嫁の元彼に嫉妬だと?
最近この手のスレが多いが一体何なんだ?
俺が若い頃は、いいオンナは元彼とのエピソードを自慢げに話していたものだ。
ワンレンにボディコンのセクシー系、黒髪にハマトラの純情系、どんな見た目でもみんな尻軽だった。
ボディコン女でもハマトラ女でも、裸になれば一緒で、大股広げてマンコ全開でヨガリ狂っていた。
俺が若い頃は、男も女も何人もと付き合って、コンドーム片手にスポーツ感覚でセックスを楽しむようにヤリまくっていた。
それは、俺が大学生の後半あたりから始まり、就職して3年目くらいまで続いた、いわゆるバブルの頃の話だ。
「終電間に合わないかも。」
「じゃあ、始発まで俺のアパートにおいでよ。」
「え?いいの?じゃ、お邪魔しちゃおうかしら。」
これでその夜のセックスは決定だった。
女が嫌だと思えばその男の部屋には行かず、タクシーか、タクシーが無ければアッシー君で帰っていた。
信じられないだろうが、この頃、タクシー乗り場に出来る行列はタクシーではなく、タクシーを待つ人々だった。
アパートに連れ込めばこっちのもの。
缶チューハイでおもてなししながら、他愛もない話をして、
「じゃあ、せっかくだからアダルトしちゃわない?」
なんて言えば、女も、
「しちゃおうかな。まだ時間あるし。バスタオル、貸してね。」
こういう時のために用意してあるブランド物のバスタオルを出して、女を待つ。
女と入れ替わりにシャワーを浴びて、ベッドで股を開かせてマンコを観察する。
「意外と綺麗なマンコしてるじゃん。舐めてもいい?」
「優しくしてね・・・アアン!」
「意外と綺麗な」って言うのは、コイツ、結構遊んでるなっていうグラデーションに変色が始まっているマンビラの時に言う言葉で、完全に変色している場合は「華麗なオマンコ」と言い、ドドメ色になっている場合は「手ごわそうだなあ」と言っていた。
ワンナイトラブの遊びのセックスだから、ガバッと股をおっぴろげて舐め放題舐めさせて、ヒイヒイと喘ぎまくっていた。
フェラもそこそこにコンドームセックスは、2回戦ありきでガンガン腰を打ち付けて、アンアン吠えさせて1回戦終了する。
もう一度シャワーで汗を流して、そこからは乳房揉んだり、オマンコ弄りしたり、チンポ弄りしたりといわゆる乳繰り合いをして過ごしているうち、チンポが復活して再び勃起すると、コンドームを被せて2回戦突入する。
2回戦は長持ちするから、騎乗位やバックで破廉恥な時間を過ごす。
これは、どんなにセクシー系の女でも、どんなに清純系の女でもだいたい同じで、一晩の恥はかき捨てでハメ合っていた。
ド淫乱の汗だくセックスの後、ハマトラ娘が清純顔で、
「気持ち良かった。また、遊ぼうね。」
と早朝の駅に向かってアパートを出ていったが、そう言った女でもリピーターは半分もいなかったと記憶している。
中には、とても気が合って電話番号を交換してセフレになる場合もあったが、当時はまだ携帯電話はないから、女側から俺のアパートにかけてくる一方通行だったので、なかなか連絡がつかないと女のアドレス帳(手帳)から二重線で抹消される。
女が自慢げにアドレス帳を見せてきたら、何人かの知り合いと穴兄弟になっていることを知り、女1対穴兄弟4の5Pをしたこともあった。
綺麗な顔して4本のチンポを次々に2巡8回連続でブチ込まれて逝きまくっていた。
色んな男に声をかけられて、色んなチンポを味見するのがいいオンナの勲章だった時代だったから、俺達は結婚相手に元彼が何人いようとまったく気にしなかった。
結婚相手になるか否かは、コンドームをしてセックスするかどうかで決まった。
だから、この女と結婚しようと思ったら生セックスを望み、この男と結婚しようと思ったら生セックスを受け入れた。
この頃の女はクリスマスケーキと表現され、24が食べ頃、25が賞味期限、26は売れ残りと言われたから、女もスポーツセックスは22~23歳までで、それ以降は本気で結婚相手を物色していた。
女が恋愛結婚できる機会は、最低でも賞味期限の25歳までに結婚相手を見つけていることだった。
だから女は23歳を過ぎたら、結婚相手と巡り合えるカウントダウンが始まっていたのだ。
そして男の賞味期限は20代、三十路独身は社会的にバカにされ、30歳以後の男はお見合いでの経済的なスペック比較しか生き残るすべがなかった。
つまり、三十路でも専業主婦をさせてくれる男が選ばれていた時代なのだ。
男は結婚して妻子を養い、女は結婚して子供を産み家事をこなして家庭を守り、夫の求めに応じて定期的に性欲処理に股を開くのが普通だった。
因みに俺の結婚は27歳、嫁は23歳で、女の食べ頃の1年前に嫁にもらった。
嫁と初めてハメたのは嫁が21歳の時、短大を出てパン職(一般職のこと)1年目だった。
合コンでお持ち帰りした嫁は、ハマトラ系清純ブリッコ女だったが、当然短大時代にヤリまくりの非処女で、初めてベッドインした時は、
「意外と綺麗なマンコだね。」
というレベルだった。
伊藤つかさ風の可愛い女だったが、俺はブリッコをハメ倒す勢いのスポーツ感覚で嫁を抱いた。
例によってコンドーム2連戦を終えた後、嫁は、
「また会ってくれますか?」
と言ってきた。
飛んで火にいる夏の虫とばかりに、伊藤つかさ風ロリ系ブリッコハマトラ娘にコスプレホテル(当時は安っぽい貸衣装があったホテルがあった)セーラー服着せて、セフレ扱いしていた。
1年くらいはセフレの一人として重宝していたが、
「私以外にも遊んでる女の子いるでしょ?出来たら、私だけにしてくれたら嬉しいな。私はあなただけにしてるから・・・」
と言われて、ハッと気づいた。
そう言えば、嫁は俺の要求を断ることなく何でもさせてくれていた。
ホテルにあるバイブも入れさせてくれたし、SMホテルで拘束椅子で凌辱もさせてくれた。
まだ21歳だから、てっきりほかの男にもさせているのだろうと思ったら、
「私、社会人になったら遊びは止めたんです・・・短大卒業がいいきっかけだと思ったから。私って、何かきっかけが無いとできない性格だから・・・」
嫁は短大卒業時点で結婚相手を探していたことを知ったのが決定打だった。
俺26歳、嫁22歳で結婚を約束し、翌年結婚した。
結婚して23年、俺は50歳、妻は46歳になった。
子供たちも成人してほぼ子育て終了で、嫁と再び新婚気分で遊んでいる。
俺は、今の時代、結婚相手の過去を気にし過ぎるあまり晩婚になっているような気がする。
親に似たのか、上の娘は現在21歳で4歳年上の彼氏とラブラブで、二人で結婚資金を貯めている。
下の19歳の息子は、セーラー服を着た女の子をバイクに乗せて走り回っているが、こちらはまだうら若き他所様の娘さんに変なことしてくれるなよと心配だ。
この分だと、俺の子供たちは結婚が早そうだが、俺の部下は30代で結婚している男は半分しかいない。
「えー!課長って27歳で結婚したんですか!奥さんは23歳!早いですね~」
それが普通だった時代は、彼らにしては異常なのかもしれない。
バブルを経験した俺達は、今の若者とのギャップに悩んでいる・・・