大学3年生の時に、ひとつ年下の彼女を海外で寝取られてしまった。
それはちょうど、沙知と付き合って半年が経った頃だった。
沙知は、俺と同じボランティアサークルのメンバーだ。
学部は違うが、勉強は良くできる方だと随所から聞いていた。
また、彼女は明るく何事にも積極的なので、男女問わず人気があった。
そんな沙知の彼氏になれたということで、俺は非常に羨ましがられる立場だった。
沙知は、俺の所属するボランティアサークル以外に、英語同好会にも所属していた。
英語同好会は、大きく分けて英会話を主とする「グローバルコミュニケーショングループ」と、英文学や文化研究を行う「研究会」に分かれていた。
当然、活動内容はそれぞれ異なり、活動日も同じではなかった。
とはいえ、同好会内で派閥ができたり仲が悪いと言ったことはなかった。
実際に、グローバルコミュニケーショングループと研究会を掛け持ちしているメンバーも少なくなかった。
そんな中で、沙知はグローバルコミュニケーショングループにのみ席を置いていた。
沙知いわく、「バックボーンの研究なども大事だけど、まずは英会話スキルがないと」ということらしい。
ボランティアサークルとの掛け持ちを選んだため、英語同好会内で2つを掛け持つのは辞めたのだそうだ。
その決断のおかげで、彼女と出会えたと思うと、それは喜ぶべき決断だった。
沙知がボランティアサークルの説明会に来た当初から、俺は彼女に目を着けていた。
勿論、目を着けていたのは俺だけではない。
ちゃっかり彼女がいる先輩たちまでも、沙知には目を着けていた。
多分、その年の男子メンバーが多かったのも彼女のおかげだろう。
実際、俺との交際が表沙汰になってから、顔を見なくなった男子メンバーがかなりいた。
彼女と俺の距離を縮めたのは、日々の活動の積み重ねもあったとは思うが、冬の雪下ろし合宿の時だった。
若者が減った集落などでは、雪下ろしをするための人手が足りない。
除雪を手伝いながら、サークル内の親睦を深める3泊4日のボランティア合宿だ。
その3日目の夜、真っ赤な頬の彼女を前に、俺は自分でも驚くくらいの積極性を見せた。
半ば押し切られるような形でもあったが、彼女は俺の思いを受け止めてくれた。
そうして3日目の夜から最終日に日が変わろうとする頃、俺と沙知はひとつになった。
それは、驚いたことに、そして嬉しいことに彼女にとって初めての経験だった。
さんざん悩んだ末にダメもとで持って行ったゴムが、人生で一番輝いた瞬間だった。
そうして始まった俺たちの交際は、特に喧嘩も修羅場も無い穏やかなものだった。
そんな順風満帆な生活が急展開を迎えたのが、半年後の夏だった。
俺は、その当時3年生。
沙知にとっては2年生の夏だった。
ボランティアサークルは、夏の子供地域交流イベントを終えて、落ち着いたところだった。
次の、自然体験キャンプの指導員が始まるまでは、2週間も目立った活動は無い。
おかげで、俺と沙知が揃って参加するような活動は無かった。
そんなタイミングで、珍しく英語同好会の大きなイベントが予定されていた。
英語同好会というよりは、グローバルコミュニケーショングループの活動と言うべきだろう。
海外ボランティアへの参加。
グループとして、さらには同好会としても初の試みだった。
ボランティアサークルに所属する沙知としては、是非とも参加しなくてはならない活動だ。
実際に、周囲の期待も相当あったことだろう。
そういうわけで、半ば当然のように彼女の参加は決定した。
実際の活動場所は、実のところ俺は良く知らない。
と言うのも、数ヶ国にまたがった活動のようだからだ。
前半は、1日一ヶ国のペースで移動しながらの活動だったようだ。
最初の3日は、彼女から何かしらの連絡があった。
詳細が分かったのは初日だけで、2日目は「無事です、心配しないでいいよ」という短いメールだけだった。
短い連絡もついに4日目で絶え、その次の連絡が別れを切り出すものだった。
それもほぼ一方的なもので、「別れたい。もう関わらないで欲しい。」という急過ぎるものだった。
状況的に、落ち着いた話し合いができるわけもなく、よくわからないまま俺たちの関係は終わってしまった。
事の真相を知ったのは、思わぬところからだった。
それは、秋の短期バイト先でのことだった。
たまたま俺と同じ作業班になった別大学の男の子が、沙知の急変の真相を知る人物の知り合いだったのだ。
彼に紹介されたのは、彼と同じ学部の女の子だった。
ここでは、彼女をFさんと呼ぶことにする。
Fさんは、彼女の通う大学の複数あるボランティアサークルの中の1つに所属していた。
彼女の大学のボランティアサークルは、その活動ごとに分かれていた。
子供福祉、災害復興支援等がある中で、彼女が選んだのは国際協力活動を重点に置く団体だった。
