どこの家にも1人ぐらいは親戚の中に鼻つまみ、困った人間が居ると思う。ウチの場合、俺の弟がそれに当たる。
確かに多少不運な部分がある男だが、四十歳を超えてなお結婚はおろかマトモな仕事にもついていない。
弟のタカシは俺の3つ年下の3人兄妹の末っ子。俺の1つ上に長女の姉、カオリが居る。
カオリから先週末の夜遅くに俺に電話があった。タカシが夕方にフラッとカオリ宅に寄ったのだと云う。
カオリの高校生の一人娘ミサキに分不相応を海外ブランドのTシャツを幾つか手土産に高利貸しの取り立ての使い走りの様な格好に下品な金色の亀平ネックレスをジャラジャラさせて尋ねてきた。
カオリの旦那、吉岡は至って平凡な地方公務員で、自分とは正反対の性格のタカシを毛嫌いしていて、それを知っているタカシは滅多に実姉宅には近付かないのだが、普段は残業しない吉岡が、この日はたまたま残業で留守にしていた。
タカシは今、如何に自分が羽振りが良いかを散々話した後、今自分が関わっている怪しい投資ビジネスについて話し出し、そして姉さんもひと口乗った方が良い、早いモノ勝ちなんだと熱心に話出したのだという。
ブランド品を貰い、はしゃぐミサキに怪しげなグラフや数字が目につくパンフレットを見せる。表紙には5、6年前には良くテレビに出ていたタレントが満面の笑みを浮かべている。
ミサキに何人かの芸能人も参加していておじさんもパーティで良く会うよ等と話し、スマホに入った芸能人との画像を見せて自慢していたそうだ。
タカシの怪しい話を受け流し、帰り際に気が変わったら連絡してよと玄関先で尚も食い下がるタカシを押し出す様に帰したそうだ。
タカシの前では、はしゃぐ素振りを見せたミサキがタカシが玄関を出るや否や、タカシおじさんヤバっ!ヤバすぎでしょ!とスマホを何やら操作して母カオリにYouTube動画を見せてきた。
動画はいわゆる凸系動画でインチキなセミナーに突撃して違法性をその場で暴きセミナー参加者に注意喚起するモノだった。
動画冒頭のセミナー講師の語る内容はタカシがついさっき、この食卓テーブルで熱弁を振るった内容そのものだった。
カオリはタカシから貰ったTシャツをカオリに投げて寄越し、見てよママ、ダッサ、これ全部偽物、コピー品だよと言った。
近々アンタのとこにもタカシが来るかも、タカシの話なんかに乗るアンタじゃないから大丈夫だろうケド、女の私が言っても聞かないだろうからアンタからタカシにそんな詐欺まがいのヤクザな商売辞めるように言ってよ。カオリはそれだけ言うと溜息をつき本当に困った弟だよねと呟いた。
弟はこれまでにも、借金、女性トラブルを引き起こしたり、職場の売り上げを横領し、その金をカオリと俺で何とか補填し勤め先の社長さんに頭を下げて警察沙汰にせずに済ませたりと厄介事を引き起こしていた。
カオリからそんな不穏な連絡を受けてから2、3週後の水曜日の深夜に俺の携帯が鳴った。
夜中の1時過ぎだ。画面はタカシからの着信を知らせていた。俺は無視を決め込んだ。しかし、無視を決め込んだ後も立て続けに何度も着信がある。
最初の着信からほぼ5分後、4回目の着信に遂に俺は根負けしてタカシの着信を受けた、苛立ちながら何だこんな夜中に?と電話口で声を荒げた。
電話口からタカシの荒い息遣いが聞こえ、切羽詰まった声で兄さん、頼む助けてくれと言ってきた。
俺の何だ、急にの返事を待たずににタカシは兄さん頼む、助けてくれ!と繰り返した。
俺は何だ?どうした?厄介事はもう勘弁してくれと答える。
困った事になった。兄さんには迷惑かけないから頼む、2、3日知り合いを兄さんとこで預かってくれないか?
俺は何を言ってるんだ!誰かを匿うなんて出来る訳無いじゃないか!今度はいったい何のトラブルを引き起こしたんだ!姉さんから聞いてるぞお前、詐欺グループの仕事してるそうじゃないか!
俺が電話口で怒鳴ると、いつもなら自分に都合の良い解釈で言い訳ばかり繰り返す弟が珍しくしおらしく俺の叱責を黙って聞いた後、頼む迷惑はかけない。1日で良い。人を家に居させてやってくれ、頼む!話だけでも聞いてくれと弟は呟くように言ってきた。
俺は何を言ってるんだ、そんな事引き受ける訳ないじゃないか、悪いが力にはなれない他を当たってくれ!俺はそれだけ言うと電話を切った。
しかし、電話を切った10分後、俺の家のインターフォンが鳴った。モニターに弟が映っている。インターフォンから兄貴、浩太兄ちゃん!頼む!開けてくれ!タカシの悲鳴に近い叫び声が響く。
夜中の住宅街だ。近所迷惑も甚だしい。俺は仕方なく玄関を開けた。先程から降り出した雨にずぶ濡れになっているタカシが、浩太兄ちゃんすまない。信じてくれ!俺は悪いことはしてない。だけど騙された。必ず話し合って解決してくるから、この人を2、3日匿って欲しい!
タカシは後ろに立っていたずぶ濡れの女性の背中を押して俺の前に立たせた。
驚いた。俺の目の前にタカシが立たせた女性は10年程前に一世を風靡したアイドルグループのメンバー。今は時折、バラエティ番組や通販番組で顔を見る女性タレント詩織だった。
セミロングの髪から雨を滴らせながら、俺にすみませんと消え入る様な声で玄関先で詩織は頭を下げた。
タカシは、詩織さん、これ、俺の兄貴、浩太。兄さん、必ず2、3日したら迎えに来るから置いてやってくれ!俺も詩織さんも騙されてヤバい事になってる。でも信じてくれ!俺達は悪い事はしていない、悪いな浩太兄ちゃん、頼む!と言うと雨の中を走って行く。
俺は呆気に取られて、雨の中を走り去るタカシの小さくなる背中に、おい待てよ、困るよ急に、どうすれば良いんだよと呟くだけだった。
雨は更に勢いを増して、さながら台風の様な激しさだ。玄関ポーチのタイルに水煙を上げて叩きつける雨の音の中、詩織のごめんなさい、やっぱりご迷惑ですよね、私帰りますの小さな声が聞こえた。
激しい雨に躊躇しながら出ていこうとする詩織を俺は呼び止めた。事情は分かりませんがこの雨です。私も突然でどうしたものか分かりませんが、せめて雨が止むまで上がっていかれたら如何ですか?
疲労の色が濃く顔に滲む詩織は、激しい雨を見つめながら有難うございます。そうさせて頂けると助かります。雨が止んだら出ていきますのでと呟く様に答えた。
詩織を家に招き入れ、俺は3年前に亡くした妻の寝巻きを寒さに震えている詩織に渡して風呂を勧め、コーヒーを淹れた。
詩織は本当にすみません。お言葉に甘えてと寒さに震えながら応えて俺の勧めに応じた。
この日から俺と女性タレントの奇妙な共同生活が始まった。