俺は全くどうしようも無い男だ。若い頃から何事もいい加減で歳を重ねれば成長し、落ち着き物事をキチンとやる大人になるだろうなどと甘い考えのまま生きて来た。
今年52歳。同級生の中にはもう孫が出来た男も居る中、俺は独り身。もう10年以上前から同じアパートで暮らしている。
高校を卒業して都内のホテルの厨房に就職した。始めの一年程は真面目にやっていたが、夜遊び、女遊びを覚えると金も時間も足りない。
それからは夜の盛り場の厨房やバーテンダーの真似事など、将来どころか明日さえ考えず今日、その場限りの様な生き方で職場を2、3年ごとに取り替えながら勝手きままに生きてきた。
歌のセリフじゃないが全て気づいた時には手遅れだったというのが俺の人生だ。52歳。もう若くはない。若い連中が多い夜の職場では老人扱いだ。
それなりに面白可笑しい人生をやらせて貰ってきたから悔いは無いと言えば無いが、その代償としてこの歳で守るものひとつ無い孤独な人生をこの先やっていく事になる覚悟をする事になった。
そんな俺が3ヶ月前に職場の上長から呼び出されたた。今、俺が勤めている会社は俺が働いていた居酒屋から始まって、社員食堂から大学の学食の運営まで請け負う会社に急成長をしていた。
もともと若い子達で活気溢れる職場で燻る年配者の俺の扱いに困っていた俺より10歳年上の上長は俺の厄介払いの様に新しい職場への転属を言ってきた。
田中さん、お疲れ様です。今夜は天気が悪かったのにお客さん入りましたね。忙しかったでしょう。身体、お疲れじゃないですか?
普段、用件だけを伝えるとアルバイトの若い女の子のところへ飛んでいくような男だ。こんなふうな物言いに嫌な予感がした俺は、意外と今夜は捌きやすかったですよ。大丈夫です。と答えた。
しかし奴は意に介さずに、やっぱり大変ですよね夜の仕事は。田中さん、やっぱり同じ仕事量なら夜、深夜より昼間の方が身体は楽じゃないですかね。田中さん、実はね、ウチの会社来月から刑務所の給食を請ける事になったんですよ。
受刑者も高齢化しているのとか色々な今どきの問題があって、今までは受刑者がやっていた給食義務全般をウチがやるんですよ。それが田中さんのお宅から電車で1本で行ける場所でね。
朝番の朝5時半から昼の13時までのシフトで田中さんに入って貰いたくてね。勿論、給料は少し上がりますし、受刑者とは一切顔を合わす様な事は無いですし。どうですか考えて貰えないですか?
実は言いづらいんですけど、この店舗も近々改装の話が出てましてね。居酒屋じゃなくてスポーツバーみたいな若年層向けの店舗に変わるんですよ。そうすると色々と状況が変わると思うんです、この店。田中さんも新しい職場の方が働き易いのかなって。
俺が年配である事を間接的に言ってくる男のどこか人を小馬鹿にした様な物言いに腹も立ったが、アルバイトは、ほぼ学生。厨房に立つ連中もさして変わりはない。中年男にとって居心地が良い職場では無い。
俺は転属を了承した。自宅最寄り駅から6つ先の駅からバスに乗って配属先の刑務所に着く。
刑務所内では厨房と控え室を兼ねた着替え室以外に出入りは許されず、それ以外はどうなっているのかも全く分からなかった。
通用門で毎朝、セキュリティチェックを受けて控え室で着替え、うちの会社から俺同様、他店舗から厄介払いされた同僚の中年男達3人と手順にしたがって調理を始める。
確かに直接、受刑者と顔を合わせる場面はほぼ無かったが例外として、受刑者は班ごとに食事をしていたが、班長的な囚人に箸やスプーンなどを纏めて渡す、回収する時にごく僅かな時間だが顔を合わせる。
最初は緊張していたし、顔を見られて良いことなど一つも無さそうだから受刑者と顔を合わせない様に下を見ていたりしていたのだが、大概の受刑者は大人しく、ご馳走様でしたと言葉を発するので、こちらも礼儀として有難う御座いますと答えるようになっていた。
勿論、刑務官の監視はついて回っていたが、それでも1カ月程すると、今日は美味しかったです。とか酢の物俺好きなんです。ぐらいの一言、二言程度の会話を受刑者とする様になっていった。
その受刑者の中に広瀬が居た。広瀬は背が低く、小柄な男で、愛嬌のある顔をした愛想の良い男で何をして刑務所に居るのか分からないが、とても悪い事をするような男には見えなかった。
いつも愛想良くにっこりと笑い、いつも俺にひと言二言声を掛けた。1カ月程経った時に、広瀬が刑務官の目を盗んで俺に小さな紙切れを渡してきた。俺は咄嗟の事で反射的に小さな紙切れを握りしめてしまった。広瀬は動揺した俺の目を射抜くように見つめて頼むと短く発した。
俺の運命がこの時に決まった。
〜つづく