41歳から3年間、単身赴任してたことがある。
上の子が中学生になって、転校はさせられないから、止むを得ず単身f人したけど、家までは片道3時間かかるから、高速代もかかるし、毎週は帰れなかった。
隔週で帰った時は、妻とヤリまくりだった。
そんな時、仕事で管轄している店舗で雄材コーナーを担当していた彼女と知り合った。
彼女は一回り年上の当時53歳、田中美佐子に似た可愛いバツイチ熟女だった。
一人娘は嫁いでて、俺の住まいがある県庁所在地で結婚生活を送っていた。
彼女は一回り年上だったが、見た目は若々しく、そんなに年上には見えなかった。
お互い一人住まいで淋しいから、何となく寄り添った。
そして、お互い休日が重なった日の前日、初めて二人で飲みに行き、色々とお話しして、身の上を知った。
彼女は、一人娘が成人した45歳の時、元夫から離婚を告げられた。
元夫は3歳年下、彼女24歳、元夫21歳でデキ婚、元夫は娘が成人するまでは頑張ったそうで、彼女もそれは認めてて、元夫を解放したそうだが、その時の彼女の言葉が忘れられない。
「元夫の新しい人生を後押ししたけど、でもやっぱり、21年間家族として暮らしたから、別れるのは切なかった。元夫も、泣きながら家を出て行った。あれから8年になるのね…」
この夜、俺は初めて妻を裏切った。
ほろ酔い気分で彼女の家に上がり込み、初めての夜を過ごした。
一回り年上の53歳の女体は、2歳年下の妻の女体と比べて遜色なくて、でも、漂うフェロモンは妻よりもずっと多く感じて噎せ返るようだった。
離婚して8年、全く男性と関わらなかったわけではなく、離婚してすぐの頃は、淋しさに付け込まれて、店長に抱かれたそうだ。
その店長が異動して以降は、俺が5年ぶりの男だと言ってた。
「女も50になると、需要が亡くなるみたい…」
と言ったから、俺はそれを否定して、十分魅力的だと言ったし、本当にそう思わなければ一回り上は抱けない。
彼女との関係は、週3~4回、ただし、俺が帰宅しない週末は彼女の家にお泊りしてた。
そして、時々彼女は、俺の帰宅する車に便乗して金曜の夜に県庁所在地まで行って、娘夫婦の家に二泊して孫と遊び、日曜の夕方に帰って来る時にも便乗して戻ってた。
俺は、五十路熟女をセックスで夢中にしてしまっていた。
毎回黒アワビをクンニして一度イカせてから、気持ちいいセックスを提供していた。
それは、彼女が中出しを許容してくれたこともあって、種付けセックスだと性欲だけとはなら似から、相手を感じさせて子種を欲しがらせよう、孕みたいと思わせようと思ってしまう。
若い頃のように、興奮して自分が気持ちよくなることを優先することはなかったから、自分よりも彼女をセックスで満足させて、分別をわきまえた五十路の儒¥美熟女の痴態を愉しんだのが功を奏したようだった。
前戯は丁寧にエロく、20分くらい、そのうち15分はクンニ。
フェラは短く1分くらい、でも、その最中うは気持ちいいことをアピールした。
挿入時はゆっくり正常位から、ディープキスしながら深々と交わった。
これから種付けするんだという雰囲気は、荘厳なエロスを醸しだした。
それから、正常位ばかりじゃなく、体位の変化で彼女を飽きさせないことも意識した。
年齢的に、抜かずの二発まではイケたけど、三発は無理なので、彼女が満足するまで射精をコントロールした。
これらを意識して彼女が満足すれば、「また抱いて欲しい」と思ってもらえた。
そして、バツイチ五十路は男性に飢えていたのもあっただろう。
男性から女性として見られ、女性として扱われることが嬉しいのだ。
そこのところは特に努力しなくても、田中美佐子に似た美熟女なので、その見た目は上玉、頑張らなくても関係を維持することは容易だった。
