ちょうどその頃ってデフレで牛丼も今よりもっと安い時期だったけど、それでも我慢しなきゃいけないくらいだったんですね。そういう背景があって友達の前で我慢してるっていうのを想像すると切なくなります(笑)
今はそんなことなく普通に食べられるようになってよかったですね。抜けられてよかった。
高校卒業後、最初から就職をする事が決まっていた私は、他の子が大学入試やらなんや言うてる時は一人で楽してた(笑)そして地元の公立高校を卒業後、私は地元の鉄工所で働く事になったんやけど、本格的に辛い人生の幕開けやったのはこの時からやったかな。働いていた工場は巨大エレクトロニクス工場という規模でもなければ、小さな町工場でもない、一般的な中学、高校の体育館くらいの大きさの工場やった。でも、高校卒業後に新卒という形でこんな工場に勤めにくる女って、まぁ既にいるオッサン連中から普通に足元見られるんやね。最初の1か月は相手もウチの事がどういう奴か分からんから様子見をしているんやけど・・そのうち、(コイツは何かしても大丈夫なヤツや)と思われ始めた2か月目。毎日、毎日、猛烈なセクハラが始まってん。世間ではセクハラやモラハラとかいって騒がれてる時代やのに、ウチの身の回りではテレビでやってる事をはるかに越えるレベルのセクハラが公然と毎日行われてた。朝の通勤バスの中では隣のオッサンがふともも触ってくるし、仕事を教えたる。という体裁で近寄ってくるオッサンには髪の毛の匂いを嗅がれたり。毎日、毎日、4,5名の一部のオッサン工員からボディタッチ等のセクハラか、あるいは視線で舐めまわされる毎日やった。それも半年したら慣れても来たけど、やっぱ毎日、イヤやったのは確かやよね。(どうやったら今の状態を抜け出せるんやろ・・・)と考えてた。そこで自然ととってしまった行動は、今考えれば情けない事なんやけど「媚びを売る」という事を覚えたかな。特に私にセクハラしてくるオッサン連中の中でも、比較的、この工場では力を持っている40半ばのニイサンオッサンに媚びを売って、何とか私を守ってもらおうと思ってん。それから私は面従腹背しながらニイサンオッサンだけに自分から仕事を教えてもらおうと、積極的に質問していったり、なんでもニイサンオッサンのいう事だけは「ハイ!わかりました。気を付けます!」と、こうして媚びを売っていた。するとニイサンオッサンも私がニイサンオッサンだけに指導を求めていく姿勢っていうのが悪い気せんのやろね。それから私はニイサンオッサンの直弟子みたいな立ち位置になっていき、自然と他のオッサンからの陰湿なセクハラは影をひそめていったかな。ただ・・・。そのNO(ニイサンオッサンの略)からは見返りを求められるようになっていった。NOはハッキリ言葉にはしなかったけど、ニイサンオッサンは「今、会社でやりやすくなっているのは俺のおかげや」みたいな態度を取るようになっていってん。究極やったのが・・NOやその周辺の、今まで私をイジメてたオッサン連中と飲みにいった時の話。その頃は私もNOの直弟子としての立場が確立されてたので、飲みの席でもNOの隣に座って酌をしてた。NOからは「あっちもビールついだれ」と言われたらすぐに「はい」といってビールをつぎにいったり。NO「ええか。相手のグラス良く見とけよ。グラスが四分の一になったら、すぐつぐんや。それ基本やぞ」と、今ではこういう文化もアルハラやねんけどな(笑)そして、酔っぱらったNOは、これ見よがしに私の腰に手を回してきて、そのまま回してきた手で胸を揉み始めてん。NOはきっと、他の連中の前で「俺はここまで出来るんやぞ」と、私に対しても連中に対しても、自分がこの場の一番、力を持ってるんやぞとマウントを取りたかったんやろうな。でもこの日の事は強烈に覚えてるわ。だって男の人に胸触られたのなんて、この日が初めてやってんから(笑)しかも大衆の目の前でwそしてその日は飲み会の場ではオッサン連中からのセクハラ質問を集中的にされる事になった。「今まで男と何人とヤってん」「フェラした事あるんか?」「今、パンツ何色はいてん?」そんなレベルの低い質問ばっかりやったけど、私も真面目に「こう見えてもまだ18ですよ。まだヤった事ないですw」と答えてた。そして飲み会終了後・・・NOは「まだ時間あるやろ?俺の家こいや」と言ってきた。直観したよね。。(ヤルつもりやな・・・)ってね。でも断る訳にはいかんかった。もし断ったら、今まで媚びを売ってきた毎日の努力が無駄になるし、今まで以上に酷いセクハラを受けるような気がして・・。今思えばそんなんセクハラもなにも証拠にとって労基や警察に言って、逆に相手をゆすったるくらいの意気込みで対応していかないと連中をのさばらせるだけって思うけど、この時は所詮、まだ18歳。理不尽と戦っていく知恵なんて持ってなかったよね(笑)そして私はNOが暮らしている独身アパートへと連れて帰られた。そして部屋はめちゃくちゃ散らかってた。(こんな場所が私にとっての初めての場所になるんか・・・)と嘆きたくなってきたよね。それから私は部屋を掃除して片付けする事から始め、2時間後にはNOの部屋が割とまともに人を呼べる状態にまでなっていった。NO「やっぱ女手あると助かるなw」なんて上機嫌やった。なぜならこの後、NOは私を脱がせてヤろうと考えているんやから。そりゃご満悦やよね。そしてNOの冷蔵庫からまたビールを出して、二人で飲み
