私が中学3年生だった50年ちょっと前の隣のおちゃんとの体験です。
“古希”も目前に迫りました。話してもいいかなと …。
9月初めに朝から散歩ついでに近くの山に“イグチ”と言うきのこを採りに出かけ、
尾根を下り主要路へと向かう山道に出たところで、下の畑で農作業をしていた隣家の
おばちゃん(二人の小学低学年の男の子の母親で私より14~15歳くらい上だったと思う)が小走りで山道脇の木陰に向かいしゃがんだのが見えた。
俺はこれはもしかしたらと、ドキドキしながらも意を決しておばちゃんのいる場所
へと足音を忍ばせつつ早足で向かった。心臓がバクバクしていた。
おばちゃんは突然のことに驚いたが、勢いよく出ているおしっこは止められず、山
道まで流れていた。俺は屈んで凝視した。「あっ!○○ちゃん。見ないで!」と叫んで、終わってからモンペを引き上げようとしたので、おばちゃんの手を制し、露出した土手高のプクッとしたオマンコを正面からまじまじと見つめ「おばちゃん。俺こんなになっちゃったよ」と言うと、おばちゃんも勃起した股間を見て、暫くしてから「すごく大きくなってる。ズボンの上からでも形がはっきりとわかる」とつぶやき顔を赤らめた。
おばちゃんの陰毛は薄く、オマンコも、クリトリスもはっきりと見えた。
俺はもう一方の手を股間に導いた。遠慮がちに手のひらで上から押さえていたが、や
がて上下になぞりながらうつむいた。
「からかわないで」と言われたがおばちゃんをゆっくりと押し倒した。少し抵抗されたがおっぱいを揉みしだき、人差し指と中指でオマンコをまさぐった。
おばちゃんも覚悟を決めたのか静かになり、両足がもじもじし始めた。濡れ方もすごかった。
「ここだと人に見られちゃうかも知れないし、もう少し上に行くと人目に付かない場所があるからそっちでいいかな?」と聞いてきた。山道が途切れた所から200m程の尾根を越え、反対側の沢へ下って直ぐの急峻な登りへと続く手前に大きな岩を背にした狭いが草むらの平らな場所がある。さっき歩いて来たばかりだ、おばちゃんが前を俺は後を付いて行く。おばちゃんを手に入れたことと、数分後に待っているであろう出来事を想像し、俺の股間は痛いほどに膨らんでいた。おばちゃんは何を考えていたのだろうか?二人とも無言のままゆっくりと歩を進めた。
やがて草むらに着いた。跪いて俺のズボンのベルトを緩めファスナーを下ろし、直
に触って「太くて大きい」と子声でつぶやいた。『舐めて!』と言うとこっくりと頷
いて両手を添え、口に咥えゆっくりと前後に動かした。
そして「美味しい。○○ちゃん。もしかして初めて?」と聞くので『はい』って答え
ると「おばちゃんで本当にいいの。後悔しない?」
『しない!俺、おばちゃんとしたかった』「嬉しい」と言って自分でモンペと下着を下ろし、エプロンと一緒に尻の下に敷いて仰向けになりゆっくりとチン棒を股間へと導いた。俺はおっぱいを揉んだり吸ったりしながら夢中で腰を振り続けた。
俺は、エロ本から覚えた知識を駆使し、ゆっくり突いたり、早く突いたり、浅く突いたり、深く突いたり、斜めに突いたり、
“の”の字を書くように突いた。おばちゃんは両足を大きく開き「そうそう。とっても上手よ」って言ってくれた。
『おばちゃん。出そうだよ』と言うと「今日は安全日だから大丈夫。中にいっぱい出していいわよ」と言って、両足で私の腰を挟んだ。どくどくと流れ出るのを感じた。
「熱いのが流れてる。いっぱい流れてる」と言い、二人ともじっとしたまましばらく
の間動かずにいた。半勃ちのままだったので中で再び勃起したことに気づいたおばち
ゃんは「若いのね。また中で大きくなっているわよ。このままでもう一回する?」と
聞いてきた。黙ったまま頷き二回目に突入した。
結局その日はいわゆる抜かずの三発で、終わった後は俺もおばちゃんも股間がびち
ょびちょで、休んだ後しばらくすると下に敷いたエプロンの一部は精液とマン汁が乾いてカピカピになっていた。
おばちゃんもキノコを採りに来てこの場所を知っていたと言っていた。
おばちゃんは「ちょっと聞いてもいい?5月頃からからおばちゃんがお風呂に入っ
ているのを二階の部屋から覗いてたでしょ。気づいてたんだから、もう … 」
そして「去年の町民運動で地区対抗リレーに出てくれたでしょ。〇〇ちゃんがご
ぼう抜きした時、本部の役員詰所でおばちゃんはつい大声で「○○ちゃん!すごい!
