今年で長年勤めた会社を定年になり退社します。
入社してすぐ、空前の好景気となり、週末は上司に連れられ街に繰り出し、女子大生ブームの到来で奇麗な女子大生と週替わりでワンナイトラブ、何十人もの女子大生を抱きました。
女子大生に使うお金は領収書さえあれば経費で堕ちましたし、やりたい放題の数年間でした。
そんな中でもあまり裕福でない家庭もあって、あれは私が27歳の時、高校を出たばかりで就職した可愛い女の子と出会いました。
可愛いけれどどこか薄幸そうなのは、バブルで浮かれた時代に地味な存在だったからで、仕事も高卒だからと雑用ばかり、存在感もありませんでした。
私は、そんな彼女がなぜか放っておけず、気にかけるようになると、彼女も次第に私にだけは懐くようになり、職場では公然のカップルのように見られるようになりました。
私は、週末女子大生遊びに行くときに見せた彼女の哀しそうな瞳に気づき、次第に女子大生遊びに参加しなくなりました。
そして、私28歳、彼女20歳で、初めて男女の関係に、彼女の処女膜を破り、翌年結婚しました。
21歳の幼な妻は、まるで女子高生のように可愛くて、でも、貧乏ながら母親にいろいろと躾けられていて、家事スキルは高く、また、妻として夫の性欲を満たす勤めを完璧にこなしました。
妊娠するまでは高校時代のセーラー服を着て、自分の見た目の幼さを引き立てて私を誘惑し、出産後は若妻が子育てに見せるチラ見セの隙あるエロスを見せてくれました。
三十路、四十路は色香を醸し、艶やかに私の性を満たしてくれました。
自ら股を開き、処女から愛用してきた膣口を広げ、挿入を乞う姿は普段の地味で淑やかな彼女ではありませんでした。
結婚して以来、ゴムの隔たりを嫌い、常に粘膜同士の接触を望んだ彼女は、虚ろな目で私の陰茎を味わい、身体を蕩けさせていきました。
生理が来れば、
「ごめんね。生理が来ちゃったの・・・」
と言ってパンツから私の陰茎を取り出し、扱いて射精に導くときのあの横顔は紅潮して、目は潤み、精液がドクドク溢れる様子を嬉しそうに見ていました。
今思えば、彼女は妻として夫の性欲を所rする勤めの中、次第に性行為への興奮に目覚めていったのだと思います。
でも、地味で淑やかなイメージを崩すことができず、精一杯淫らな自分を隠し通していたのだと思います。
彼女が、どれだけ淫らだったのかは、五十路の彼女を見ることなくこの世を去ってしまったから、知る由もありません。
彼女に、
「長いことお仕事ご苦労様でした。」
と言って、定年の私を迎えて欲しかったです。
27年間の夫婦生活は、私と彼女の宝物です。
彼女と老後を過ごしたかった・・・それだけが無念でなりません。
子供たちは無事に巣立ち、時折私が心配で訪ねてくれますが、仏壇で微笑む彼女の写真を見ては、涙ぐんで帰ります。
先日、寝室の押し入れで見つけたHi-8のテープを、すべて処分しました。
もはや再生する機器もないので見ようもありませんが、中身は私と彼女の若かりし頃の破廉恥な動画です。
おそらく、セーラー服を着た彼女がまだピンクの陰唇を広げ、未成年顔で喘ぐ姿や、セーラー服姿で子作り種付けされる様子、セーラー服妊婦のヌードが記録されていると思います。
テープを引き抜き、切断して処分しました。
彼女との淫らな秘め事を一つひとつ、思い出しては懐かしみ、ごみ袋に入れていきました。
そして、kの女と暮らした27年間が、あっという間だったなあと、しみじみ思ったのです。
ここに、可愛くも淫らだった彼女の思い出を刻みます。