元夫とは同期入社で、お互い東京にある大学で4年間を過ごしてて、1駅隣に住んでいました。
「もしかしたら、何度か電車の中で顔を合わせてたかもね。」
なんていう会話から、お互いに良く知る街に住んでた思い出を語っているうち、男女の関係になって、26歳同士で結婚しました。
元夫のセックスは、若い男性にありがちな激しいものではなく、じっくりと責められる前戯と、じっくりとアソコを味わってる感じのセックスでした。
元夫のクンニは、溝に沿って舐めた後、クリトリスを転がすように舐めるのですが、若い男性に覆い押す感じではなく、優しくくすぐるように舐めるのです。
あまりの気持ち良さに、全身の力が抜けていきました。
おそらく、大学生の頃の元夫は、かなり年上、もしかしたら40代の人妻と付き合っていたんじゃないかと思いました。
なぜそう思うかと言うと、私は大学生の頃、40代の既婚男性に抱かれたことがあるからです。
元夫のセックスは、そんな感じでした。
それから、騎乗位の時に微妙に腰を突き上げるやり方、一番気持ちいいところにヒットするときに、おチンチンが加速する感じで、元夫に跨って狂わされました。
そんな元夫は結婚した翌年には子供を欲しがり、私は仕事を優先したくて、意見が合わなくなっていきました。
そして29歳の時、売り言葉に買い言葉で、勢いで離婚してしまいました。
「君は君の人生を歩んで欲しい。俺は俺の人生を歩むよ。それじゃあ、元気でな。さよなら。」
「あなたも元気でね。素敵な奥さん貰ってね。さよなら。」
こうして、3年間暮らしたアパートのドアを閉じました。
どうやら、元夫が離婚したことを知った私の職場の女の子が、元夫にモーションをかけたようでした。
彼女は地元短大卒の一般職で、CoCoの三浦理恵子さんに似た可愛い女の子でした。
秘かに、元夫の事を好きになっていたようでした。
それを知ったのは、元夫が再婚すると知った時で、離婚からわずか2年後の事でした。
新郎の元妻の私は、新婦の同僚として、元夫の披露宴に顔を出す羽目になったのです。
元夫は当時31歳、新婦はまだ24歳、三浦理恵子さん似の可愛い新婦のファンが結構社内にいたので、バツイチに盗られたと泣いた方々も見受けられました。
幸せそうな元夫を見るのは、とても辛かったのを思い出します。
元夫が前を向いて歩く姿が眩しいのと、もう、元夫は戻ってこないんだという寂しさが、私の中で交錯していました。
「それでは皆さん、シャンパングラスをお持ちください。」
というアナウンスに私芋起ちあがりました。
「新郎新婦の新しい門出に、乾杯!」
私は、せめて元夫の幸せを願って、乾杯しました。
今度こそ、幸せな結婚生活を送ってねと、元夫に向かってグラスを掲げました。
その後の二次会は、私はご遠慮申し上げました。
そんな切ない披露宴から、もう、25年が過ぎようとしています。
元夫の披露宴の翌年、同僚である元夫の奥様のお腹が大きくなってきて、そして、彼女は退社していきました。
彼女は、7歳年上の元夫に可愛がられたのです。
きっと、じっくりと前戯で喘がされ、じっくりと元夫のおチンチンでアソコを味わられて、ヨガらされたのでしょう。
みんなが憧れた三浦理恵子さんに似た可愛いアイドル社員は、私がそうであったように、淫らに身体を喘がされ、元夫に痴態を披露したのです。
そして私が経験できなかった、アソコで元夫の精液を受け止めることをしたのです。
先日、会社の帰り道の信号待ちで、元夫と鉢合わせました。
それまで、社内で見かけることはあっても、会話を交わすことも無く過ごしてきました。
私と夫は同期ですが、私は結局仕事に生きたので、今は56歳で部長になっています。
一方元夫は、同じ年でも課長です。
でも、私は独身のまま、元夫は奥様と二人の娘さんと暮らしています。
「やあ、久しぶりだね。仕事、頑張ってるねえ。」
「あなたこそ、幸せそうじゃない。」
「はは、まあ、そうだな。おかげさまで、上の娘は大学出て社会に出たし、下の娘は今年成人したよ。子育ても終わり、これからは夫婦二人でゆっくり暮らすさ。じゃあな。」
横断歩道を渡り切った元夫は、足早に駅方面へ歩いていきました。
私は、幸せそうな元夫の背中を見送り、近所に借りている駐車場からレクサスISに乗って、マンションに向けて走り出しました。
もし元夫の子供を産んでいたら・・・そんなことを考えた私は、頭をブルブルっと振って、自分の歩んできた道は、元夫に決して恥ずかしくは無いんだと言い聞かせました。
そして、マンションで、一人缶ビールを開けました。
25年前に、元夫の幸せを祈って乾杯したじゃないか、元夫は幸せになって良かったじゃないかと、自分が祈った元夫の幸せが叶ったことに対して、もう一度乾杯しました。