すごい!頑張って~!」って叫んじゃったの。
そうしたら、別の地区の同年齢のお母さんが横に来て『彼と同じ地区なんですか?』「ええ。隣の家の中2の子なんです」『お隣なんですか。羨ましいな。さっき中学生のグループを待機場所に案内した時に他の子は短パン姿でいかにもって感じだったんだけれど、彼だけがトレパンの裾を何回か折ってたくし上げているのを見て、かっこいいなって。走ったらごぼう抜きでしょ。変な話、思わず疼いちゃったのよ。長めのスポーツ刈りも似合っているし』「あの髪型は夏の間だけで普段は真ん中から分けてますよ」て言ったら『見てみたいな~。スケベ分けとか、オマンコ分けって言わなかった?』「言いましたね」って思わず二人で顔を見合わせてクスっとしちゃったわ。
『あなたが大声で叫んでいるのを見て私と同じなのかな?』って。「私はただ … 」
『本当?何も感じなかった?クラブ活動は陸上部なのかな?』「いいえ。柔道部だっ
て言ってました」『そうなんだ。じゃあ寝技なんかも得意なのかな?まだ会場内に残
って居るのかな?今日は時間もあるし、探して裏山の公園に誘っちゃおうかしら?彼
にだったら押さえ込まれたいな』
「ええっ!」『わかるでしょ。それ以上は言わなくても。女なんだから』「ええ … 。でも、リレーが終わったら直ぐに帰るって言ってましたよ」『ええ~残念だな~』
「誘うって言っても、まだ中2ですよ」『何言ってるんですか。彼はどう見たってもう立派な大人よ!本当に残念だな~。帰っちゃったのか』って。
少し経ってから戻ってきて『私の地区の女生徒達に聞いたら、彼はモテモテなんです
って。スポーツも万能で、成績もいいし、硬派だし、彼女はいないんじゃないかって。
知ってました?あんな逞しい彼が隣に住んでいたら私だったら絶対に放っておかない
な!本当にいいなあ~。来年も役員を引き受けちゃおうっと。来年は何が何でも早め
に声を掛けなくちゃ』って真顔で言ってたわよ。
「あとひと月もすると町民運動会だから誘われちゃうかもよ?」
おばちゃんは「覗かれているのを知ってから○○ちゃんのことが気になっていたし
彼女にそんな話を聞いたから、その晩に〇〇ちゃんとしている夢を見ちゃったの」『今日みたいに?』「うん。いっぱい嵌められてた。目が覚めたら、濡れちゃってて
槌… 。悶々として寝付けなくていつ間にか朝になっちゃってた」それから余計に意識しちゃったの。だから、普段から子供たちや旦那に先に入ってもらい、上がったらわざと大きな声で私を呼んで!って、おばちゃんが入る時間が○○ちゃんにわかるようにしてたんだよ」と。
「○○ちゃんは私が入ると電気を消すし、カーテンも少し残して閉めるし、ガラス窓
を少しだけ大きく開けていたでしょ?わかりやすいんだから。バレバレだったよ。年
頃だもんね。当然女の人の裸に興味あるわよね?だからおばちゃんも、ちょっと寒い
時でも我慢して窓を全開にしてたんだよ。それに、おばちゃんは背が低いでしょ。椅
子の上に立っておっぱいだけでも見えるようにして協力してたんだから。感謝してよ
ね」と笑った。
『すみません。俺、双眼鏡で覗いていました。おばちゃんでいつもシコシコしてました』と言うと「本当なの?謝らなくてもいいのよ。とっても嬉しわ。これからもひとりになったら冬になっても続けるね。それと、もう自分でしなくてもおばちゃんとしたくなったらいつでもいいから言ってね。今日からは二人だけの秘密ね。はい。指切りげんまん」と子どものようにニコっと微笑んで右手を差し出した。
