最初の結婚は元夫26歳、私23歳だった。
優しくて、良い人だった。
暇さえあればセックスしてて、いつもイチャイチャ、凄く仲が良かった。
クンニが好きで、内股に手を入れて大きく脚広げさせられて、ヒンヒン言いながらアソコを舐められてた。
クリを吸われるのもチュパチュパ波動を付けるような吸われ方で、イカされた。
私は、結婚して初めて試した騎乗位が好きで、クイクイ腰を振って、ヒイヒイとはしたなく喘ぎ、
「夫婦だからこそ、恥じらいをs手て感じれる騎乗位ができるんだよね。」
なんて、淫らな自分の言い訳してた。
私、優しすぎる元夫の優しさに調子に乗って、我儘言い過ぎた。
そういうのが積み重なって、元夫は優しさへのプレッシャーになってたみたい。
「俺、ダメな男だよな…」
私の願いをどうしても達成できなくて、落ち込んでた。
そんな元夫の姿を見て、無さk無い男だって思っちゃったし、そういう態度を取っちゃった。
「君には、もっとふさわしい男がいるよ。俺なんかじゃ君を幸せにできない。」
と元夫が口にしたときには、元夫は別れの決意を固めてた。
もう、遅かった。
夫婦最後のセックス、哀しかった。
もう二度とこのおちんちんを舐められない、そう思いながらフェラした。
翌朝、二人で玄関を締めて、市役所で離婚届出して、別れた。
「ごめんね。私が我儘過ぎた。今でもあなたは、私にとって大切な人なのは変わらない。だから、これからは親友でいよう。元気でね。さよなら。」
「ああ。何か困ったことがあったら、連絡してな。親友。それじゃ、さよなら。」
そう言い合って別れて、時々メールのやり取りして、一緒に食事したり、飲んだりはしたけど、セックスは無かった。
そのうちお互い恋人ができて、やや疎遠になったけど、恋の相談とかメールでしてた。
私が先に再婚が決まり、そのことをメールしたら、「おめでとう。」とそっけない一言、だから、「再婚してもあなたのことは大切な人のままだ」という内容の手紙を書いて送った。
そしたら、「俺より旦那さんを大切にしなさい」のような手紙が来た。
その後、連絡はなんとなく疎遠になったけど、子供が産まれたことを書いた手紙に、子供を抱いた私の写真を同封して送ったけど、返事は来なかった。
メールも、届いてはいたけど、返事は来なかった。
「お元気ですか?幸せ見つけましたか?せめて、お返事ください。気になってます。」
と送ったけど、やっぱり返事は来なかった。
淋しさとともに、やがて子育てが忙しくなって、元夫のことも忘れていった。
別れて10年の頃には、ラインが主流になって、メルアド見る機会もなくなってたけど、離婚して10年か…と思ったら、急に元夫が気になって、元夫の誕生日におめでとうメールを送ってみた。
あて先不明で、メールが戻ってきた。
もう、元夫は私の存在を消したんだと思ったら、涙が零れた。
大切な人を失った淋しさに包まれた。
私は、自分の道をしっかり歩いて、いつか元夫と再下賜した時、元夫に恥ずかしくないように生きようと決めて、人生を歩んできた。
それでも、届かない元夫のメルアドを消すことなく、スマホにも残してきた。
今年、元夫と離婚して20年になりました。
私もアラフィフという年代になり、そんなおばちゃんになったバツイチの私を、今でも求めてくれる夫を大切にしています。
別れて20年、やっぱり元夫が気になって、元夫の実家を何となく訪ねてみましたが、何か胸騒ぎがして、近づいてみると、表札が元夫の姓じゃありませんでした。
あれ?と思い、立ちすくんでると、裏の家の方が自転車を引いて出てきたので、訊いてみました。
元夫、11年前に亡くなってました。
元義父母を乗せた車がトラックと衝突して、三人とも亡くなっていました。
そして、元夫は独身のままでした。
10年前に送った誕生日おめでとうのメール、届かなかった理由がわかりました。
私は、遠い昔に墓参りに言った記憶をたどり、元夫の家の菩提寺を訪ねました。
元夫と元義父母は、元夫の本家の墓に葬られていました。
生花と線香を手向け、手を合わせました。
話したいこと、聞きたいこと、いっぱいありましたが、元夫に詫びる気持ちと、3年だったけど、一緒に暮らしてくれたことを感謝しました。
手を合わせ、目を閉じていると、元夫の声が聞こえたような気がしました。
「君とはもう赤の他人だ。一緒に歩む人を大切にしなさい。もう、ここへは来ちゃダメだよ…」
ハッと目を開けて辺りを見渡しましたが、誰もいませんでした。
だから、心で、
「分かりました。今日で最後にします。もう、訪ねません。さよなら…」
そう呟いて、元夫の眠るお墓を後にしました。
そして、前を向いて歩こうともう一度心に決めました。