結婚したのは30年前、俺27歳で嫁は24歳だった。
俺たちが若い頃は、結婚適齢期なるものがあって、男27歳、女25歳だったから、女の子はクリスマスケーキ呼ばわりされてた。
24が食べごろ、25が賞味期限、26で売れ残りと言われた。
男女構成も活発で、10代で初体験するのが普通で、処女と童貞で二十歳を迎えるのは、ヤラずに二十歳、ヤラハタと言われた。
特に大学に進学すると、とにかくヤリまくった。
処女を狙うなら新入生か女子高生を狙った。
でも、大学の後半になると、処女よりも経験済みの女の方がエロい事ができるとわかり、彼女を作らずセフレばかりになった。
特に、バイト先のOLとか、パート人妻の熟れた女体を味わったら、クセになった。
そんな俺は地元に戻って社会に出たら、女無しではいられずに、女漁りをしていたが、都会ほど簡単には釣れなかった。
そんな就職2年目が終わる頃、訪問した会社で、大学時代に大変お世話になったAV女優の「かわいさとみ」に似た女を発見、アタックした。
それが後の嫁だった。
食事に連れ出すことに成功、酒の力を借りて、ラブホに連れ込んだ時、俺25歳、嫁22歳だった。
嫁は短大出て2年目だったが、可愛いだけにモテたんだろう、清純そうな顔してエロかった。
マンコは汚くはなかったが、クリ周辺が赤らんでて、明らかに非処女とわかった。
実際、中で感じる開発済みのマンコだった。
一見大人しそうで、清純そうな女の子がアンアン喘ぐ、たまんなかった。
あんな清純顔なのに、フェラの舌d会はエロく、カリに絡まるような舌なめずり、上目遣いで俺を見つめながらのフェラ、反則なほどエロかった。
結婚したら、セックスヤリまくりだった。
24歳の可愛い女と、27歳の男が一つ屋根の下、しかも、その可愛い女は俺のことが大好きで、チンポ見ればむしゃぶりついてくる。
そして何より、可愛い清純顔してるその女に乳を揉んでも、マンコ広げて舐めても、「何すんのーっ!」なんて言われるどころか、「もっとして」って言われるんだからたまらない。
若い夫婦にとって、セックスとは、究極の「快楽と羞恥と官能」の追求だった。
特に結婚してからの嫁は、妻の座に収まった安心感からエロくなった。
恥じらいが無くなり、とにかくセックスには快楽を求め、どんな恥ずかしい行為も厭わなかった。
特に新婚夫婦の考えることは、セックスのことばかりだった。
で、その時思った。
そんな新婚時代を過ごしてきた世の奥様方は、みんな肉便器なんだと。
普段お澄まししてる職場のOLも、ブラウスで隠したエロい身体からは、昨夜旦那にぶっかけられた外出し精液の匂いがプンプンしてるんだろうなと思った。
スーパーで買い物してる真面目そうな奥様も、昨夜は旦那のチンポおしゃぶりして、マンコにチンポをズボズボされて、ヒンヒン喘いでいたのは確実なのだ。
結婚してしばらく過ぎ、子供が生まれると、夫と妻という夫婦モードの他に、父と母という両親モードが増える。
両親モードの時は、男と女に顔はしない。
でも、子供たちがいない空間では、夫婦という男と女の顔に戻り、基地ビルを重ね、肌を重ね、交わる事で安らぎを感じ、夫婦という信頼のもと、全てを晒して無防備に快感を分け合う。
父と母から夫と妻になってするセックスは、新婚時代とはまた違う。
日常の中にあって、非日常を愉しみながら、愛おしく結合する。
心と身体の両方が満足する。
普段は優しくて可愛いお母さんが、大股開いてマンコ丸出しでチンポを捻じ込まれて、俺の腕の中で裸で快楽に蕩ける、その姿は俺しか知らないのだ。
そしてそれは自分の嫁だけじゃない。
そう、お隣の奥様も、スーパーでレジ打ちしてる奥様も、PTAで香水臭いザマス奥様も、清楚な美人先生奥様も、みんな旦那に股開いて、チンポ捻じ込まれてアンアンやってるのだ。
汗かきのダブ奥様も、スレンダー美人の奥様も、漏れなくやってる夫婦の営みなのだ。
しかし、そんなセックスも、年齢を重ねた今では、お互いに究極の安らぎになっている。
年取っても可愛くて美人で、家事を上手にこなし、家計をやりくりし、子供たちを立派に育ててくれた嫁には本当に感謝している。
新婚時代よりも好きになってる。
五十路になって、肌はピチピチじゃなくなったし、マンコも真っ黒になっちゃったけど、閉経したから中に出し放題だ。
そんな大好きな嫁と、素っ裸になって、真っ黒になったマンコを舐めるとき、幸せを感じる。
使い古されて黒く、まてぇん系した卑猥なマンコは恥ずかしいだろうに、それを舐めさせてくれる嫁が愛しい。
抱き合い、年を重ねた妖艶な女体の柔らかさと温もりを感じながら、愛駅でヌルヌルのマンコにチンポを挿し込むと、嫁が嬉しそうに喘ぐ。
そして、思いきり中に出す時、夫婦のセックスっていいもんだと心から思う。