『俺は毎日でもしたいけど』「でもね、生理もあるし、危険日もあるから毎日は無理
よ。おばちゃんもいっぱいしてほしいけれど、〇〇ちゃんが強いからおばちゃんの体がもたないわ。今日はすごく上手だったわよ。感じちゃった。帰りは念のために別々に帰ろ」と言って自分を先に帰らせた。
槌 中学生になった頃、西野バレエ団の“レ・ガールズ”と言う番組が放送されており、メンバーは、金井克子さん、由美かおるさん、原田糸子さん、奈美悦子さん、江美早苗さんで西野バレエ団5人娘と呼ばれ、歌って踊れる当時としては珍しいグループでした。 中でも私は一番年長であった金井克子さんが好きでした。ゲストとのコントや歌をメインとした内容の構成でしたが、ミニスカートで歌ったり、レオタードでダンスを踊る姿を見ては股間を膨らませていました。男子中高生のご多分にもれず、セクシーな体付きの年上の女性には性的対象としての興味で頭がいっぱいでした。
だから隣のおばちゃんの入浴姿を偶然見かけてからは、今日ももしかしたら?って
いつも風呂場の方を覗いていました。
予断ですが、江美早苗さんは引退後に短い間でしたが“新婚さんいらっしゃい”の初代司会を務め、後に作詞家に転身して、南沙織さんの“人恋しくて”など数々の詩を提供され活躍されておられましたが、不幸な事件に巻き込まれ30代半ばで亡くなってしまいました。原田糸子さんは引退後陶芸家としてご活躍されておられるようです。
金井さんは数年後28歳の時に“他人の関係”と言う意味深な歌詞の大ヒット曲を飛
ばしましたが、振り付けだけでなく声も“セクシーヴォイス”でした。
現在も相変わらず若い頃さながらのスタイルでとても素敵な方です。
その日の夕刻、おばちゃんと下の子の□□が入浴している声が聞こえた。窓は半開きだ。旦那もまだ帰って来ていないようだ。
『母さん。今日は嬉しそうだね。いいことがあったの?』
「わかる?今日のお昼にね、美味しいきのこをご馳走になったの」
『どんなきのこ?』
「そうね~。太くて~。とっても大きくて~。ツヤツヤしてて~。硬かったのよ」
『硬いきのこなんてあるの?大きいってことは傘が開いていたの?』
「硬いのもあるのよ。母さんは硬いのが好きだな。それと、傘もとってもいい形だっ
たわよ」
『父さんの採ってくるのより大きいの?』
「比べ物にならないわよ。母さん、食べる前からよだれがいっぱい出ちゃた。食べた
後はね、美味しすぎてお口がしばらくしびれちゃってたのよ」
『大丈夫?毒きのこだったんじゃないの?また、食べたい?』
「大丈夫よ。とっても美味しかっし、約束したからこれからも時々食べられそうなの
よ。次が待ち遠しいわ。次は何時かな~。母さん楽しみだな~」
『きのこなんて美味しくないよ』
「大人になったら分かるわよ。でも、□□には一生わからないかもね」って会話が聞こえた。明らかに覗いていることがわかっている俺に聞かせていたのだと思う。きのこか?なるほどね …。
「□□。先に上がって。お兄ちゃんとテレビでも見てて」□□が出ると、風呂場の窓が全開に開けられ、椅子の上に立ったのかおばちゃんのおっぱいが見えた。俺も部屋の窓を少し大きく開けた。おばちゃんはこっちを向いて小さく手を振って「あ~あ。今日の疲れはとっても心地良かったわ~。良い一日だったな~。おかげさまで今夜はぐっすり眠れそう」と独り言をつぶやいて窓を閉めた。
