結婚して20年になる妻は、10歳年上の50歳で、常盤貴子さんに似た美人です。
妻との出会いは26年前に遡り、私は中学2年生、妻は大学を出て2年目の塾講師でした。
母子家庭だった私でしたが、当時、母に彼氏が出来て、私はネグレクト状態に置かれました。
朝に千円札を渡され、それで一日の食事を賄っていました。
そんな私を見ていた近所のブティック経営者の40代女性が、私の面倒を見るようになり、次第に囲われて、13歳の童貞を奪われました。
母は、私が夜に帰らなくても心配することは無く、私は週の半分をブティックで過ごしていました。
若い中学生の精力は激しく、一日に5回も6回も射精しましたので、ブティックの経営者の40代女性は大喜びで私に跨っていました。
その代わり、その女性は私を学習塾に通わせてくれました。
そこで、妻と出会ったのです。
そこで妻とどうこうはありませんでした。
私は、高校を出るまではブティックの経営者と一日何度もセックスする日々を過ごしていました。
私が高校を出たのと同時に、ブティックは営業形態を変え、通販になって店舗を畳んだので、私と女性経営者の関係もなくなりました。
しかし、妻は学習塾の費用を出していた経営者が男子中学生が高校を出るまで、少年愛に興じてたことを知っていて、その後、社会に出て働く私を引き継ぐように、下半身を支配してきました。
妻は、ブティック経営者よりもずっと若く、常盤貴子さんに似た美人で、夢中になりました。
私は、美しい妻に下半身を囚われて、妻の言いなりペットとなり、気が付いたときにはマゾ調教され、
「私を性奴夫にしてください。」
と言わされて、20年前、20歳で30歳の妻の夫となりました。
妻は新鮮な若い精液で32歳で長女を出産、その際、セックスが出来ない間、マゾ調教ビデオを撮影され、動画投稿されていました。
私は、妻にベッドに大の字に縛られて、ペニスを麻ひもで縛りあげられ、亀頭責めで悶える様子を撮影されました。
ハードに緊縛されて血管が浮き出たペニスを責められて、我慢汁を垂れ流す様子は、薄いモザイクがかけられても確認できるほどでした。
30分くらい焦らされての射精は痛いほどで、上空50㎝くらいまでドピュンと噴き出しました。
そしてそこから始まる射精直後の亀頭責めに、手足をグーパーしながら悶絶する様子がフェードアウトする投稿ビデオは、好評を博しました。
投稿は次第に過激になり、ペニスだけでなくタマまでパンパンに締めあげられ、更には消毒した金属の編み棒を尿道に抜き差しされました。
尿道に金属の編み棒が刺さったまま緊縛ペニスを扱かれ、私のペニスは編み棒が刺さったまま精液をドロドロと噴き出しました。
そしてこの動画は、このサイトの年間レジェンド入りしました。
結婚して以来20年、私はほとんど毎晩射精しています。
毎晩妻に腰振って、妻を満足させてからでないと、寝させてくれません。
そして妻に生理が来ると、恐怖のペニス調教が待っているのです。
現在妻は50歳ですが、45歳くらいの時が一番性欲が凄かったです。
休日は、前の晩にしたのに朝から跨られて、ヘタすると午後に買い物に出かけた足でラブホに行って、2発抜かれたこともありました。
当然、夜もセックスがありました。
女性の45歳って、性欲のピークなんでしょうか。
今は、だいぶ落ち着いて、1日一回すれば満足しています。
やがて、妻に生理が来なくなれば、毎晩中出しできるようになります。
その時を楽しみに、今は安全日以外は外出しですが、妻の女体を楽しみたいと思います。