俺は今年の夏で53歳になる。世の中では初老と呼ばれる年齢だ。バブル世代に当たる年齢だ。
世の中全体が浮かれていたのだと思う。二流大卒の俺ですら就職は売り手市場。
軽薄な時代のままに軽薄な生き方をしていた俺。
中堅食品問屋の営業になった俺はバブル景気に乗せられて毎晩のように接待でバーやクラブ、盛り場で客と飲む事自体が仕事だった。
接待相手を早朝、帰宅のタクシーに乗せる時に田中ちゃん、さっきの話、了解。ちゃちゃっと上手くやっといてよ。なんてセリフを聞くのが仕事完了の合図だった。
バブルが弾け、ネットが普及し、食品のみならず問屋業という業態自体が成立しない時代になった。俺が勤めていた会社もあれよあれよと思っている間に世の中の流れに飲み込まれ営業所、支店をたたんで縮小の一途。その間にリストラや見切りをつけて転職していく同僚たち。
俺はどうにかそんな会社にしがみ付いていたが遂にコロナ禍にとどめを刺される形で会社が身売りが決まった。
随分と前から噂は社内で立っていたし、空気感として感じるものも有ったが、来年あたり何かあると話していた俺たちに突然の通告が昨年末に告げられ俺はこの歳で、この時代に通用するスキルひとつ持たずに世の中に放り出されるコトになった。
バブル景気が弾けて以来収入は横ばいの上に若いときの勢いで間違いだらけの結婚をした俺は慰謝料だの養育費だけは一人前の金額を支払い続け、まさに無一文に近く、気がつけば老害の体現者という有り様だった。
くたびれたスーツに染みだらけのネクタイを締めて昔のツテを頼りに履歴書を持って回ったが哀れみの表情を浮かべる連中に迷惑がられるだけだった。
養育費はあと2年程支払っていかなければならない。俺は仕方なく近所の牛丼屋と早朝の弁当屋の仕込み、配達の2つのアルバイトを始めた。
正直言ってこの歳の男に、それらのアルバイトの仕事は切なくて死にたくなるような場面が多々あった。しかし今年の正月から仕事を始め半年が経ち、プライドなんてものはとうに崩れ去り、自分の息子のような年齢の深夜の酔客らに、ジジイおせーよ、醤油ねーよバカ!なんて言われてもヘラヘラとすみません。とペコペコしながら醤油差しを持っていく事に心が何も感じなくなっていった。
心が死んだと実感していた。疲れた身体を引きずり自宅に戻って弁当屋のあまりものを貰ってきて缶チューハイでそれを流し込み、そのまま布団被って寝る。
夕方にゴソゴソと布団から這い出し、シャワーを浴びてまたバイトに出かける。月末に振り込まれた金で養育費、家賃、光熱費を支払うと通帳に残る金は僅かだった。
俺は毎日を感情を押し殺して働き、生きていた。そんなある日の事だ、コロナ禍で飲食店の終業時間が早まっている時節柄、24時間営業は流石にしていないにせよ深夜までは営業している牛丼屋には夜食難民の客が遅い時間に殺到する。
牛丼屋に来店するにはおよそ似つかわしく無い洗練されたいでたちの40代と思しき美女が遅い時間に週に1、2度テイクアウトの牛丼を8食程買い求めに来る。
その日も11時を過ぎた頃、真っ白なブラウスをざっくりと着こなしタイトな膝丈のグレーのスカートからスラリと伸びた脚にハイヒールを履いたショートカットの美女が現れた。
店内で牛丼をかき込む男たちの視線を否が応でもひく美女は、その絡みつく様な視線たちを断ち切るが如く自信に溢れた歩調で注文カウンターまで歩み寄った。
俺のこんばんは。いらっしゃいませ、ご注文は?の声に美女は涼しげな目元に笑みをたたえて、こんばんは。と返し手にしたメモ書きを見ながら注文をする。
オーダーを受け付けて、彼女にお待ちくださいと伝えるとカウンター席にすっと座った。
俺が差し出した水を少し飲むと短く溜息をついて考えこむ様な仕草。
この時はまだ、負け犬代表の様な牛丼屋でアルバイトするくたびれた初老男と気分転換に従業員の夜食を買いに出る仕立ての良い純白のブラウスを着こなす成功した建築設計事務所経営者の妙齢女性を繋ぐ接点は無かった。
俺が、この純白のブラウスを脱がせ、たわわな彼女の乳房を揉みしだく事になるとは彼女も、自分自身ですら頭を掠めることすら無かった。