20年ぶりに舞い戻った街は、懐かしさと切なさに溢れていた。
二流大学を卒業した28年前、配属先は人口20万人に満たないこの街の支社だった。
本社のある県庁所在地と比べると、田舎感があったが、街なみがコンパクトで風情があった。
あの頃、バブルが弾けたことをほぼすべての国民が気付いた頃で、県内では名のある会社に入社できただけでも良かった。
支社では、梅雨が明けると管轄店のサマーセールの手伝いに動員される。
当然新人の俺は土日返上で手伝わされた。
でもそこには、サマーセールの売り子のバイトに来ていた、短大が夏休み中の後に妻となる恭子がいた。
俺は、恭子とサマーセール中を過ごし、心惹かれた。
恭子は垢抜けない田舎娘だったが、素朴で純情そうな可愛さがあって、恋に落ちた。
まだ学生気分が抜けない俺は、サマーセール最終日に恭子を飲みに誘った。
20歳になったばかりだった恭子は、オドオドしながらも付いてきた。
まだ携帯電話は巨大で汎用性が無かった時代、その場で週末のデートの約束を取り付けた。
こうして、俺は恭子と親密になり、9月の初めころ、俺のアパートのそばの居酒屋で飲んだ後、アパートに連れ込むことに成功した。
ほろ酔いの20歳の短大生をやや強引に抱き寄せ、唇を重ね、押し倒した。
服の上から愛撫、乳房を揉んで、乳首のアタリをつけて指で撫でると、恭子は次第に感じて息が荒くなっていった。
これはイケるとスカートの中に手を忍ばせ、パンツの上から女裂をなぞった。
おそらくは指が女核に触れたのだろう、ビクンと反応したかと思うと、
「イヤッ!」
と言って身を翻した。
恭子はシャワーを浴びたいと言って、俺の前で裸になるとバスルームに消えた。
20歳の短大生の裸は、まだ少女のような幼さを感じるものだった。
俺は、バスタオルを手にしてバスルームから出てくる恭子を裸で待った。
バスルームから出てきた恭子にバスタオルを手渡すと、入れ替わるように俺がシャワーを浴び、恭子が待つベッドへ向かった。
乳房を揉み、乳首を舐め、そして、股を割り開いて女裂を広げた。
小ぶりな女唇の恭子の女陰は、とても美麗だった。
皮を被った女豆を転がし、コリコリと尖った頃に吸い出すようにして皮を剥いた。
恭子は、四肢を突っ張らせて女豆への刺激に反応した。
女陰好きの俺は、恭子の女豆を舐めまくると、恭子は意識朦朧となっていた。
俺は、そのまま生で男根を恭子の女穴に挿し込んだ。
かなりキツめの女穴でギチギチしていたが、少し体重をかけるとズルンと一気に入った。
その時、恭子が呻いたので、もしやと思い男根を少しずつ抜くと、男根に血のりが・・・
俺は、グイと腰を入れて奥まで挿入し、恭子の腰を浮かせて、さっきまで恭子が巻いていたバスタオルを恭子の腰下に敷いた。
恭子を抱きしめ、
「初めてだったのか・・・」
というと、コクリと頷いた恭子が愛しくて、髪を撫でてやった。
交際が深まるにつれ、恭子は性の快楽を知っていった。
女豆の刺激だけでなく、男根が与える女穴内での快感に戸惑いながらも、恭子は女の悦びを知っていった。
恭子が社会に出て2年が過ぎ、俺26歳、恭子23歳で結婚した。
少し広めのアパートを借り、仲睦まじく暮らした。
恭子は25歳で女児を出産、家庭に入った。
母親になった恭子だが、男根を欲しがり、俺に跨って腰をくねらせた。
娘が3歳を迎えて、もう一人欲しいねと言っていた矢先、俺に本社転勤の内示が出た。
入社以来8年、支社内転筋だったが、ついに本社勤務となった。
恭子は生まれて初めて地元を離れ、県庁所在地へ向かう期待と不安にまみれていた。
恭子の両親と兄夫婦は寂しがったものの、
「県庁所在地にお泊りできる場所ができたから、気軽に遊びに行けるね。」
などと言って、前向きにとらえていた。
俺は、一足先に赴任地へ向かい、恭子は実家に泊まりながらアパートを後片付けして、一週間遅れで父親の車で県庁所在地へ向かう予定だった。
しかし、恭子は春先の路面凍結でスリップしたトラックの中腹事故に巻き込まれ、28歳で亡くなってしまった。
俺は、31歳で愛妻恭子を失った。
3歳の娘を連れて勤務地へ向かう俺に、恭子の父親は、
「まだ31歳、これから長い人生だ。恭子のことを忘れ利ろとは言わん。だが、恭子の弔いはこっちでするから、君は新しい人生を歩みなさい。法事も、連絡はしないから・・・」
と言われ、俺は、恭子の実家とは縁を断って、娘と生きることになった。
俺は、多少高くついたが預かり保育を見つけて、娘を預けて働いた。
前にいた支社と違い、後に中核市となった県庁所在地は大きな街で、遊ぶところもたくさんあったが、俺は、娘との時間を大切にした。
盆と正月にさえ、恭子の実家を訪ねることも無くなり、娘にとっての祖父母は俺の両親だけになっていった。