私21歳、妻29歳で結婚しました。妻はかなりの美形なので、妻を見た両親も、これじゃ仕方ないと反対されませんでした。妻の両親も反対はしませんでしたが、妻の4歳年下の妹は、「お義兄さんが年下って、なんか変な感じ~」と言いました。、妻は、若い私の陰茎を毎日何度も味わっていました。若かった私は、一日に3発も4発も平気で射精していました。でも、いつまでもセックスしてばかりじゃだめだと子作りを始め、妻は31歳で長女を出産し、会社を辞めました。その後34歳で長男を出産、その後も性生活はレスになるっことなく続きました。妻に変化が起きたのは、妻が40代になった頃でした。それまで、週に4,5回だった性生活が、毎日に戻りました。それも、妻から求められて行為に及ぶことが多くなりました。妻は40代でも、私はまだ30代なので、まだまだやりたい盛りでしたから、十分対応できましたが、妻の貪欲さが異常なほどでした。妻の淫らさが度を越しているので、安全日に一度、ラブホで三脚にビデオカメラを据えて、夫婦のセックスを撮影したことがあります。画面には、44歳の妻と36歳の私が映っています。画面では、陰茎中毒にかかっているんじゃないかと思えるほど、私の陰茎を嬉しそうに握ってカメラに向かってほほ笑む妻が映っています。宮崎美子さんに似た可愛い系美人の熟女が、性欲旺盛には見えませんが、仰向けになってカメラに股間を向け、陰唇を秘色げています。クンニする私、喘ぐ妻、物凄く卑猥な構図と音です。クンニも2分ほどで陰茎が欲しくなり、上体を起こして陰茎をパクり、その間もカメラ抜剥けて、片手で陰唇を広げて膣口を晒しています。美熟女のエロい陰唇が若い夫の陰茎を欲して、濡れそぼっています。個人撮影で当然無修正、美熟女の女性器が丸見えです。陰唇は真っ黒ですが、小ぶりで綺麗で、画面から匂いがしそうです。ギンギンに反り返った36歳の私の生陰茎が、妻の膣に入ります。「ああ・・・もう、このチンチンなしでは、私、生きていけない身体なのよ・・・」妻の切実な声が聞こえます。本能丸出しで、卑猥に身を捩る妻は、「跨らせて。腰振らせて・・・」と騎乗位を要求、自由になった腰を淫猥に動かし、性行為に興じている好色女です。まるでセックスしていないと発狂してしまうんじゃないかと言うほど、画面の妻は若い陰茎に狂う淫婦です。「ああ~~いい。ああ~~チンチン気持ちいい・・・ああ、ああ、ああああ・・・」前後左右だけでなく、上下にも動かして陰茎を抜き差しする騎乗位の腰の動きは、淫乱を絵に描いたようです。羞恥という感情など飛び越えて、快楽セックスにハマっています。陰茎中毒の痴女の激しすぎる性行為は、騎乗位中出しで終わります。倒れ込む妻の膣口から、精液がダラダラと流れ出ています。動画は、20年前のものなので、今のフルハイヴィジョンから比べると粗いですが、よく映っています。私は、この在りし日の妻の痴態を記録したDVDを、間もなくやってくる妻の七回忌を前に処分するつもりです。6年前、58歳の若さで、妻は交通事故に巻き込まれてこの世を去りました。妻は、前夜の中出しセックスの精液を閉経子宮に湛えたまま、29年間の結婚生活を終えました。お淑やかで可愛らしい印象のまま、妻の七回忌を迎えるため、妻の痴態は処分します。妻の三回忌の後、私は、妻の妹夫婦から頼まれて、寝取りをしています。4年前、52歳の私は、56歳の妻の妹をご主人の目の前で寝取りました。年下の義兄に抱かれて、子宮に精液を注がれて喘ぎ乱れる姿を見て、妻の妹のご主人が勃起、「おおっ!起った。お前見てみろ、嫉妬で起ったぞ。」と大喜びして、私の精液が残る妻の妹の膣に挿入し、腰を振っていました。それ以来、週末になると妻の妹をご主人の目の前で寝取るようになりました。今年で4年になり、妻の妹も還暦を迎え、私が最後に抱いた妻の年齢を妻の妹が超えている音に気づき、生きていれば64歳の妻も抱いてみたかったとしみじみ思うようになりました。妻はきっと、還暦を過ぎても貪欲に私に跨ってロデオを踊ったでしょう。そして、五十路の私の陰茎を握り、「まだ還暦前なんだから、もっと頑張ってよ。」なんて、言われてたかもしれません。64歳の妻に、そう言われてみたかった・・・そんな愛しい年上の妻の淫らな思い出をここに綴ります。
...省略されました。