緊縛調教は日本が生んだ素晴らしい性文化ではないでしょうか。
屈辱的な格好で縄をかけられて身動きを封じられ、人として恥ずかしい部分を弄られて、快感に負けて喘いだ時、全てのプライドが崩れ去り快楽に身を委ねるようになります。
そこに、愛する人を寝取られという屈辱が加われば、絶望的な興奮が心身を支配して倒錯した快楽に身を置くことができます。
無限の種類がある緊縛という被虐行為に、寝取られという被虐の組み合わせは、もっと探求すべき奥深さがあるように思えます。
私は両親を早くに亡くし、某社長の邸宅に住み込みで働いております。
現在の社長は、私がお仕えした時の社長のご子息で、私の5歳年上の50歳と比較的年齢が近いのであります。
奥様は私と同い年の45歳で、とてもお綺麗な方です。
私の主なお仕事は、数台あるお車のお手入れなどの車両管理や送迎の運転ですが、それ以外にも、社長と奥様の性奴隷としての立場がございます。
私には、元、前社長の愛人だった靖子という38歳の妻がおります。
靖子も両親を早くに亡くし、18歳から社長邸宅でお手伝いをしております。
靖子は小柄で華奢な女で、非常にあどけない顔をしており、自らロリコンジジイと豪語していた前社長に処女を奪われ、月に数回手籠めにされていました。
同時に、私は奥様のお相手をさせられておりました。
当時50代の奥様はお綺麗な方で、閉経しておりましたので、私の若い精液を毎回タップリと子宮でお召し上がりになっておりました。
私は、陰茎や尻穴などを奥様に蹂躙されてヒイヒイしては笑われておりました。
私は、あどけなく可愛い靖子に密かに恋心を抱いておりましたが、私のような下僕に相応しくないと諦めておりました。
靖子が社長に手籠めにされる場面を何度か目撃して、心を痛めておりました。
やがて、前社長の男性機能が著しく低下して、性への欲望も薄れて、靖子は23歳でお役御免となると、私と結婚させられ、邸宅内に建てられた使用人宅に住まうようになりました。
そこは、道路からは独立した一軒家に見えますが、塀の内側に通路があって邸宅と繋がっており、私と妻の靖子はそこから仕事に通い、子供たちは普通に通学しています。
私は、靖子をとても大切にして、儲けた二児を育てながら幸せに暮らしておりました。
しかし、私も靖子も、普通の性生活を続けているうち、何か物足りなさを感じるようになったのです。
靖子は、前社長にされた被虐の数々を打ち明け、私は奥様にされた被虐を打ち明けました。
私たちは、互いの被虐経験に嫉妬しながら、興奮して性生活を営むようになりました。
現社長が隠居して、ご子息が新社長になられた5年前、私と妻の靖子は、現社長の部屋に呼ばれました。
「お前たち、親父とお袋の性奴隷だったんだってな・・・俺達も結婚して15年、最近倦怠期でね。お前たち、俺たち夫婦の性奴隷にならんか?もちろん月5万円ずつ、夫婦で月10万円の追加お手当付きだ。これから子供たちの進学で金がかかるし、お前らも凌辱されていた頃を思い出して燃えるんじゃないか?」
現社長の性奴隷になって5年になります。
元々マゾな夫婦ですから、社長夫婦から緊縛調教を受ければ、たちまち被虐の悦びを思い出しました。
妻が社長に縛られて、妙な淫具で悶えさせられている様子を見ながら、私は同い年の奥様に陰茎を虐げられるのです。
初期の頃は、奥様が髪の毛を束ねるのに使っていたゴム紐で陰茎を縛られて、焦らしの手淫に悶えていましたが、ここ2年ほどはかなりハードになっています。
奥様がいろいろ御研究なさったのでしょう、陰茎の緊縛に園芸用の麻製の紐を使うようになりました。
麻製の紐で陰茎だけでなく陰嚢も、それも睾丸を左右一つずつ独立するように縛られるのです。
