決して短いとは言えない時間を家族として共に暮らし、別れるという選択をしたけれど、離れてもお互いに愛情が残り続け、また、残してきた子供が気になることってありますよね。
私にもそんな元妻と息子がいるんです。
単身赴任が招いた心のすれ違いと、私が居ない方が息子がのびのびできて、私が帰ると不機嫌になる息子との葛藤が、夫婦の絆を壊してしまいました。
結婚してた時間は15年と長きにわたり、家族として大切にしてたから、離婚するときは辛かったですね。
でも、あのまま単身赴任が終わって戻ったら、家族がぐちゃぐちゃになったと思います。
私がいない方が、母子で仲良く暮らせることが分かったら、帰れません。
そのまま単身赴任先に留まりました。
もう、離婚して10年、私も52歳になってます。
もし、家族のまま暮らしてたら、今年h銀婚式のお祝いでした。
8年前、赴任先にいた同い年のお局さんと再婚して、二人で暮らしてます。
今の妻は、ちょっと久保純子アナウンサーに似た感じで、可愛らしい女性です。
10年前にお亡くなりになりましたが、病床の母親の面倒をみてるうちに婚期を逃してしまいました。
私の離婚と、妻が母親を亡くしたのがほぼ同時期で、不幸な二人が寄り添った感じでした。
9年前、43歳同士で初めて枕を交わしましたが、妻は20代の頃の恋愛が最後で、ずっと男性と触れ合ってこなかったからか、とても恥じらっていました。
オマンコも43歳とは思えぬ美しさで、クンニに頬を染めつつも感じていました。
再婚を決めたのは、妻を初めて抱いて半年の頃、元妻がいる街の隣町に出張があった際、遠くから元妻の暮らす家を眺めたとき、車庫にミニバンがとまってるのを見て、さりげなく近づいて見ると、表札に三人の名前がありました。
もう苗字が変わってて、知らない男の名前と、元妻と息子の名前があり、元妻が再婚したことを知りました。
「幸せになりなよ・・・」
と呟いて、帰ってきました。
きっと、離婚前から息子を含めて付き合いがあったのでしょうね。
私は、家族に追い出されたんだと知って、だから養育費と慰謝料相殺だったんだと納得しました。
再婚して8年、妻はこの年になってもセックスが大好きで、
「あなたに出会わなければ、セックスの良さを知らずに一生を終えてたと思う。」
と言います。
あんなに恥じらっていた妻が、今では自らビラビラを広げて、オマンコを見せつけながら誘惑します。
クンニも大好きで、恥かしい恥ずかしいと言いながら大股を広げて、腰をヒクつかせます。
ペニスも好きで、今はもう無くなりましたが、生理の時はずっと弄ってました。
「自分専用のオチンチンがあるって、素敵ね。」
と言いながら、溢れる精液を眺めていました。
先日、ロッカーの下の網棚の更に下に埋もれてた古い手帳を見つけて、広げて見ると、単身赴任したばかりの頃の手帳で、週末帰宅した時の予定が書かれていました。
そして、手帳のカバーには、かつてあった微笑ましい家族の写真が刺さっていました。
小学4年生の息子と、アラフォー夫婦が微笑んでいました。
暫く眺めていましたが、手帳ごと棄てました。
そして、かつてあった家族の団欒を思い出し、そんな過去を綴って、思い出として葬り去ることにして、ここに書き込みます。