俺の股間は昼間三度射精したのに、またムクムクと大きくなっていた。
それから何日か経ち、学校の運動会の振り替えで休みになった平日の朝のこと。お
ばちゃんが「おはよう。今日は休みでょ。きのこ採りには行かないの?旦那は仕事
に出かけたし、子供たちも学校に行ったし、いい天気だからおばちゃんは今日も畑に行こうかな?」
近くに誰もいないことを確かめると、はにかんで「もしかしたら今日も美味しいき
のこに出会えるかな?」と聞くので『山道を上がり切れば出会えるんじゃないの。き
っと』って笑ったら「じゃあ。直ぐに出かけようかな。でも今日はきのこに被せる帽
子が必要ね。持っていかなくちゃ。何個くらいいるかな?」って。『この前は3個分だったから今日は時間もたっぷりもあるから5個くらいあるといいな』って答えると「そんなに?」って、嬉しそうに笑った。
「お昼ご飯におにぎりを作ってくね。今日は暑くなりそうだから、木陰で休むのにゴ
ザも要るわね」って。「そうだね。今日はこの前より暑いからモンペも直ばきだと涼
しいんじゃない?」って言ったら、一瞬怪訝そうな顔をした後で「そっか。そういう
のが好きなのか?少し経ったら来てね」と家の中に戻っていった。
縁側から眺めていたらおばちゃんが一軒上のおばさんと笑いながら立ち話をしてい
た。『畑仕事に出かけるのに何だか楽しそうだね』と聞かれ「いい天気だし何か良い
ことがあるような予感がするんです」と返し、リヤカーにゴザを積んで1km程先の畑
の方へと坂道に向かう姿があって、こっちを見て何度か振り返った。
私は、それから少し間をおいて向かった。おばちゃんはこの前の場所にゴザを敷いて待っていた。隣に腰を下ろし『おばちゃん。美味しいきのこは見つかった?』って聞くと「うん。たった今、横で見つけた」と笑って、すでに膨らんでいる股間を撫で、ファスナーを下ろした。俺もモンペの脇から手を入れ『ちゃんと約束を守ってくれたんだね』と言い。オマンコに触れると、マン汁が股間を伝わりダラダラと流れた。『おばちゃん。下の口からよだれがいっぱい出ているよ。ほしいの?モンペにまで染みてきているよ。いやらしいな』と、よだれの付いた指を見せながら耳元で囁くと「早くちょうだい。早く!早く!」と。上着をはぎ取り、モンペを抜き取り素っ裸にして、長い間舐めたり吸ったりしてじらしてから、サック(当時はまだコンドームって言わなかったなあ)を嵌め『今日はまず後ろからね』と小さく囁くと「まるで犬みたい。おばちゃん初めてよ」と言うので、白くまん丸の尻を舐めたり撫でたり、おっぱいを揉んだりしてから、腰のくびれを両手でわし掴みして、オマンコにそってチン棒を擦り付けてから少しづつ入れると自ら腰を振り、尻を打ち付けてきた。
おばちゃんは背は小さい(150cmもなかった)が胸も尻もそのわりには大きく、い
わゆる当時トランジスタグラマーと言われた体形だった。意地悪をしようと動きを止
め『おばちゃん。今、何をしているの』って聞いみた。「あれをしている」って答え
たので『あれじゃあ、わからない。わかるように言って』と耳元で伝えると「意地悪
ね。〇〇ちゃんの太くて、大きくて、硬いチン棒が、後ろから△△(おばちゃんの名
前)のオマンコに嵌ってます」と小声で言ったので『声が小さくて聞こえないよ。も
っと大きな声で言わないと抜いちゃうよ』と言うと「何度でも言うから抜かないで!
