高専出て3年目の23歳の頃、先輩社員について、ある地方都市の震災復興土地区画整理事業の現場事務所に2年間いたことがあった。
先輩は最低5年だったし妻子連れだったから、大きめのマンションを借りたけど、俺は小さな単身者向けアパートを借りた。
事務所は、地元企業とのJVで、相手方の事務員に、34歳で二児の母の祐子さんという奇麗な人妻OLがいた。
昼休みに一緒にミーティングルームで飯食ってて、仲良くなった。
一見、お姉さんと弟みたいな感じだった。
当時、俺は女性経験が一人で、21歳の時に童貞を捧げた高専の4年先輩だった。
仕事j法で知り合い、先輩だと知っていろいろ慕っているうち、一緒に行った出張先で酔った勢いで関係した。
俺が現場事務所に修行に出たときに別れた。
だから、女性に飢えてたというのもあったけど、グレーのスーツに白いブラウスを着てる祐子さんの後ろに立つと、ブラウスの胸元からブラがチラ見えしちゃう時があって、勃起しちゃってた。
スタイル抜群で、スーツを縫いでブラウスとグレーのタイトスカートになると、ウエストからお尻、太腿にかけてのラインがムチムチしてて、生唾ものだった。
飲み会があっても、子供がいるから二次会にはいかな祐子さんだったが、ある日、俺もあまり気分が載らなくて一次会で引けたら、途中で祐子さんと一緒になった。
祐子さんは、
「今日は、子供たちが旦那と一緒に旦那の実家に行ってるんだ。私は明日合流するんだけど、だったら二次会行けばよかったかなあ・・・」
というので、二人で二次会した。
それも俺のアパートで・・・
「大樹君、彼女いるの?」
「こっち来るとき別れちゃいました。」
「そう、じゃあ淋しいわね。私が淋しさ紛らわせてあげようか?」
酔ってるのか、トロンとした目つきでしなだれかかってきて、勃起を握られた。
私を見て、勃起させてるの、気付いてないとでも思った?
と言われ、ズボンとパンツを脱がされた。
「若いから、カチカチね。ウチはもうマンネリで、エッチは週末のお務めになっちゃった。さあ、脱いだ脱いだ。」
素っ裸の祐子さんは、見事なスタイルで、あのムチムチラインを目の前に、痛いほど勃起した。
三十路人妻の産後のっや緩んだオマンコの感触、凄く気持ちよかった。
黒ずみ始めたビラビラも、旦那にチンポぶち込まれてガンガン突かれ、ヒイヒイ言ってたことを想像させて、萌えた。
20代の女にはない色香と喘ぎ、そして特定の男の匂いを感じる女体を堪能した。
人妻だから当然ゴムハメだったけど、人妻を抱くのがこれほど精神的に見たされるとは、それまで思わなかった。
それ以降、週に1~2回、祐子さんを抱いた。
定期的に人妻を抱いて気付いたのは、人妻に求めているものが外見ではないことだった。
祐子さんは美形だでスタイルがいいけど、それは二の次で、若い女にはない、能動的に楽しむセックスが気に入ってた。
それをもたらしているものは、熟した身体、手馴れた性技、開発され尽くした性感、解解放された羞恥心だろう。
大人の社会人として、分別をわきまえた普段の姿とは違って、エッチモードに入ると、発情した一匹のメスになる二面性に惹かれた。
人妻の魅力って、貞淑そうなのに、実は淫乱だということ。
毎日の生活に、夫婦の営みが食い込まれてるのだから、淫乱じゃないわけがない。
清楚でお淑やかな人妻OLの仮面を剥がし、その貞操を犯すのがたまらなかった。
旦那さんが舐めているオマンコを舐め、旦那さんを舐めている口でフェラしてもらい、旦那さんのチンポが入れられてるオマンコにチンポを入れる。
旦那さんにしか見せてはいけない痴態を眺め、腰を振る愉しさは最高だった。
散々痴態を晒した後、グレーのスーツに白いブラウス姿になると、清楚な人妻OLに戻る。
このギャップがたまらなかった。
赴任期間の2年を終えて、帰るときが来た。
最後の逢瀬は、休暇を取って、郊外のラブホのフリータイムでゆっくりと過ごした。
全身舐めるように愛撫して、飽きるまでクンニした。
グロいオマンコを脳裏に刻み込み、初めて生で繋がった。
不倫だったけど、11歳年上だったけど、愛しかった。
この日、合計4回射精した。
ラブホを出て、車の中で最後のディープキス、ジュルジュルと3分くらいキスしてた。
目立ってはいけないから、ひなびた駅で祐子さんを下ろした。
「お別れです。明後日、この街を離れます。さよなら…」
「元気でね。向こうに帰ったら、人妻じゃなく、お嫁さんを探すのよ。さよなら・・・」
翌日、ただのJV仲間に戻った二人は、切ない2日間を過ごした。
最終日、祐子さんから花束を貰って、現場事務所を後にした。
拘束に乗って2時間半、故郷に着いた。
暫く、祐子さんを想って過ごした。
グレーのスーツとタイトスカートの女性を見かけるたび、ハッとした。
祐子さんと離れて、8年が過ぎた。
俺は今32歳、結婚して4年の29歳の嫁さんと、2歳の娘がいる。
先日、ウチの車がかかわった例の震災復興土地区画整理事業の完成を祝って編集された、記念写真誌が回覧された。
俺が関わったのは2年だったけど、若かりし俺が写る写真が2枚あった。
そして、祐子さんが写る写真も…俺は、その写真をスマホで撮影した。
グレーのスーツにタイトスカート、あのムチムチが蘇った。
43歳の祐子さんは元気だろうか。
祐子さんもこの写真誌を見てるだろうか。
俺の姿を見つけて、懐かしく思い出してくれてるだろうか。
できることなら、もう一度会って、結婚して子供がいることを伝えたい。
別れるとき、連絡先をすべて消したから、連絡する手段は無いけど、この思いが届いたらいいなと思う。
ここに祐子さんの幸せを祈り、思い出を投下する。