結婚して10年になりますが、今でも変わらず妻が愛しいですし、妻からの深い愛情も感じます。
三十路になりましたが、妻はまだ可愛くて、その裸は少女のように綺麗です。
女陰はさすがに紫色になって変形もしてしまいましたが、唇も乳房もお尻も太股もまだまだプリプリです。
そんな妻の女体を10年間も独り占めして、好きにできている歓びを感じます。
これだけ愛し合っている私達ですが、初めて私の男根を受け入れてくれた23歳の妻の女陰には、処女膜はありませんでした。
私の男根が挿し込まれた時、妻は私の背中に腕を回し、
「はああ~~」
と吐息を漏らしながら、私の男根を味わっていました。
男根挿入で快感を得るようになるには、処女を失っただけではなりません。
男根で感じた妻は、それなりの回数の男根挿入を経験して性を開発されたという証明なのです。
大人の男女が交際すれば、性交渉をするのは当たり前だと思います。
裸になって、普段は隠してある性器を露出して、触れ合い、舐め合い、そして結合させるのです。
それは、神聖なる生殖行為であるとともに、快感を伴う淫らな行為でもあるのです。
性器を見られるだけでも恥ずかしいのに、それを結合させて発生する快感で見せる呆けた表情、裸の男女が腰をすり合わせて快楽を貪り合う姿、これは人間の最も恥ずかしい様子をお互いに見せあっているような気がするのです。
親にだって見せられない男と女の秘密のひと時、それは男と女が共有した究極のプライベートイベントだと思うのです。
妻と夫婦として歩んできた10年間、夫婦で共有してきたプライベートイベントは妻と私の秘密のひと時であります。
でも、妻が過去の彼氏と性器を交えて見せた痴態と、その行為が終わった後に裸の彼氏の腕の中で満足感に浸った裸の妻がいたことも事実なのです。
それは、妻とかつての彼氏だけの秘密のひと時、妻とかつての彼氏だけが共有するプライベートイベントなのです。
10年間仲良し夫婦として暮らし、この先何十年も妻と連れ添ったとしても、決して私が入り込めない秘密のひと時がが、私以外の男と妻の間に共有され続けている事実に、私は激しく嫉妬してしまうのです。
それは敗北感であり、悔しさであり、見えない恥辱に感じて苛まれ、溢れる悩みが耐えないのです。