もっと、もっと突いてちょうだい」と言い、より一層腰を振り、強く尻を打ち続けた。
白濁したマン汁があふれサックを白くしていた。しばらくするとおばちゃんは前のめりに突っ伏し、私は前と同じようにどくどくと射精した。おばちゃんが俺から離れた。
おばちゃんの眼はうつろで呆然としていた。振り向かせ股間を覗くとオマンコの下からマン汁が流れ出ていた。『おばちゃん。良かった』って聞くと「うん。とっても。あとね、これからこうして二人で会う時は△△って呼んで」と言い「まだ、嵌っているみたいよ。こんなに気持ちのいいのは初めてよ」自分はまたまた悪ふざけで『△△旦那のチン棒とどっちがいい』って。「意地悪ね~。わかっているくせに。〇〇ちゃんのに決まっているじゃないの!今日は時間もたっぷりあるし、いっぱい。いっぱい可愛がって」と抱き付いてきた。
しばらく休んで『今度は違うかたちで』と背面座位から対面座位に、そのまま立ち
上がり駅弁スタイルで腰を打ち付け続けると「〇〇ちゃん。これも初めてだよ~。奥
まで入っているよ~。すごい!すごい!もっと、もっと深く!強く突いて」と。「△
△は〇〇ちゃんの言うことを何でも聞くからいっぱい。いっぱい嵌めて!今日もオマンコがヒリヒリするけどすごく気持ちいいよ~。腰が抜けそうだよ~」って母親の
顔でなく一人の女。と言うよりも雌になっていた。俺も雄になってた。
さすがに素っ裸では寒くなってきたので、俺は持って来たヤッケを、おばちゃんは替えのエプロンを着け、作っていただいたおにぎりと梨、漬け物、煮出した麦茶で昼めしを摂り、お互いの股間を弄りながらしばらく寝そべった。
『ご馳走さまでした』「おばちゃんもおなかがいっぱい。向こうでおしっこして来る
ね」と歩き始めたので『近くでこっちを向いてしなよ』「はい」『おばちゃん。下の
口もおなかがいっぱいになった?』「そうね。もうちょっといただけるかな。いい?
だって5個だって言われたから …」
休んでいると、近くに交尾しているトンボが飛んできた。「あっ。トンボも交尾し
ている」『俺たちを見て羨ましかったんんじゃない?』「○○ちゃん。楽しいね。ト
ンボが繋がっているのを見たら、また欲しくなっちゃった」『△△ちゃん。今度はど
んなかっこうでやろうか?』「ちゃん付けはいらないよ。△△って呼んで」
俺は△△を抱えて、背面座位で入れ、両脇を抱えそのまま寝て突き上げ『△△入っ
ているのが見える?』「見えてる。すごく良く見える。浅く突き刺ささったり、深く
突き刺ささったりしてる。△△これも初めて」『グチュグチュってすごくいやらしい
音をたててるよ。△△はスケベな女だな~』「やーねー。言わないで。もう。本当にすごい音がしてる」それからひたすらに抜き差しをずっと繰り返した。どの位嵌めていたのだろうか?△△が急に無言になった。逝ったようだ。俺はまたまた射精した。
「もう2時間もすると子供たちが帰ってくるけど、もう一回いいかな?
また犬みたいにしたい。くせになっちゃいそう」と言うので、四回目に。
「今日は△△が先に帰るね。夕方6時過ぎにお風呂に入るからね。でも、こうして二
人で繋がったし、オマンコもいっぱい見たから飽きちゃったかな?」『飽きないよ。
これからも入っているときは窓を開けて』「これからも見れくれるの?嬉しい」
『結局サックが1個余っちゃったね』「でも△△は大満足よ。これからだんだんと寒
くなるから、どこかいい場所を探さないとね。△△ん家の納屋でもいいけど近所に見
られると…。声も殺さないといけないし」『そうだね。俺んちの納屋も目立つしね。
下の畑のちょっと先にある裏の家のリンゴ小屋は鍵もかけてないけど、これから収穫
の時期だから …。収穫が終わってからだね。お寺の本堂の回廊の縁の下は暗いから
平日だったら目立たないかも。いらないゴザを用意しておくから一度嵌めながら様子
を見てみようか?』「うん」『裏山の送電線の鉄塔下は平らだし目立たないからいい
かも?これからだと寒いから風邪をひきそうだけど』「○○ちゃんが太い注射を打っ
てくれるから△△は大丈夫。やだ~。何を言っているんだろう。△△もすっかりスケ
ベになっちゃってる」って笑った。
「○○ちゃん。いろいろなかっこうをどうして知ってるの?」『エロ本にいろいろ載