彼女の所属する団体は、前半は別日程で活動を行っていたらしい。
そして、Fさんたちの活動では5日目、沙知のグループにとっては活動4日目の夜に彼女らは合流したのだそうだ。
実際にはもう1団体もいて、3団体が合同で活動していたようだが、これは特に重要ではない。
そこでは2日間の共同作業があったようだが、それに先駆けて合流直後に顔合わせがあったらしい。
「こっちからはボランティアサークルに追加で、外国人留学生数人も参加してたんだけどさ。」
そうFさんは言い始めて、そこで言葉が詰まった。
しばしの沈黙。
だが、それも俺の注目、というか圧力に耐えかねたようにもろく崩れた。
ぽつりぽつりと吐き出されるFさんの言葉は、その一つ一つが衝撃的だった。
サークルメンバーではないイケメンが参加していたので、声を掛けたら日本語がたどたどしかったこと。
話してみると、実は彼は彼女の大学に長期留学している留学生だったこと。
今回参加している彼とその友人2人は、日本語は少し話せる程度だが、英語が得意なので国際支援プログラムに参加したということ。
そんな彼らの部屋に出入りしていた、別のボランティアグループの女子がいたこと。
もはや言うまでもないことだが、彼らの部屋に出入りしていた別グループの女子こそが、沙知だった。
沙知は、海外の活動現場で合流した別大学の男子留学生たちの部屋に出入りしていたのだ。
ちなみに出入りと言っても色々あるので、ここでは厳密に書こうと思う。
わかっている限り、沙知が彼らの部屋に入るのは夜で、出ていくのは早朝だった。
その間の出来事については、Fさんの同級生の男子メンバーが詳しかった。
そんなわけで、事情通の彼も含めた情報共有貝となった。
ちなみにFさんも、事情通のTも1年生だった。
Tは、Fさんが話したことがあるという留学生と最初の2日間で仲良くなっていた。
彼はKといって、TやFさんと同じ1年生だった。
ちなみに年齢も同じだ。
Fさんの言う通り、日本語での会話はまだまだだが、英語とボディランゲージを駆使すれば意思疎通は可能だったようだ。
そんなKから、お誘いがかかったのが活動7日目の夜だったそうだ。
2日間の合同活動を終えて、打ち上げも終わった最後の夜だった。
Tが部屋を訪れると、そこにはKたち3人がいた。
TとTの同期、そしてTの先輩の3人が合流して3対3になった。
そこに現れたのが、沙知だった。
Kたちは、最初は沙知の肩や腰を抱いたり程度だったが、徐々にエスカレートしていったらしい。
胸は揉むし尻は撫でる、スカートの中に手を入れる。
そして残念ながら、そんなものでは終わらなかった。
パーカーとシャツを脱がされた沙知は、上はブラジャーのみの状態にされた。
下はデニムスカートだったが、Kに後ろから両足を抱え上げられ、無理やり開脚させられている状態のため、最早スカートの意味をなしていなかった。
沙知は、普段ならロングスカートの下にもスパッツを穿いている。
どんな時でもチラ見えしてしまわないようにという配慮らしい。
実際、サークルメンバーで彼女のスパッツの中を知る男子は俺だけだっただろう。
しかし、そのスパッツも事前にKに脱がされていたので、その時点で上下とも下着丸出しの状態だった。
沙知はどうやら、Kに彼氏がいることを隠していたらしい。
まあ、当然と言えば当然だろう。
それをKはひどく怒っていたのだそうだ。
彼氏がいるということを、沙知からでなく別のグローバルコミュニケーショングループのメンバーから聞いたというのもマズかった。
さらに、沙知が嘘をついて有耶無耶にしようとしたのが怒りに拍車をかけたらしい。
中途半端な関係を続けるのは許さないから、別れるのなら自分の前でしっかり別れてみろと命令したらしい。
その結果が、突然の俺への別れ話だったのだ。
実はというと、沙知と俺の日本語でのやり取りを保証するための立会人として、Tが呼ばれたのだった。
そうとも知らず、同期と先輩を連れて行ったという点では、おれはTを恨まなくてはいけない。
おかげで、立会人は3人になってしまった。
彼らの前で俺と別れることを約束した沙知は、Kに強制開脚させられたまま俺に連絡を取ったのだそうだ。
3人の立会を同意した時点で、なんとKは沙知のショーツまで奪い取っていた。
無論、ブラジャーなど着けているはずもない。
あの最後の瞬間、俺の見えないところで沙知は素っ裸にされ、大事なところを立ち合いの3人に見られていたのだった。
そして、Tの話には続きがあった。
「ボーイフレンドとの関係を本当に断ち切ったのなら、ここでそれを証明して見ろ」
そうKは言ったのだそうだ。
その方法は、もはや無茶苦茶だった。
そして、それを受け入れた沙知も無茶苦茶だった。
