何事にも押しに弱かった元嫁の話です。
元嫁との離婚が半年前に成立してしまいました。
離婚の申し出は元嫁からのことです。
私に顔向けが出来ないという理由からそうなりました。
私は原因となった出来事は、手紙と仲介に入っていた弁護士さんからの話で全てを知ることになったのですが、本人との会話を望んでも了解して貰えず、また私の気性からも事実を知ってばかりのあの時に冷静な判断と話をする自信がなかったことで、半年以上の時間を要したのですが23年連れ添った元嫁の意見を尊重してあの忌わしい事件の後、じかに会うこともなく申し出を受け入れることになりました。
いまだ完全に納得してはいませんが、やむなしというところです。
元嫁の変化に気づいてやれなかった私にも罪があるだろう。
夜の生活を永きに渡り怠っていた罪もあるのだろうと、後悔ばかりが募っています。
子供達もそれぞれに独立して家を出て行ってしまいました。
子供達には私からは何も理由のことは伝えてはいませんが、分かっているようで私に何も聞いてこず、独立することだけを置き手紙で私に伝えて出て行ってしまいました。
末文に、ごめんなさい。という言葉が私には様々な思いが伝わってきて涙が止まらなくなっていました。
さて、元嫁の寝取られですが、その行為は6年間に及びます。
現在大学を中退して社会人になった長男と、高卒で就職して出て行った次男をそれぞれに虐めの対象にしていた輩が元嫁を性欲の捌け口に使っていたのでした。
元嫁の手紙から、子供達には最後まで内緒にしておいて欲しいという文面があったことから、元嫁はその行為を子供達にはバレていないと思っているようでした。
子供達は子供達で、どこからかは分かりませんが、あの態度から多分何をどこまでなのか、とにかく知ってしまっている様子は伺えました。
弁護士さんを仲介して元嫁に、ありのままの真実の全てを教えて欲しいということを伝えて、返ってきた返事の手紙には、流石に23年も連れ添っただけあって私が求めている答えを書いてきていました。
詳細で長文だったので、私にとって脳天に突き刺さるような内容を掻い摘んで書くことにします。
元嫁が32歳を迎えた頃から歳を追うごとに性欲の高まりを感じていた。
長男が幼稚園だったころのママ友との会話の下ネタが、興奮を呼ぶ材料になっていた。
露出狂がよくでる場所への見学ツアーへも連れて行かされていた。
不倫をしていたママ友から誘われて、不倫相手の知り合いという人を紹介されて、2回食事をして、1回ドライブに行った。
無理矢理キスをされおっぱいと太ももとあそこを衣類の上から触られて、逃げるようにして帰ったことがある。
その後は連絡を無視し続けて連絡も来なくなった。
長男が高校2年のとき、そのお友達に元嫁が自室でオナニーしていたことを知られていた。
そのお友達から、悪い仲間に元嫁のオナニーの話が伝わって、元嫁は脅されて、最初は男がシコるのを出るまで見せつけられることを強要された。
その後、手コキを、次にフェラを、毎日エスカレートしていき翌週には強引にやられた。
数回で終わりにしてもらえると考えていた元嫁は、毎回押し問答の末に、押し切られる形で相手を続けることになっていった。
1度許した身体は2度も3度も、たやすく許してしまい、ついには2人目3人目と日を追うごとに人数も増えていった。
噂は悪い仲間の間で広がり、長男と同学年から次男の同学年までの合計6人。
時には複数で。時には入れ替わり立ち替わり、結局6年目にまでになっても2人は週に複数回元嫁を犯し続けていた。
街ブラさせられながらの紙おむつ失禁、どこでも露出に、どこでもファックと好き放題に凌辱されていたという。
単身赴任中の出来事とはいえ、なぜに何も言ってくれなかったのかと自問自答した。
引っ越しやその他にも、いくらでも逃げることもできたのではないか。
悔しさばかりが脳裏を駆け巡る。
元嫁は背徳感も罪悪感も全て込みで、悦楽に落ちていたのかもしれないとか想像してしまう。
オモチャを使われ、若いギンギンのペニスでも穴という穴を掻き回されていたに違いない。
単身赴任中の帰省の時にも気づいてなかった私だったが、胸、知り、太ももに常に多数のキスマークを付けられていたそうだ。
キスマークだらけの身体を混浴風呂でも見知らぬ男どもに晒したこおも何度かあったらしい。