娘が大学を出て、就職した昨年3月末を持って、前妻との結婚契約を解除した。
結婚期間は12年、俺50歳、前妻44歳での離婚だった。
15年前、ある事故で俺の妻と前妻の夫と息子が亡くなった。
被害者としていろいろと向き合ううち、何となく惹かれ合った。
しかしそれは、大切な人を亡くした哀しさであり、寂しさの裏返しと分かっていた。
それでも13年前、37歳の俺と31歳の前妻は、人肌が恋しくて枕を重ねた。
お互い、失くした性の潤いを取り戻すように貪った。
お互い、果てた後には亡くした連れ合いへの裏切り行為に贖罪にまみれた。
俺は小学英の娘を抱えていたが、前妻は息子さえ失い、絶望の淵にいた。
俺は、前妻に、娘の母親になって欲しいと言った。
俺も前妻も、身体的には欲していたが、心はまだ亡くした連れ合いを想っていた。
だから、俺の娘が社会人となるまでの期限付きで、結婚という契約をした。
俺38歳、前妻32歳、当時10歳の娘が社会に出たら提出する離婚届を予め記入し、婚姻届けを出した。
結婚生活の契約を終えたら、それぞれ、元の連れ合いの思い出に生きて、元の連れ合いと同じ墓に眠るのだ。
期限付き再婚だったが、再婚した以上、夫婦の営みを持った。
俺も前妻も、元の連れ合いとは違う性器の感触を楽しんだ。
二人の間に子は作らないと決め、安全日以外は外に射精した。
亡き妻より豊かな乳房、亡き妻より肉付きの良い太腿、亡き妻より柔らかな抱き心地を楽しんだ。
亡き妻より使い込まれていない花弁を開き、亡き妻より大きめな花芯を舐めた。
亡き褄とのまぐわいを思い出しながら、前妻を抱くとき、まるで他人妻と不倫しているような不思議な感覚を味わえた。
前妻も同じで、ごく稀に亡き夫の名を口にして喘ぐことがあった。
俺に抱かれながら、亡き夫に抱かれている錯覚に陥るくらい、前妻が亡き夫を愛していると知れば知るほど、亡き夫が大切にしていた前妻の花弁を淫らなドドメ色に穢してやろうと腰を打ち付けた。
前妻は、俺の生雄蕊で花弁を引き延ばされ、自らの淫蜜で少しずつ花弁は色素を沈着していった。
そして、前妻の身体に精液を撒き散らし、安全日には前妻の蜜壺に精液を注いだ。
亡き夫が愛した前妻の女体は、少しずつ俺色に染まり、蜜壺の襞の一つひとつに、俺の遺伝子が染み渡った。
前妻は、思春期になった娘の面倒をよく見てくれた。
おかげで娘は素直に育ち、無事大学にも合格し、上京した。
俺と前妻は、再婚後初めて二人っきりになった。
次第にセックスが大単、かつ淫乱になり、前妻を辱めるような大股開きで結合部を露出させる体位が多くなっていった。
大きな姿見の前で背面座位になり、前妻に結合部を見させて、淫らな交わりに興じた。
前妻も自分の痴態に羞恥の淫蜜を垂れ流してヨガった。
俺も前妻も、大学に行っている娘が就職したら、お別れだと知っているから、大胆になれたんだと思う。
もしかしたら、別れを忘れるために、一時の快楽に身を置いたのかもしれない。
俺と前妻は、長くなった再婚生活にお互いに対する愛情が芽生えていたのは事実だった。
でも、俺は亡き褄と、前妻は亡き夫と息子の眠る墓へ入るためには、それぞれ夫婦を解消する必要があった。
そしてそれは、昨年、娘が社会に出たことで訪れた。
事情を娘に話すと、寂しそうな表情で頷いた。
前妻の荷物を整理して、前妻が決めてきた住所へと送り、夫婦の財産を折半して家を出た。
「さよなら、お母さん…」
娘が泣いて見送った。
俺と前妻は再婚するときにしたためた離婚届を携えて、ラブホで夫婦最後のセックスをした。
そのラブホは、人肌恋しくて初めて枕を交わした場所だった。
「始まりの場所で、夫婦を終えようや…」
「そうね…」
最後の精液を前妻に振りかけ、市役所へ向かい、離婚届を提出した。
「長い間、ありがとう。これからは、亡くなった家族と向き合って暮らしてくれ。もし、どうしても困ったことがあったら、遠慮なく頼れよ。連絡債は消さないでおくから。」
「ええ、ありがとう。どうか、お元気で。さよなら…」
「さよなら…」
市役所を出て、去り行く前妻の後ろ姿を見送る目が、涙を湛えていた。
考えててみれば、12年の年月は、亡き褄と歩んだ結婚生活よりも長かった。
前妻と別れてだいぶ時間が過ぎたが、まだ、この家には前妻の影が見える気がする。
今は娘と二人で暮らしているが、いつか、娘は嫁ぎ、俺はひとりになる。
亡き褄との思い出と生きるつもりが、前妻との思い出の方がたくさんあって切ない。
でも、これは前妻と二人で決めたこと、契約のある結婚の契約を履行したにすぎないと自分に言い聞かせ、今はどこでどんな暮らしをしているのかさえ知らない前妻の幸せを、俺は祈っている。