大学2年の終わりの頃、卒業間近の先輩に誘われ、AMコンパに行きました。
AMコンパとは、午前中に開催されるコンパの事で、参加者は小学生や中学生の子供を持つお母さんで、子供が幼稚園の頃に知り合ったママ友繋がりの不倫コンパでした。
男子大学生と、小学生の子供を持つお母さんの触れ合いの場で、メンバーが固定され、卒業するときに秘密を守れる信頼できる後輩を紹介してメンバーを外れる慣習がありました。
今でいう、ママ活のようなものですね。
30代前半から40代前半まで、ごく普通のお母さんとセックスできる貴重な機会でした。
AMコンパは月一回、第一月曜と決まっていて、その月でヤレる日程などを確認して、後はメールでやり取りしながらいろんなお母さんとエッチしていました。
幼稚園時代の繋がりでずっと構成されているから、新メンバーが加わることはありません。
ハメた人数は2年間で11人、年度替わりに転勤で居なくなったり、お母さんの人数は2年間で12人から10人に減りました。
つまり、一人だけ、一度もハメられないままいなくなったお母さんがいたということです。
中には奇麗なお母さんや、可愛いお母さんもいましたが、どちらかと言うと、ポッチャリやブサイクなお母さんとのセックスの方が、興奮しました。
可愛かったり、美人だったりは、セックスした時のイメージが沸きますが、こんなブスな奥さんを抱く旦那さんは、この奥さんのどんな様子を見てるんだろうという興奮がありました。
当時、女子大生の彼女もいましたが、セックスは人妻の方が良かったです。
ポッチャリかつブスなお母さんとのセックスは、だんだんエロくなるのが良かったです。。
あの頃、30代半ばの人妻で、ブスなのに恥じらってて、ぽっちゃりボディは寸胴、仰向けで股開かせると、太腿がエロかったです。
そして、人妻とは思えないほどオメコが奇麗、最初は恥ずかしがってたのに、オメコ舐めまわされてハアハア、チンコ入れられてアンアン、最後はヨガりまくってました。
ブスなぽっちゃりお母さんは、事が終わると、セックスのイメージが全く沸かないおばちゃんになって、帰っていきました。
あのぽっちゃりブスな人妻が一番多く、2年間で28回ハメましたが、なぜ回数が分かったかは後程書きます。
オッパイはDカップあって、お尻もデカいので、後ろから鷲掴みでパンパン突くと、お尻と背中の肉が波打って興奮しました。
初めての時は、最初ぎこちない感じだったけど、だんだんエロくなってきて、3回目くらいからやる気満々になりました。
何度か、メンバーの大学生とぽっちゃりブスのお母さんを4P輪姦したことがあります。
次々と犯されるぽっちゃりブスのお母さんを見てると、悲惨なくらい感じてて、都合2巡、最後はお腹に6本の使用済みコンドームが並べられました。
そんなに美人って感じじゃないけど、真面目そうな40代前半だったお母さんも良かったです。
「最近主人が構ってくれなくって・・・」
憂いのある表情で言うときの、真面目そうな中に感じる色気がたまりませんでした。
40代の女体は熟れて妖艶、オメコは使い込まれてドドメ色、カチカチのチンコを潤んだ目で見ていました。
ベッドで、うなじにキスしただけで目が蕩けて、オメコを軽く舐めただけで軽くイッてしまいました。
チンコでオメコを掻き回すと、
「あああ~~もっと、もっと私のアソコをめちゃくちゃにして~~」
ってヨガりまくって仰け反った。
あれだけヨガり狂ってたのに、終わると、あんまり覚えていないと言ってました。
一見真面目そうなお母さんの方が、エロい遊びに付き合ってくれました。
ピンクローターは初めてで、2つのローターで、クリとオメコの中を同時に責めたら、潮を噴きました。
ピンクローターを使うときは、火ならずコンドームの中に入れて使うので、ふざけてアナルに少し挿し込んでみたら、恥ずかしがりながらも感じていたので全部入れました。
そしたらヒイヒイ感じてて、ゆっくり抜いたら、抜き出る瞬間にビクッと痙攣して、イッてしまいました。
オメコにも入っていたから、ダブルで感じたんだと思います。
面白そうだから、一応了解撮って、今どーう被せたチンコをアナルに入れてみました。
正常位のマン繰り返し風の体勢で、唾を垂らしながら、ゆっくりゆっくり入れると、真面目そうなお母さんは、ああ~~っていう表情になっていきました。
抜き差しすると、もう、真面目そうなお母さんは自分でお尻を広げる格好で大股開いて、またもヒイヒイ大喘ぎ、お尻の穴で感じる女性を初めて見ました。
