先週の土曜日、ショッピングモールで25年前に別れた元夫を見かけた。
社内恋愛で26歳同士で結婚、でも、訳あって29歳で離婚したから、社内ではたまに見かけたけど、社外で見かけたのは初めてだった。
私と元夫は同期入社なだけでなく、大学も同じだった。
私は経済学部、元夫は工学部だったから、在学中は存在を知らなかったが、入社後に、
「経済学部のミポリンが同期入社なんて驚いたな。あ、俺、工学部にいたんだ。」
私は、中山美穂に似てて、経済学部のミポリンと言われ、モテモテだった。
実は、高校時代に中山美穂に似てると言われ、2年生の時にバイト先で知り合ったイケメン大学生で処女喪失した。
その後は、大学では、4年生で一番イケメンを狙い、卒業で別れて、毎年彼氏が変わっていた。
彼氏だけでなく、バイト先の役員のオジサマに抱かれて、中年男性のねちっこいセックスも経験した。
とにかく、大学時代に色んな男を味わってみたかった。
卒業すればおサラバとばかりに、男たちに大股を開き、破廉恥な行為を愉しんだ。
お互いの体液にまみれ、淫らな快楽を愉しんだ。
そして、就職先で元夫と出会い、結婚した。
元夫は技術者だったけど、私は結婚後、あるプロジェクトに参加していた。
離婚になったのは、子供を持つか持たないかで、子供が欲しかった元夫と、仕事優先で子供はまだ早いと思った私で意見が食い違った。
私は、色々考えた末、今は子供が要らないんじゃなくて、仕事の邪魔だから子供そのものが要らなかったことに気付いた。
だから、子供を欲しがった元夫を解放するために別れた。
「そうか…俺、お前のことを愛してるけど、やっぱり子供は欲しいよ。でも、お前が仕事を辞めて子育てするには、確かに惜しい人材だとは思う。分かった。別れよう。」
「ごめんね。私もあなたのことは愛してる。でも、あなたが人生を共に歩くのは、私じゃない。」
こうして、25年前に円満離婚した。
その後、元夫は32歳で再婚、その時は、親友の結婚を祝う気分で「おめでとう」メールを送り、「ありがとう」と元夫から帰ってきた。
元夫が34歳でパパになったときは、「おめでとう。念願のパパだね。」とメールして、「ありがとう」と帰って来て、これが、元夫との最後のメールになった。
私は、仕事に生きて、独身のまま少しずつ出世してきた。
結婚するつもりはなかったけど、恋はした。
女性としては早い出世だったから、男性社員からは嫌われたけど、上層部の評判はよくて、部長や次長とお酒の席に行く機会もあって、その時、抱かれることもあった。
奥様よりずっと若い私をクンニし、熟練のテクで喘がせて、
「普段颯爽としてる君の痴態を見れるなんて、光栄だよ。」
なんて言われてた。
40代で課長になったときは、若い部下をカバン持ちにして出張し、ホテルの部屋で二次会に誘い、浴衣のちっらリズムで誘惑して、襲わせた。
それをネタに、暫くの間、若いツバメにしていた。
そうやって、熟れた身体で何人もの若い部下を食った。
中には、四十路の熟れた女体の虜になって、本気で言い寄ってくる部下もいた。
そんな中、54歳の今、私は女性で初の次長になっている。
因みに元夫は同じ54歳でもまだ課長代理だ。
別れて暫くは、社内で会うと会話もして、メールのやり取りもあったけど、元夫に子供ができたときのメールを最後に、会話さえしなくなっていた。
元夫を社内で見かけても、目で追うだけだった。
元夫は、私とは違う世界に生きていた。
先週の土曜日、元夫は、奥様と女子大生くらいの娘さんと3人で歩いていた。
どこに行くのか知らないけど、娘さんが元夫の腕にしがみついてはしゃいでたから、娘さんはパパっ娘のようだった。
元夫にはお似合いな、温かい家庭がそこにはあった。
私があそこに居たら、とても似合わないだろうと思った。
「幸せそうで、良かったね…」
そう言って、元夫を見送った。
そして、帰宅して一人のマンションに佇むと、強烈な孤独感に襲われた。
出世して、いい年収になって高層マンションに住んで、でも、いずれ私はひとりで朽ちていくんだと気付いた。
元夫は、家族に看取られて旅立つだろう。
私は、一人グラスを傾け、
「元夫が願う幸せを叶えるために、元夫を解放したんじゃない。願いが叶って良かったじゃない。私は、私の思う元夫の未来を確認したんだから、それでいいじゃない。」
そう言って、グラスを空けた。