最初に挿入させられたのはTだった。
贔屓無しに、沙知の裸体を目の前にして反応しない男はいないと思う。
そうして準備万端なものを受け入れることをKは強要したのだった。
Kは、合体している2人と、その結合部の写真を証拠として撮影していった。
後になれば何とでも言えることなのだが、Tは罪悪感と快感でとても困惑したそうだ。
Tの同期は、Tと違って積極的だったそうだ。
せっかくの降ってきた幸運を最大限に堪能していたらしい。
彼は、沙知の豊満な乳房を存分に揉みしだき、自分のブツを奥まで挿入して快感に浸っていた。
諦め顔の沙知と下半身で連結した写真で、彼はピースサインをしながら笑っていた。
その写真は、彼がKから貰い、頼まれてもいないのにTに送り付けたものだった。
続く写真には、嫌がりながらも彼のブツを咥えさせられている沙知の姿が映っていた。
そんな彼が撮影した秘蔵の写真が、まだ数枚残されていた。
Tが躊躇しながらも見せてくれたのは、沙知と合体する最後の立会人の写真だった。
Tの先輩だというが、確かに立派なモノを持っていた。
その太いグロテスクなキノコの笠は、明らかに通常の人より幅があった。
そしてその形状ゆえか、笠の根元というか裏の部分には黄色いカスが大量にこびりついていた。
その汚らしいキノコが、沙知の大事な割れ目を大きく押し広げながら埋まっていった。
その光景を、コマ送りのように複数枚に渡って記録してあったのだ。
Tは順番に写真を表示していったが、キノコの根元まで刺さり切ったところで一度手を止めた。
彼は数枚飛ばして別の写真を見せてくれたが、俺には見えていた。
深くまで刺さったキノコが再び抜き放たれるとき、その黄色いカスが減って少しきれいになっていた。
Tの先輩は、つまりはKたちの先輩にもなる。
格好をつけたかったのか調子に乗ったのか、その先輩はKが撮影している前でどんどん腰を振り出したらしい。
リクエストもされていないのに、最初のバックから正常位へ、半ば強引に沙知に命令してソファに腰かけた自分に跨らせて沙知を突きまくったそうだ。
Tも、Tの同期も、撮影のため単純に挿入した後はフェラで抜いてもらったらしい。
それを先輩も見ていたはずだった。
「アー、ヤバイヤバイ。撮ってる? 抜くぞ?」
大量の写真の中、唯一の動画には、彼が凶悪な男根を抜いた瞬間が記録されていた。
沙知の中から出て来た汚いキノコの先端からは、白い液体が滴り落ちていた。
そしてその液体の大半は、沙知の中に無許可で注ぎ込まれ、割れ目から溢れ出していた。
顔を真っ赤にしてうつむく沙知の隣で、満足そうに笑っている例の先輩の写真もあった。
それを見た時、俺は瞬間的に狂いそうになった。
Tの先輩と呼ばれていた男は、俺の中学時代の同級生だった。
まわりの空気を読まずにウザがられていて、頭も良くない。
普通なら絶対に沙知と関わるはずのないクズ人間だった。
そんな奴が、自らの醜い性欲を一方的に発散させ、沙知を泣かせて笑っているのだった。
こうして、俺と別れた直後に沙知は3人の男と生で交わり、最悪な奴に中出しまでされていたわけだが、Kたち3人との交わりはさらに酷かった。
TがKから貰ったという写真を見せてもらった。
沙知とKたち3人は、室内で全員全裸で触れ合っていた。
一緒にシャワーも浴びていたし、3人とも沙知と毎晩交わっていた。
そればかりか、日中の活動の合間にも隠れて合体したりしていた。
Tが、沙知とKの最初の交わりの写真を見せてくれたが、その時も沙知は全裸だった。
彼女は、流れでKの友人2人とも連続で繋がっていた。
ちなみに全員ゴム無しで、遠慮なく中で発射していた。
その後、別々の活動を終えて日本に帰国後、沙知はKたちに呼び出されていたようだ。
俺たちのボランティアサークルには、一切顔を出さなくなった。
英語同好会にも、参加しなくなった。
彼女としては、Kたちへの性的奉仕活動が一番の国際交流だったのかもしれない。
結局、妊娠したとか捨てられたとか、いろいろな噂が飛び交う中で彼女は大学を去った。
今でもどうしているのかわからない。
ただ、最近になってわかったことが1つある。
たまたま目にしたグローバルコミュニケーショングループの活動報告にはこう書かれていたのだ。
19時 :ホテル到着
19時半:別団体と合流・顔合わせ
20時 :解散
こんなことが信じられるだろうか。
俺がTから見せられた沙知とKとの初合体の写真、その撮影時刻を知った時の感想が「こんな早い時間から何してんだ」だった。
記憶違いでなければ、その時刻は20時ちょっと過ぎだったのだ。
20時頃に解散してそのまま彼らの部屋に行った沙知は、出会ったばかりの彼らの前で生まれたままの姿を晒し、知り合って1時間以内に3人ともと肉体関係を持っていたのだった。