っていたから …』
「そっか。いつも見てるの?興奮する?」『たまにだよ。まあまあ興奮するかな』
「一度見てみたいな~。また今度いろいろなかっこうを教えてもらってみてもいいか
な?△△もいろいろしてみたい」『ますますスケベになっちゃうよ』「今さっきも言
ったばかりでしょ。△△はもうすっかりスケベになってます!○○ちゃんのせいです
!新しいかっこう、楽しみだな~。こうして嵌めてもらっていると同年代に戻って若
返った気分よ」
『今だって十分若いよ』「本当に?嬉しいな」と言い、抱き付きキスをしてきた。
これ以降、△△がしたい時は俺の家の生垣下に置いた花瓶に一輪の造花を。俺の都合がつけば登校前に造花を抜き取り。安全日には造花を三輪と約束ごとを決めてお互いを貪りあいあった。俺は時間さえあれば毎日でもしたかったが、言うことは何でも聞くとは言ってくれていたものの、夜はさすがに抜け出して来いとも言えなかったし …。
また、俺が平日に休んだ時はきまってお茶の時間に声をかけてくれ、上のおばさんが先に呼ばれていたある冬の日の午前、△△がスカートだったので、おばさんが用を足すため離れた隙に『△△パンツを脱いできて』と言ったら、「私も用足し」って言って。おばさんの後ろでこっちを向いてスカートをチラッとめくった。
「おばさん。テレビに近いこっちに移ったら。寝転がっても見られるし。私がそっちに行くね」と言い俺の隣に。そして「私も横になって見ようっと」と言って尻を俺の方に向けた。
「○○ちゃん、さっきまで家のお手伝いで大変だったでしょ。疲れていない?横になって少し休んだら」俺は、△△の方に頭を向け、手を伸ばし、オマンコにそっと指を這わせた。△△はおばさんと世間話を続けていたが、返事は「うん」とか「そうね」とか明らかに相槌を打つだけで上の空だった。オマンコは濡れそぼち必死に声をかみ殺している姿はとてもいじらしかった。
指を抜いて人刺し指と中指の間に親指を入れた“女握り”を作り△△にそっと見せる
と小さく頷き「〇〇ちゃん。疲れているのに悪いけど後でちょっと納屋の二階に動かしてほしいものがあるんだけど、手を貸してもらってもいかな?おばさん。ごめんね。午後はお茶淹れられないかも」『いいのよ。忙しいんでしょ。私は帰るけど○○ちゃん。手伝ってあげて。ご馳走さま』『わかりました。おばちゃん。時間はどれくらいかかるかな?』「そうね~。すっきりさせたいから最低でも1時間半は欲しいかな~」って珍しくウインクで返した。
おばさんに大っぴらなアリバイ工作を作り、帰った後直ぐマットレスと染み対策のゴザを数枚持ち込み、△△に手を引かれいそいそと納屋の2階に上がった。
物音は大丈夫だが、よがり声はまずいので、△△はフェラと会話以外は自分で口にタオルを咥え、昼めしも摂らずに結局2時間ちょっとまぐわった。冬なのに額に汗をかいていたので『風邪大丈夫?』って聞いたら「前にも言ったでしょ。今、太い注射を打ってもらっているんだよ。△△にはこれが一番効くの!」『そっか。一番か。俺、役に立っているのかな?それにしても△△はドスケベだな~』「立ってる。立ってる。だって、こんなに硬くなってさっきからずっと勃ちっぱなしだよ。△△には何よりの特効薬なの。
ほら、またまた○○ちゃんのせいで本当にドスケベだね。インフルエンザの予防接種だって年に2回なんだから、もう一生分打ってもらったわね。でも、もっといっぱい、いっぱい打ってね」って言った後、納屋の奥の方からお煎餅の空き缶を出してきて、「見て。見て」と。サックがいっぱい入っていた。○○ちゃんとするようになってから薬局へ行く回数が増えて、『お盛んね』って言われちゃったから、カブに乗って隣町に行ったり、実家に帰った時に買ったりして貯めているんだよ。旦那とはもう生でしたくないし、回数も少ないから家の中に置いておくと見つかったら疑われちゃうでしょ。だから、ここに隠しているんだ」『当分足りそうだね』「○○ちゃん次第ね。時間も長いけど回数もとっても多いから」状況をすっかり忘れて二人で思わず声をあげて大笑いしてしまいました。
高校を卒業するまでの間、幾度お世話になったのだろう。一番やりたい年頃でしたからね …。ただ、それだけでなく、体の相性のいい相手でした。
