第三十章いつの間にか眠りこけてしまったようでした。異常な喉の渇きと息苦しさを覚えながら、ゆっくり目を開けようとするのですが、焦点が定まりません。背中に感じるシーツの感触で、ベッドの上にいることを、薄ぼんやりとした意識の中で感じました。体を起こそうとしたのですが体の自由が利かず、呼吸もままなりません。息苦しさの原因が私の口に猿ぐつわのようにかまされたタオルであることに気づきました。さらには、手も動きません。正確には動こうとしても何かに引っ張られて、身動きがとれないのです。半分ほど開いた双眸を右手のほうに向けました。手首に何かが巻かれています。左手に目を向けると同じように拘束されています。ようやく自分がベッドの上に縄で縛り付けられていることを理解しました。足元に視線を向け、自分が全裸であることと、足首にも赤い麻縄が巻きつけられ、ベッド上に大の字でくくりつけられていることを知りました。あまりに現実感のない光景に、夢をみているのだろうと思いました。それならば、もう一眠りしよう、体も重いし。そう思った瞬間、部屋の隅から異様な声を耳にして、目を見開き、その方向に頭を起こしました。さらに信じられないものが私の視界に飛び込んできました。全裸の妻と、田中君がドアの前に並んで横たわっています。目にした瞬間、全身の毛穴が開いたような感覚を覚え、眠気が吹き飛びました。両手が背中側に隠れて見えませんが、どうやら私と同じように縄か何かで拘束されているようです。口には私と同じようにタオルが巻かれています。二人とも意識を失っているのかピクリとも動きません。私がタオル越しに呼びかけても反応がありません。二人の足元に目をやると、両足首にも縄が巻かれており、どうやら背中ごしに手首を縛った縄とともにドアのノブにくくりつけてあるらしく、仮に二人が目覚めても立ち上がることすらできないであろうことが想像されました。ふと、美佐君の不在に気づき、唯一自由のきく首から上を上下左右に動かし寝室の中を見渡しました。やはり彼女の姿だけが見当たりません。私は両手、両足に力をこめて縄による拘束から逃れようとしましたが、五分ほどしてそれが無駄な抵抗であることを思い知りました。両手両足に巻かれた麻縄は思いのほかしっかりと結ばれており、いくら暴れても解けそうもないことを理解したからです。乱れた呼吸を整えながら、私は止むを得ず今の状況を整理して考えることにしました。私を含む三人を全裸で拘束したのが、美佐君であることは間違いないでしょう。四人で食卓を囲んでからどれくらいの時間が経っているのかはわかりませんが、おそらく最後に彼女がサーブしたワインに睡眠導入剤のようのものが混入されていたのかもしれません。深い眠りにおちたわれわれ三人の衣服を剥ぎ、拘束した彼女がこれから何を始めようとしているのか。彼女の狂気を感じ、私の思考は混乱しました。何をどうしていいのかわかりません。いえ、それ以前に私にできることなど殆どないように思えました。なにしろ、ベッド上で四肢を固定され、声を上げることすらできない私には、実際できることなどなにもなかったからです。それでも尚、諦めきれず手足をばたつかせていると、ドアの向こうから足音が聞こえました。妻と田中君を縛り上げた縄の一端が結わえ付けられたドアの影から、バスタオルを胸元に巻いた美佐君が姿を現しました。全身から湯気が立ち上り、長い黒髪が濡れています。彼女の愛くるしい表情の下に見える露になった白く細い肩や、くぼんだ鎖骨。私はその美しさに、思わず現状を忘れ、見とれてしまいました。「あら、起きてらっしゃったんですか」言葉とは裏腹にさして意外そうなそぶりも見せず彼女が言いました。バスタオル一枚を巻いただけの半裸の姿を私に晒しながら、恥ずかしがるような素振りはまったく見せず、口元に微笑を浮かべ私を見下ろしていました。「美佐君、これは一体どういうことだ」と叫んだつもりでしたが、タオルに阻まれうめき声にしか聞こえません。「すいません。皆さんをこの部屋までお連れするだけで汗だくになってしまったものですから、無断でお風呂をお借りしました。一応、お掃除はしておきましたので、お許しください」「許すも何も」そこまで言いかけて、言葉にして伝えることを諦めました。首を起こして強い抗議の意思をこめた視線を彼女に向けました。「ああ、苦しいですよね、ごめんなさい、今ほどきますね」彼女はそう言うと、ベッドサイドに半裸のまま腰掛けると、私の首に手を回しタオルの結び目を解きました。彼女の長い髪が私の顔に触れ、薄い唇が目の前に近づきました。妻とは違う、ミルクのような体臭を鼻孔に嗅ぎ取り、胸が高鳴るのを感じました。ようやく呼吸と弁論の自由を得た私が、大きく息を吸い込み叫ぼうとするのを、彼女が人差し指を自分の口に当てて制しました。
...省略されました。