5年前、夫の転勤で、20年ぶりに懐かしい街に戻りました。
その街には短大進学で赴き、そのまま就職して1年後に元夫と出会い、2年間交際して3年間の結婚生活を送りました。
19歳から26歳まで、酸いも甘いも味わった8年間の思い出が満載の街でした。
短大進学でアパート暮らしを始めて、合コンで知り合った2歳年上の大学生と付き合って初体験、初めて男性に裸やアソコを見られた恥ずかしさ、処女喪失の痛みと嬉しさを知りました。
その後、セックスの快感を知ってゆき、若さに任せてその彼と恥ずかしい行為も経験しました。
彼のもの以外にも、ボコボコした玩具とか、電動で振動する玩具とかを入れられて、やがて逝くという感覚を知りました。
でも、その彼は大学を卒業したらその街を去ってしまいました。
私は、短大を出た後も田舎には帰らずその街に就職、1年後に元夫と出会い恋に落ちました。
元夫はとても優しい男性で、その人柄に心惹かれた私は、元夫の求めに応じて喜んで身体を開きました。
大学生の元彼より、元夫のセックスは丁寧で、玩具など使うことなく身体より心を抱きしめるセックスでした。
舌を絡めたキス、乳房を揉まれ、仰向けにされて足を開かされました。
クンニされる・・・私は素直に足を開き、アソコを元夫の自由にさせました。
丁寧なクンニに濡れて、元夫をフェラ、見つめ合って仰向けになり、元夫を迎え入れました。
ゆっくり出し入れされた元夫のものに、私は素直に身を任せ、快感に浸りました。
感じて喘ぐ私を見つめる夫は、なぜか少し怪訝そうな表情をしているように見えました。
元夫と結婚し、街なかにアパートを借りて、安心して淫らを楽しめる幸せな結婚生活を送っていました。
毎晩裸で抱き合い、愛する元夫にアソコを広げられて舐められ、恥じらいの中にも安心して快感を味わいました。
元夫のものを受け入れ、無防備な姿で遠慮なく快楽に没頭しました。
いつか家を建てようとしばらくは子供を作らず共働きで貯金して、毎晩元夫の精液を浴びて過ごしました。
いつか、子の精液が中に出される日が来ることを信じて、元夫と愛し合いました。
結婚2年が過ぎた頃、元義父母が同居を求めてきました。
どうやら、元義兄夫婦が新築のマンションを購入して実家に戻らないことが確定したようで、元夫に同居を求めたようでした。
執拗に同居を迫る元義父母、態度があやふやな元夫、ここから、夫婦関係がぎくしゃくし始めました。
決定打は元夫の意外な気持ちでした。
いつものように、私が元夫に抱かれて感じて喘いで仰け反った後、元夫がボソッと言ったことが、私に「離婚」の二文字を思い浮かばせました。
元夫は、大人しそうな私に、実は処女を求めていました。
初めて元夫に身体を許した日、舌を絡めたキス、クンニを抵抗なく受け入れてアソコを丸晒しにしたこと、自然にフェラをしてくれたことが驚愕だったそうです。
そして、元夫のアレを入れられて感じて喘いだこと、それはすなわち、そこまで感じる身体にしっかりと開発済みだということが、大人しそうな私に相応しくなかったそうです。
それまで、元夫は私にそんな気持ちを抱いていたなんて、ショックでした。
元夫の気持ちを知ったら、執拗に同居を迫る義理実家が強烈に嫌悪の対象になり、離婚に至りました。
何度も修復を打診されましたが、私の場合は修復は不可能でした。
元夫の気持ちを知っても、元夫のことは嫌いじゃありませんでしたが、義父母に対する我慢ができなくなったことは確かでした。
元夫と義父母との暮らしは絶対無理だったから、未練はありませんでした。
「残念だよ。弘子、元気でな。さようなら・・・」
「サヨナラ。元気でね。」
私は26歳で離婚し、仕事も辞めて田舎に戻りました。
故郷は私を優しく迎えてくれました。
「お帰り。待ってたよ。」
幼馴染の男性が迎えてくれました。
後の夫ですが、しばらくは一日中、元夫を想い、恋しくてたまりませんでした。
でも、未練なく別れたはずなんだから、前に進まなくてはと幼馴染の求愛に応えました。
「バツイチの私でもいいの?」
「弘子は弘子だよ。今まで、誰に抱かれて来たかなんて関係ない。これからは俺の弘子でいて欲しい。幼いころから、ずっと好きだったんだよ・・・」
離婚から半年で幼馴染の身体を許し、離婚から1年で再婚しました。