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ここまでの話が、入社1年目~3年目くらいの話やねん。この3年間、年齢で言えば21歳になる頃には男性経験も4~5名(詳しく覚えてない)同じ工場の人と1年に1人以上のペースでヤってるから、そりゃ噂も立てられるわ。っていう感じやったと思う(笑)でも、そんな噂を立てられても、仕事以外で同じ会社の人と歩いているのを見られても、私としてはなんの負い目も感じていなかったんよ。言い換えれば「相手のほうから言い寄ってくるんやもん」くらいに思っててん。それだけ男女比は女が圧倒的に少なかったよね。どれだけ、そんな「噂」が絶えない女でも、周囲の男はあの手この手で私に近寄ってきたんだよね。この頃、私は実家くらしをしていて信じられないかもしれないけど、毎月、自由に使える2万円を除いては全部を実家に入れていた。母親も似たような工員をやっていたのでどれくらいのお金を稼いでいたのかも知っているし、当然、母親だけの給料だけでは生きていくことはできなかったから。(どうやって育ててきたのか未だに不明w)でも、私が常に1人ないし2人の男。ここでは保護者というけれど、それを抱えた状態で生きていくと、なけなしの2万円が余る事も珍しい事じゃなかった。外で会えば食事は奢りだし、服やカバンも買ってくれた。そして私に接近してくる男もちゃんと弁えていて、私なんかを相手に真面目に付き合おうというする人は皆無だった。みんな妻子持ち、不倫関係、セフレ、そういった立場で私を求めてきた。だからこそ、工場の中にいるキャバクラ嬢ではないけれど、私に自分以外にも関係を持っている相手がいる事を承知の上で接触してきた。つまりカラダ目当てって言えばそうれが正解なんやと思う。当然、私も弁えており、性行為=金銭欲求なんていう露骨な事はせず、遠まわしに遠まわしにその代価を物品で支払わせる事に長けていた。もちろんその物品を換金する事は珍しい事じゃなかったけどね。でも、そんな闇を背負っているからこそ、普通に同級生たちと対等に遊ぶことができた。着ていく服も中高生時代の、明らかに経済苦がにじみ出るような格好ではなく、それなりに流行の服も着る事ができた。一緒にランチにいっても昔の牛丼の時にように一人やせ我慢をする事もなく、場合によっては「私がおごったるわw いっても社会人やしw」と大盤振る舞いする事もあった。そして私はこの闇を背負った生活から脱却しようとも思わなかったよね。そもそも、この闇自体に罪悪感を感じてはいなかったし、むしろ保護者がいない生活をするほうが、自分自身にも実家にも迷惑をかけると思っていた。そのうち、真剣に結婚して真面目な生活を送るに値する相手が現れたその時こそ、、こういった闇とはオサラバしようかな。なんて楽観視しててんな(笑)じゃ、ここで想いでの話を書くわな♪そんな私生活をしているからか、、天罰(私は罰と思った事なかったけど)が下った時があった。それは入社3年目、22歳の誕生日になる少し前の話。いつものように工場に出社したその時、会社の中はある動画の話題で盛り上がってた。それは同じ工場に務めるある男性工員が落とした携帯電話の中に、それを拾った同じ会社の工員が見つけて何気なく中を覘いた時・・・顔は映っていなかったけど、ハメ撮り動画が入っていた。という件。(落とし主は携帯オンチで携帯のパスワードロックとかやってなかった)そして男社会の鉄工所の中で、その流出動画はあっという間に拡散される事になり、そして様々な噂がついて回ったのは言うまでもないやんな(笑)「顔は映ってないけど、なんとなく体つきは美沙にそっくり。」「携帯おとしたアイツ、美沙と個人的に仲よかった奴だよな」「なんせ顔がわからない分、、徹底的な証拠にはならないけど・・・アイツなんじゃね?」うん。そうやなw これ私w 私もとあるルートでその動画を手に入れる事が出来たけど、それは同じ工員のAとヤってる時の動画だった。ただ不幸中の幸いなのは、動画がその1本だったこと。(他に画像や他の動画はなかった)本当に顔が映っていなかったこと。そして私が声をだしていなかった事。これらは本当に不幸中の幸いだった。でも、動画のシーンはわりとエグイ範疇に入る動画であって、私のアソコのシーンのドアップと、クリを指でしごいている映像。そして・・・同じくドアップで陰部が挿入されていくその過程の5分くらいの短い動画だった。確かに・・あの時、撮影されていたのは覚えている。でも部屋は薄暗かったし、顔はとっていなかったので黙認してはいたけど、まさかこういう形で「公開」されるとは思いもしなかった。でも・・・人が何を思おう勝手。それはわかる。あの動画の女は製造2課の美沙という事で決着がついていった。その動画流出事件から、さらに私への視線が異質なものになっていったけど、だからこそ余計に私は態度を硬化させていったんだと思う。(別にいまさら)と思っていた。
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