五十路美熟女との楽しみの一つに、中出しがある。
閉経した子宮口に亀頭を押し付けての種付けプレスで射精するとき、その快感は脳天を突き抜ける。
中出しされている彼女も、体の奥に子種汁を感じて、ビクビク痙攣しながら白目を剥く。
そして、二人が身体を離した時、その黒アワビの中央から、白濁した子種が流れ出す。
黒アワビと白濁液、強烈なコントラストが興奮を倍増させた。
その流れ出る子種をティッシュで拭きながら、シゲシゲとその股間を眺めるとき、そのグロテスクな佇まいが妙に卑猥で、自分がここに射精したんだなという実感に染まった。
彼女と過ごしたのは3年弱、俺は、県庁所在地の妻の元に戻ることになった。
この3年間、俺は彼女をアパートに入れたことはなかったし、彼女は俺のアパートを知らなかった。
俺の部屋はシンプルで最低限のものしかなかったし、第一、家族写真があちこちに飾ってあって、不倫ができるムードじゃなかったし、温かい家庭の写真はバツイチの彼女には見せたくなかった。
連絡は、当時流行り始めてたラインのみ、付き合いもまたシンプルだった。
荷造りしながら、転勤する2日前、彼女と最後の夜を過ごした。
翌朝、彼女と朝食を取り、最後にデートした。
彼女の家のぞばに大きな公園があって、そこを散歩した。
途中に池があり、s子に注ぐ小川、そこから大きな川に向かって流れる小川、これらは、元々農村だった場所にあった農業用水とため池の名残だそうで、宅地化されるときに自然公園になったそうだ。
公園で、彼女がこさえたお弁当、と言っても唐揚げとおにぎりだけど、それを食べた。
お弁当を食べ終わったらお別れ、そういう約束だった。
「私ね、還暦を迎えたら、あの家を売って、娘のところへ行くつもりなの。本当は、孫の面倒見てって言われたけど、孫が小さいうちはさんアさんの実家が近いんだからお世話になりなさいって言ってあるの。」
「そうですか。そしたら、いつか俺の家のある街のどこかで、お目にかかる日が来るかもしれまえんね。」
「ええ、そういう日が来るかもしれない。あの家を売ったお金と娘夫婦のお金で、家を買う、そういうことを話せたのも、たまにあなたのお車に便乗して娘のところに行けたからなのよ。」
お弁当を食べ終わり、おかず入れを片付け、いよいよ別れの時が来た。
「それじゃあ、俺、行きますね。3年間、ありがとうございました。」
「こちらこそ。こんなおばちゃんんと付き合ってくれてありがとう。最後の青春だったな。」
「それでは、どうかお元気で。いつかあちらで会えたら、その時は友達で…さよなら…」
「ええ、そうね。さよなら…元気でね…」
それぞれ、俺は公園の駅口へ、彼女は団地口に向かって歩き出した。
公園の出口で振り返ると、遠くに小さく彼女の姿が見え、そして、見えなくなった。
県庁所在地に戻って、今年で10年になる。
俺は53歳、出会った頃の彼女の年齢になっている。
先日、単身赴任していた支社へ出張してきた。
用件は、彼女の居た店舗の統廃合の件で、店舗に行ってみたが彼女の姿は無かった。
還暦になったら娘のところへ…を思い出し、何度も彼女と朝を迎えた彼女の家に行ってみた。
表札は違う名字になってて、家屋もリフォームされてた。
出張から帰り、駅から街並みを見渡し、この街のどこかに、65歳の彼女が住んでるんだなあと、元気で、幸せに暮らしてて欲しいなと思った。
もしかしたら、街かどですれ違ってたのかもしれないけど、彼女は、きっと声をかけずに俺の姿を見送っただろうと思っている。
あの街での出来事は、この街に持ち込まない、その方がいいとお互い感じて、あの公園でお別れをした。
だから、彼女の幸せを願うだけで、探すことはない。
そんな、単身赴任の思い出をここに…