結婚して2年、子作りセックスを始めた頃、妻が病魔に倒れました。
精密検査の結果、悪性腫瘍・・・そして、医師から、
「お腹のお子さんは、残念ながら諦めてください。奥さんの余命は、そこまでは・・・」
目眩がしました。
それは、妻の余命ではなく、避妊していたのになぜ妊娠していたのか?でした。
とりあえず妻の着替え、下着を用意しないとならず、滅多に開けないタンスを開けました。
どこに何があるかさっぱりわからないから、引き出しごと引き抜いたら、奥の方に赤や紫の派手な下着が・・・何だよこれ・・・一番下の引き出しを抜くと、タンスの底の畳の上に箱が・・・もう、最悪でした。
中身は大量のPCカードとコンパクトフラッシュ、記録されていたデータは、妻と見知らぬ男のハメ撮り画像のオンパレードでした。
セーラー服を着た妻の写真ももあり、コスプレかと思いきや、データの日付を見ると最も古いものは7年前、高校3年生の妻のハメ撮りでした。
PCカードの裏には「愛しい先生との愛の記録」と書かれていました。
清純そうな顔した妻が、清純の象徴であるべきセーラー服を着たまま下半身を晒し、初々しい桃色の女陰を割られ、恥かしい女穴を撮影されていました。
それは、女唇の襞、勃起した女豆のテカり、女豆を囲む包皮まで鮮やかに写され、まだ高3の少女が性の快感に虚ろな表情を見せる顔と禁忌な挿入部を同時に写す広角レンズの歪みもまた淫猥に写っていました。
しかも、間男教師の既婚男根は、生のまま高3だった妻の女穴を貫き、その精液は妻の口の中に吐き出され、高3のセーラー服少女だった妻は嬉しそうに精液を飲み干した証拠に、口を開けて精液が残っていないアピールをした写真もあった。
妻が短大時代の写真では、うら若き嫁入り前の乙女がM字開脚に縛られ、女唇に洗濯バサミを大量に挟まれ、恥かしい裂け目をこれでもかというほど広げられた写真があった。
しかも、その裂け目にはビール瓶、トウモロコシ、温泉で売っているコケシなどが無理やり突っ込まれ、まだ二十歳そこそこの妻が白目を剥いていました。
もちろんその後は、間男教師の生男根で女陰を抉られ、精液を浴びて恍惚の表情を見せていました。
妻が短大を卒業して社会に出た頃から写真の枚数が減り、逢瀬は月一回程度になったことから、間男教師が転勤して遠距離になったことを窺わせました。
おそらく、間男教師は妻と関係していたのは、単身赴任の性欲処理だったのかもしれません。
そして、ついに中出しハメ撮りが横行し始めるのです。
妻は、私との営みでは見せたことのないウットリとした幸せに満ちた表情で、間男教師の精液を女陰から垂れ流していました。
間男教師の子を宿してから、私に子作りを求めたのでしょう。
つまり妻は、それほどまでに間男教師を愛していたのです。
私との愛は、偽りだったのです。
愛する妻が余命宣告を受けたものの、お腹の子の父親が自分ではない公算が強く、妻への愛情は覚め、妻が生きているうちに不貞の証拠固めをしなければと躍起になりました。
間男は思った通り、妻の高校時代の担任で当時から既婚者、おそらくお腹の子は托卵でしょう。
私は、妻に成りすまして妻の携帯電話から間男に、余命宣告を受けた旨を送信し、一目会いたいと書きましたが、間男はこれ幸いと思ったのでしょう、やってくることはありませんでした。
瀕死の妻に証拠を突き付けて離婚しようと思ったところで、夫婦で入っていた生命保険を思い出してその行動を思いとどまり、私の妻として見送りました。
子を宿したままの妻を亡くした悲劇の喪主を演じ、参列者の涙を誘った後、義父母に妻の遺骨を渡し、
「こんな小汚い女は私の妻として弔えません。一応、世間体から喪主を務めましたが、遺骨はお返しします。」
と言い、
妻の不貞の写真の中で、高校時代の淫乱少女だった過去から中出し種付け不倫まで、どぎつい写真をセレクトして印刷して義父母と義兄夫婦に突き付け、死後離婚、つまり姻族関係終了の手続きをする旨を宣告しました。
義父母は呆然と立ち尽くしていたので、
「親御さんには、娘のしでかした膨大な裏切り、しかも確信犯ですから、責任は取っていただきますよ。」
と言い切った私の心は、ズタズタでした。
ヘナヘナとへたり込んだ義父母とそれを脇から支えた義兄夫婦に背を向け、私は妻の実家を後にしました。
数日後、義兄が500万円を持って私を訪ねてきました。
「これで許せとは言わん。これで愚かな妹を忘れてもらえたらと思う。済まなかった・・・」
何の落ち度もない義兄に頭を下げさせた義父母に憎悪を抱きました。
もちろん、間男教師にも制裁を加えました。
口止め料と称して、数回にわたって数百万円をむしり取り、その上で不貞の証拠を公表して家庭崩壊、当然学校にも現役女子高生の教え子との関係を告発、社会的にも抹殺しました。
あれから15年が過ぎ、私は現在44歳、12年前に再婚した妻は35歳、妻は元妻の従妹です。
元妻亡きあと、四十九日にも新盆にも、一周忌にさえ顔を見せなかった私に不信感を抱いた元妻の従妹は、密かに私を訪ねてきました。
当時妻は短大2年、愛くるしい顔をしているのに鋭い推理で私に質問を投げかけ、結局全て白日の下に晒されました。
「俺の負けだ。全て話すよ。でも、これが明るみになるといろいろ傷つく人もいる。内密にしてほしい・・・」
と言いました。
私は、元妻の夫として、親戚だった元妻の従妹を可愛がっていましたが、まさか憧れられていたとは思っていませんでした。
元妻と結婚した頃、女子高生から短大へ進むタイミングだった妻は私からすれば子供扱い、親目線で進路のアドバイスなんかしていたくらいでした。
短大を卒業した妻は私の勤め先へ就職、私は妻から逃げるように振る舞っていましたがすぐに捕まり、秘密を共有する間柄というアプローチで上手に取り込まれました。
愛くるしい顔をした妻でしたが、元妻の面影が時折見えるので切なくなるのです。
そんな元親戚、しかも愛憎の修羅場を演じたので避けたい相手でしたが、あれだけ真剣に言い寄られて、処女まで捧げられては・・・という感じで再婚しました。
大反対の結婚は当たり前、妻は、実家を捨てて私の元へ来ました。
結婚して12年ですが、今も妻からは痛いほどの愛情を感じます。
先日、妻の父が亡くなりました。
さすがに無視できないので告別式に顔を出し、元妻の両親と義兄夫婦と顔を合わせました。
「その節は・・・」
と挨拶を交わしましたが、それ以上の会話はありませんでした。
不思議と憎しみの感情はありませんでした。
時間が解決するという事を、身をもって感じました。
帰宅して、ずっと隠してあった元妻の残したPCカードとコンパクトフラッシュをハンマーで砕き、事の顛末を文章にして、ここに書き込んでみました。
今思えば、騙された私も間抜けだなと思います。
その分、身一つで嫁いでくれ、私ソックリな子供を2人も生んでくれた妻を大切にしようと思います。