アナルでイキまくった真面目そうなお母さんは、2年間で20回ちょっと、二番目に多い回数ハメた方だと思います。
あと、30代後半の清楚系の美人お母さんはド変態で、驚かされました。
この方はアナルセックスのベテランで、清楚な顔を歪めてアナルイキしてました。
そして、私ともう一人の大学生を連れ込んで、二穴セックスをしていました。
アナルとオメコに同時にチンコを抜き差しされて、どっちで感じてるかわからない、えげつなく下品なヨガりでイキまくっていました。
「ああああ、お尻もアソコも気持ちいい~~こんなの夫婦じゃできない~~」
やはり、旦那さんとは出来ないような、変態的なセックスが出来るのがいいようです。
この清楚なお母さんが2年間で20回くらい、三番目に多い回数ハメたと思います。
他にもセクシー美人のお母さん、明るく可愛いお母さん、小学生の子供がいるなんて信じられないロリお母さんなど、他のお母さん方とは2年間で12~13回くらいハメたでしょうか。
週末は彼女とヤリまくり、平日、彼女がバイトで会えない月曜と木曜、お母さん方とハメさせてもあってました。
真昼間から、ラブホでオメコ丸晒しで、大学生に犯されて、毎回コンドーム2~3個消費して白目を剥いて、夕方、素知らぬ顔で家路に就く姿は、恐ろしささえ感じました。
彼女とのセックスより、お母さんたちとのセックスが良かったのは、他人の奥さんを寝取る興奮なんだと思います。
私も、彼女にやったら嫌われそうな変態プレイも大丈夫でした。
旦那さんが働いてる真昼間、大学生にオメコ舐められてヒンヒン、大学生の2回も3回も射精できるビンビンチンコでアンアン言わされて、その罪悪感に興奮しているようです。
毎回、いろんなお母さんとハメるから、全く飽きないし、会うたび遠慮が無くなって、内容も濃くなっていったのも良かったですね。
大学を卒業するとき、AMコンパのメンバーが減ってきたこともあって、私は後任を選定せずに卒業しました。
アパートで彼女と最後のセックスをして、まずは先に帰郷する彼女を見送りました。
「元気でね。」
「君もな。」
青春の一ページを彩った彼女との別れは、寂しさもありましたが、清々しくもありました。
彼女を見送った翌日、最後の荷造りをしていたら、メールが来ました。
それは、ぽっちゃりブスのお母さんからで、最後に会いたいと言われました。
二人でラブホに行くと、
「今日、安全日なの・・・中に、あなたの精子、欲しいんだ・・・思い出・・・」
本当に安全日なのかは分かりませんでしたが、なぜか、このぽっちゃりブスのお母さんには、愛情みたいなものを感じていました。
ぽっちゃりブスなんですけど、可愛げがあって、愛すべきキャラなんです。
この日、ぽっちゃりブスのお母さんとのお別れセックスは、生挿入で抜かずの三発、
「ああ・・・また出てる・・・中に・・・」
と三発目を出した後、抱きつかれて、ブチューッとディープキスされて、
「好きでした。こんなデブおばさんが、大学生に恋しちゃって・・・今日は、中に出してくれてありがとう。一生忘れない・・・」
そう言われました。
そして翌日、帰郷する私は、一人東京駅で新幹線の改札を抜けようとしました。
すると、私の名を呼ぶ声に振り返ると、ぽっちゃりブスのお母さんが立っていました。
バッグから手帳を出して、私とハメた日に印が付いているのを見せながら、
「28回も抱いてくれて、ありがとう。一つひとつが思い出・・・さよなら。お仕事、頑張ってね。元気でね・・・」
「おばさんも、お元気で。さよなら・・・」
ぽっちゃりブスのおばさん、泣いていました。
こんなに一途に愛されていたことを知って、私も思わず目が潤んでしまいました。
おの別れから15年、私は37歳の二児の父になっています。
結婚して10年の妻は34歳、柳原可奈子さんに似た、可愛いぽっちゃりお母さんです。
私は、あれからポッチャリ好きになってしまいました。
ポッチャリの良いところは抱き心地の他に、正常位で股を開かせたときの、内股の付け根の辺りのムッチリ感のエロさがたまらないのです。
私を愛してくれた、あのぽっちゃりブスのお母さんは、50代前半、真面目そうな40代前半だったお母さんは、還暦間近になってます。
皆さん、お元気でしょうか・・・
あのコンパ、いつまでやってたのでしょうか・・・
いっぱいエッチさせてくれた、11人の人妻お母さんたちの幸せを祈り、ここに思い出を書き記します。