妻を後ろから抱きしめて服の上から乳房を揉みながら、首筋に唇を這わせる。
「あん・・・お父さんったら・・・」
「母さん、いいだろう・・・」
「抱いてくれるの?」
妻はスカートを落とし、パンツを脱いだ。
女陰に指を這わせると、案の定、ヌルヌルに濡れていた。
昭和の女だから、妻から「抱いて」とは言いにくいのだが、女にだって性欲はあるし、30年も夫婦をやっていれば、抱かれたそうな妻の素振りは俺も察する。
妻が手をお尻の方に持ってきて、俺の男根をまさぐる。
既にカチカチの男根を出すために妻が振り返り、しゃがんでズボンとパンツをズリ下げる。
妻を抱きあげ、寝室へ移動する。
全裸になって、そそくさと交わる。
30年、いや、恋人だった時代から数えたら32年愛用してきた妻の女陰は、優しく、時にきつく俺の男根を包み込む。
57歳の俺と54歳の妻が繰り広げる愛の交合、子供を作る目的ではない生殖行為は、夫婦の愛を確かめ合う、愛情表現のコミュニケーションだろう。
男は溜れば出したくなる排泄欲に基づく性欲だが、女は、愛する男の唇を求め、舌を絡ませて唾液を交換して、愛する男が溜めた性の欲望に身体を委ね、愛する男の男根で自分の性欲を満たそうとするのだ。
「ああ、お父さんのオチンチンから出る精液は、私のものよ・・・いっぱい出してね・・・」
外に出した方が後始末が楽にもかかわらず、妻は中に欲しがる。
閉経してからと言うもの、妻は俺の精液を常に中に欲しがるが、俺も、妻の中に出した方が心身ともに満足する。
「母さん、イクよ・・・」
「来て、お父さん・・・ああ~~・・・」
よくよく考えてみると、子供達はもう独立して家にいないのに、妻を「母さん」、俺を「お父さん」と呼び合うのは不自然な気がする。
まして、セックスしているという究極の夫婦の時間で、「お父さん」「母さん」はおかしい。
もっと若い頃は、子供たちがいない空間では、名前で呼び合っていたような気がする。
でも、いつしかどんなシチュエーションでも「お父さん」「母さん」になってしまっていた。
「なあ母さん、子供達がいないときは、昔のように名前で呼び合わないか?」
「え?ああ、そうね。そうしましょう。」
昨夜、名前で呼び合いながらセックスした。
「お父さん」「母さん」に比べて、相手を思う気持ちが伝わって燃えた。
今まで、週に2回程度の営みだったのに、俺は今日も妻を抱きたい衝動に駆られてる。
どれ、久しぶりに連日セックスを誘ってみるか・・・と思ったら、もう勃起してやがる。
それじゃあ、今日も一発、妻に種を仕込んでくるよ。