麻製の紐での緊縛は、麻縄で陰唇を捲られるように緊縛されている妻の靖子と同じ質感で、陰茎と睾丸を凌辱されているようで、被虐心が増すのです。
しかも、妻の靖子はM字開脚で晒した膣口を社長の陰茎で掻き回されて、快感に喘いでいるのです。
ああ、愛しい靖子が社長に犯されて喘いでいる・・・あどけなく可愛い靖子が緊縛強姦で壊れていく・・・ああ、奥様、私にも靖子と同じ快感をください・・・と心で願うのであります。
同い年の綺麗な女性に縛られて惨めに変形した陰茎と陰嚢ですが、その陰茎や陰嚢の縛り方は色々あって、しかもどの緊縛も羞恥的で気持ちよいのです。
夫である社長が使用人を緊縛強姦しているのですから、奥様とて黙っていません。
奥様は、陰茎緊縛をお解きになって、わたしの睾丸を強く縛りました。
キュキュッと睾丸を一つずつ縛られた痛みで、なぜか緊縛を解かれた陰茎が敏感になり、奥様に跨られて射精を我慢するのが地獄のようでした。
「中で射精したら、社長に殺されるわよ・・・」
と言いながら、縛られてピンピンになった陰嚢をくすぐられながら腰をグラインドされると、
「お、お、奥様、出てしまいます、精液が出てしまいます~~~」
しかし、睾丸をそれぞれキツく縛られているからか、ツーンとした痛みが襲うだけで射精はせず、空砲を撃ったように次第に萎えていきました。
先日、奥様の大学時代のご学友が2名遊びに来られました。
私は、奥様に呼び出されて、顔に覆面をさせられて、ご学友の面前で、睾丸縛り焦らし射精ショーをさせられました。
睾丸を左右独立して縛られ、陰茎も縛られたみっともない男性器を目の前にして、奥様のご学友は、
「まあ、おちんちんSMなの?殿方のシンボルなのに恥ずかしいわあ・・・」
と蔑んだ会話が聞こえました。
奥様による焦らしの亀頭責めという射精管理を受けながら、発狂寸前まで悶絶させられました。
奥様のご学友も参加して睾丸や亀頭を同時に撫でられ、ついに耐え切れずに、
「ううっ・・・うぁっ・・・うあぁぁぁぁぁ・・・」
腰を痙攣させながら、ドロッドロドロドロドロと、ゆっくり射精すると、奥様のご学友は、
「おちんちん縛られながらイクなんて、とんでもない変態ね!」
射精している間も、奥様は敏感な亀頭を撫でることを止めないので、
「ううっ!くぅぅぅぅぅ~~!」
複数の第三者に射精を見られる屈辱の観察調教の快感で、陰茎緊縛の奥深さを知りました。
昨夜も、妻の靖子が社長に緊縛強姦される脇で、奥様に陰茎緊縛されていました。
昨夜緊縛されたのは陰茎だけで、奥様は緊縛から逃れた睾丸をつまんで、キョロキョロさせました。
その優しいキンタマ潰しは、私に新しい快感を与え、縛られた陰茎がビクビクしているのが自分でもわかりました。
隣で、あられもない恰好で縛り上げれられた靖子は、上半身だけドンキホーテで買ったようなセーラー服を着せられて、可愛い顔で喘いでいました。
「ああっ、イキそう。あ、あなた見ないで、あなた以外のちんちんでイクとこ見ないで、ああ~~~だめぇぇぇぇ~~~」
社長の陰茎で仰け反る靖子、奥様に睾丸を捻られて仰け反る私、妻がアクメの咆哮をあげたとき、私の陰茎は精液の飛沫をあげました。
今、この投稿を書き記しながら、私たち夫婦の異常性を噛み締めています。
社長夫婦からの調教は週に1回、多くても2回で、それ以外は靖子と仲睦まじいセックスをしています。
なので、私はこの年齢にして、殆んど毎日射精をしていますし、靖子はほとんど毎日、私か社長の陰茎に悶えていることになります。
一体、いつまでこの生活が続くのでしょうか。
もし、社長夫婦から性奴隷の終結を言い渡したなら、辱めの快楽が身に染みた私たち夫婦は、満たされない快楽の中で生きてゆくことになるのでしょう・・・