になっても女だという証拠なのかもしれない。
ご主人は釣り付きで、リタイヤしてからはアッチの方は不能、海沿いに小さなアパート借りて、ずっとそこにいるそうだ。
居酒屋を出ると、二次会しようと家に誘われた。
お風呂はいかがと言われ、入ってると、背中を流してあげると入ってきて、ババアの裸で勃起してしまった。
65歳の超熟女、乳は垂れてたけど、なぜだか興奮した。
こんなババアにフェラされてるんだと思うと思うほど興奮した。
当時、母親が69歳だったから、4歳しか違わないババアに禁忌的な性欲が弾けた。
弾力を失った乳房、10年くらいレスだったようで、スイッチが入ったら女そのものだった。
黒ずんだグロマンの具合も遜色ないし、腰振ればちゃんと感じて喘いだ。
もちろん中出しし放題、まだ微かに香る女の匂い、発情ババアに種付け放題。
時々旦那が帰ってくるから、週1回くらいのお付き合いだった。
もう一人、64歳の未亡人さんは、行きつけのスーパーのパートさん。
未亡人さんで、小柄な方でした。
口説くと驚いてましたが、頬を染め、応じました。
小柄で細身だからか、乳房も小ぶりで垂れてなくて、セックスではいつもしがみつかれた。
可愛いババアで、未亡人になって20年だそうで、マンコは奇麗だったしキツかった。
未亡人だから、ヤリたいときにヤレて、週2回くらいのお付き合いだった。
それから、会社のあるビルでトイレ掃除してた結婚歴のない独身62歳のババア、なかなか美形で、冗談半分に口説いたら落ちた。
最初は、アラフィフくらいに見えたけど、62歳だった。
ややムチッとしてたから、緩み始めた身体が何とも言えず生活感を感じた。
四十路以来、長らく見てなかったチンポ見せてやったら、喜んで触ってきた。
ガン見され、こねくり回された。
男のチンポに興味津々で、弄ってるうちにハァハァと興奮しはじめ、
「入れておくれ…」
とスカートとパンツを脱いだ。
正常位で突き上げると、久しぶりのチンポにヒイヒイとヨガり、白目を剥いた。
「中に出しますよ。」
「出しとくれ。中にタップリと出しとくれ。」
ガッツリ中出し、呆然とするババアが可愛かった。
結婚に縁がなく、もうセックスすることなく人生を終えると思ってたらしく、残りの人生をかけて、セックスで燃えつきるような情念を感じた。
その表情は、かなり興奮させられた。
このババアも、ヤリたいときにいつでもヤレた。
赴任機関は3年、47歳で県庁所在地の元の会社に戻った。
最後、68歳、67歳、65になったババアと最後のセックスして、お別れしてきた。
家に戻ると、俺と入れ違いに娘が大学進学で上京して行った。
夫婦二人になり、47歳の俺は、毎晩嫁を求めた。
ババアと比べると、3歳年下の嫁の身体は若々しくて最高だった。
中出しはできないけど、嬉しそうに俺に抱かれた。
今、赴任先から戻って10年、俺は57歳、嫁は54歳になったが、まだまだババアじゃない。
セックスは週4回ほどに落ち着いているが、閉経して、中に出せる。
俺たちは、土曜日は9時頃まで寝てて、朝にシャワー浴びて、午前中に飯も食わずに破廉恥行為に耽る。
嫁を抱きながら、70代になってるババアたちを想う。
元気にしてるだろうか、特に、独身を貫いてたあのババアは身寄りがない、心配だがどうしようもない。
赴任を終えるとき、
「今まで、男に縁が無かったけど、最後、この年でタップリ子種を注がれるなんて、いい冥途の土産になったよ。悔いのない人生になった。アンタのおかげだよ。これで、アタシも女としてこの世を去れる。ありがとう。元気でね。さよなら…」
あの街で、最後にセックスをしたのが独身を貫いたババアだった。
元気で暮らしていて欲しいと思う。