卒業してからも帰省する度に旦那の目を盗んではお世話になっていました。
カーSEXも何度もしましたし、ラブホも何回か利用して、紐で縛ったこともありました。△△はラブホの時は少女のようにキャッキャ言ってはしゃいでいました。
ラブホでは、最初の出会いを思い出し、バスの洗い場でおしっこも。
今だったら撮影にも笑って応じてくれたでしょう。最後にお世話になった数年後にはデジカメの時代が到来しました。その前にはポラロイドも持っていたので、数枚でもいいから△△の姿を残しておけば良かったと。△△は色白だったので紐で縛りあげ片足を吊って、オマンコに食い込んだロープの端を引っ張った時の表情はなんとも言えないエロさでした。今さらながら後悔しています。
高校の時にも何度か例のリンゴ小屋に置いてあった荒縄で縛ったことがありましたが、うっすらと跡がついてしまい、焦ったことも。それからは緩く縛っていましたが、△△も縛られるとけっこう感じていました。完全にM体質でしたね。
結婚後も両親が亡くなり、空き家状態になった実家の庭木の剪定や草刈り、墓参などで年に数回は帰省していたので会っていました。△△は帰って来ていることを知ると、昼や夕飯の差し入れを必ず持って来てくれていたので、お礼を口実に「お茶でも飲んでいってください」と堂々と家に上げ、不意の来客があってもいいように半着衣のままで嵌めまくっていました。バックや立ちバックが多かったですね。
最後にお世話になったのは私が40歳の頃でした。△△は背が小さかったためか、歳を重ねても体形もあまり変わらず、抱き心地も相変わらず最高でした。終わると「私たちは幾つになってもドスケベね。でも△△は○○ちゃんとあの時に会わなかったら、ドスケベになっていなかったし、○○ちゃんに嵌めてもらっている時だけだからね。普段は違うのよ!」って。
『△△があんな場所でおしっこなんかするからだよ』「覗いたのは誰よ。○○ちゃんでしょ。普通覗いたりしないよ」『覗かれたのを後悔しているの?』「ううん。あそこでおしっこして本当に良かった。おかげさまで。〇〇ちゃんにいっぱい。いっぱい。太い注射を打ってもらえたから。だから今でも風邪をひいたことがないんだよ。
やだな~。この歳になっても一緒にいるとついつい変なことを口ばしっちゃうよ~。本当に楽しかったね。もちろん今もだけれど。それにしても、旦那や子供たち、近所の人達によくばれなかったよね」『見つからないような約束ごとや場所を選んだからね。知ったらみんなびっくりどころじゃないよね。大騒ぎになってたよ。それにしてもいろんな場所で嵌めまくったね』「そうね。お外が多かったけど」と言って、クスっと笑っていました。
そう言えば△△は一度とて他の女性との行為について聞いてきたことがありませんでした。
例の町民運動会の母親とも、本当に誘われて高校卒業までの間、月2程度で楽しんでいたのだが、「町民運動会はどうだった?今年も大活躍だったって聞いたよ。いいことあった?」と言っただけで、『何もなかったよ。去年と変わんないよ』と答えると「そうか。何もなかったのか …」と言ったきり、それ以上は聞かなかったが、それとなく察したのか一瞬だけ沈んだ面持ちになったが、いつもと同じように会話を続けた。帰りが遅かったので分かっていたのかも知れない。
高校に入ってからもいわゆる熟女たちから不思議と声をかけていただいた。
“据え膳食わぬは男の恥”でお世話になっていました。ご馳走さまでした
もっとも、△△ではないですが、食べられていたのは私のチン棒でしたが …。
おかげでSEXに不自由はしませんでした。とてもいい青春を過ごさせていただきました、
そんな△△も十年ちょっと前に旅立ってしまいました。本当にいろいろお世話になりました。SEXの回数でいったら私の人生において妻よりも多かったと思います。
モンペにエプロン姿で農作業をしているご婦人もとんと見かけなくなりました。ゴザもレジャーシートにとって代わられ見かける機会が少なくなりましたが、見かける度に△△ちゃんと過ごした甘くて激しくて、とても淫靡な時間が思い出されます。本当に約束した通り何でも言うことに応えてくれました。
感謝。感謝ですね。ありがとう。