この6年間、自宅から車で10分ほどの住宅街にある銭湯を、妻と週に2回の頻度で利用してきた。
再婚後15年ほど温泉町で暮らし、毎日のように近所の共同湯を利用したせいで、広い洗い場と熱めの湯をたっぷり湛えた広い浴槽がないと満足できなかったからだ。
昔ながらの番台式銭湯で、番台には私より少し上くらいに見える店主が座っている。
初めて店を訪れた日、入浴を済ませて外に出て来た妻は「イヤだった!」と顔を顰めた。
女湯にも目隠しの衝立はなく、番台の店主には丸見えだという。
番台経験の無かった妻が、夫でもない男の前で服を脱いで裸をさらすことに強い抵抗感を覚えたとしても無理はない。
それでも、翌週には「一度見られたら、二度見られるも三度見られるも同じ!」と言うくらい、さっぱりした気性の持ち主なので、その後は店主を気にすることもなく店を利用してきた。
女湯の利用客は平均2~3人と少ないうえに、妻以外は年輩の常連客ばかりだという。
実年齢より10歳以上若く見られる妻は、自分だけが番台の店主を意識しているように思われたくないので、胸や下腹部をタオルで隠したりしたことがないそうだ。
月に平均8~9回として年間100回、この6年間で600回の利用。
その9割は番台が店主だったとすると、妻は夫でもない男の目に一糸まとわぬ全裸の姿を550回近くもさらしたことになる。
番台に座るには若めの店主なので、妻の乳房や乳首、恥毛やデルタ地帯、尻を目の当たりにするたびに勃起したに違いない。
これまでに一体何度、妻をネタに思い出しオナニーにしたのだろうか?
美しい人妻の裸を見ているうちにガマンできなくなり、番台で生オナニーしたこともあるのではないか?
番台の店主を目にするとそんな想像を掻き立てられ、全裸の妻を店主の目にさらすことに密かな悦びと興奮を覚えていた。
そんなエロい想像が現実となったのは、つい最近のことだ。
帰りの車中で、妻が「番台の男の人にアソコまで見られたかもしれない…」と呟いたのである。
浴槽の温度管理(を口実?)に女湯の洗い場に入って来ると、店主が妻をジッと見ることは聞かされていた。
距離がある番台から見るのとでは、店主の興奮度も段違いだろう。
その日、女湯は妻1人だった。
男湯との壁に面した一番奥のカランで、石鹸やシャンプーの泡をシャワーで洗い流して立ち上がり、浴槽に入ろうとしたところ、いつの間にか洗い場に入って来ていた店主がその前にしゃがみ込んで温度調節をしながら、足を上げて浴槽の縁を跨ごうとする妻のカラダを下からジッと覗き込んでいたというではないか。
50歳を前に閉経した妻は肉付きが良くなり、イヤらしいカラダ付きになった。
豊かな乳房はさらに膨らみを増して垂れ気味で、乳首と乳輪は小豆色から淡いピンク色に変わった。
すっかり薄くなった恥毛は縦筋を辛うじて覆うだけで、ぷっくりとしたデルタ地帯を隠し切れない。
妻のカラダを下から覗き込んでいた店主には、それらがすぐ間近に見えたばかりか、浴槽の縁を跨ごうと妻が足を上げたとき、ラビアや膣までチラッと目に入ったかもしれない。
店主は他の客の目がないのをよいことに、美貌にイヤらしいカラダ付きまで加わった妻を存分に視姦したに違いない。
さっぱりした気性の妻も、店主の態度と視線に強い欲望のようなものを感じたからこそ、呟かずにはいられなかったのだ。
店主は勃起していただろうし、その後で、目に焼き付けた豊満な乳房、ピンク色の乳首と乳輪、縦筋を覆うだけの薄い恥毛とぷっくりとしたデルタ地帯を思い出しては、妻を洗い場や脱衣場で犯す場面を想像しながら射精したことだろう。
それ以来、その店を利用したことはない。
美しい人妻の裸を定期的に見られなくなった店主は、きっと寂しい思いをしていることだろう。
他の男の目に全裸の妻をさらす悦びと興奮を失った私も同様である。