結婚して20年、45歳の妻を持つ47歳の会社員です。
22年前、大学を出たばかりの新入社員だった妻に一目惚れしました。
妻は小柄で、ポワ~ンとした可愛い幼顔をしていて、可憐で守ってあげたくなる女性でした。
半年くらい悶々としていましたが意を決して告白、すると、何と相思相愛でした。
幼顔で可憐な可愛い妻でしたが、女子大生だっただけに処女ではありませんでした。
でも、自分も大学時代はいろんな女性と関係していましたので、妻が非処女という事には、あまり気にはしていませんでした。
妻との恋は一気に燃え上がり、交際1年半で結婚しました。
先日、結婚して20年の記念日を迎え、何となく知り合う前の元彼、元カノの話になりました。
私は、初体験が高校2年で相手が塾の先生だったこと、大学時代前半は先輩と付き合い、先輩が卒業した後は後輩と付き合って初めて処女喪失を経験して、就職してからは妻と出会うまで彼女ナシだった事を話しました。
妻は・・・正直、衝撃的でした。
妻の初体験は大学1年と私より遅いのですが、相手が、何と大学の准教授でした。
バツ2の40歳の中年准教授に、処女からじっくりスケベを仕込まれたそうです。
「どうして、あんなオジサンに身体を許したのか、今は分からないんだけど、あの時は魔法にかかったみたいに虜になったの・・・」
妻は、大学1年で処女を奪われてから優しくセックスを仕込まれ、大学2年で逝くことを覚えたら、大学3年ではマゾ調教を受けたそうです。
幼顔の妻は、ベタなセーラー服を着せられ、赤や青のロープで羞恥極まりない格好に縛られて、恥辱の仕打ちを受けたそうです。
でも、恥かしければ恥かしいほど快感に拍車がかかり、妻は逝き乱れたと言いました。
大学4年生では、ベッドに大の字に縛られて、両乳首にローター、膣内と陰核にはバイブが当てられ、それを固定されて放置、逝き狂って白目を剥いて気絶する様子を撮影されたそうです。
それは全裸バージョン、冬のセーラー服バージョン、夏のセーラー服バージョンと3種類撮影されたそうです。
腰をビクビク痙攣させて、潮を噴いて逝き狂う様子は、嫁入り前の乙女には絶望的な恥辱なのに、なぜか喜んでそういった行為を受け入れたのだそうです。
准教授との行為は週1回だったそうです。
当然、マゾ調教の後には准教授に抱かれて、射精は口内で、その精液を飲まされたそうです。
准教授には、妻の他に2学年後輩の女子大生、大学職員の人妻のマゾ女性もいて、妻が処女を奪われたころには、妻の2学年先輩のマゾ女子大生がいたそうです。
つまり准教授は、週に3人のマゾを楽しんでいたという事で、そしてその様子を撮影され、後に、准教授が教授になった時に、数々の女性を調教した過程を書き記した手記本として出版されたそうです。
後に出版することは、卒業前に承諾書にサインしたそうなので、妻の痴態も掲載されたのでしょう。
「大学を卒業する時、准教授には高級ホテルのとてもいい部屋で最後のセックスをしたの。とても優しくて、そのセックスでマゾの魔法が解かれたみたい・・・」
妻の打ち明け話に衝撃を受けました。
妻は、経験員数は1人でしたが、4年に亘って変態行為を受け入れ、40代の中年男性の陰茎で淫らを仕込まれ、精液を飲まされていたのです。
まだ、「大学時代に彼氏が2人いたの」と言われた方がマシでした。
妻の話を聞いた後、嫉妬に狂った私は、妻は私のものだという証を妻の身体に刻みたくなり、その方法として陰核にピアスを通そうと考えました。
そのために私は、クリバキューマーという道具を買って、妻の陰核を吸引し始めました。
吸引して数時間過ぎると元に戻ってしまいますが、吸引直後は真っ赤に充血した陰核が膨張して、ちょっと舐めただけでもの凄い逝き方をします。
いつか、膨張しっぱなしになったら、妻の陰核にピアスを光らせ、混浴風呂で晒してやろうと思っています。
この事は妻も承知で、
「そうやって嫉妬してくれるってことは、私を愛している証拠だもの。あなたに全てを捧げた証拠に、アソコを改造されるなら本望よ。ピアスでもなんでも、喜んでつけるわ。」
と言ってくれました。
そして、私に陰核を改造されている時、妻はとても嬉しそうにするのです。
両足を開いて、陰部を丸出しにした恥かしい恰好で私に陰核を吸引されている時の妻を見て、ああ、やっぱり妻はマゾの素質が抜けていないんだなと思いました。
恥かしいことが快感に変わる・・・妻は大学時代に、そういうう体質にされてしまったのでしょうね。