写真は全部で60枚前後、、動画は全部で15分くらいの長さのものが3本。果たしてこれで5万円は高いのか、安いのか・・。画像に関しては、本当にオッサン先生が言っていた通り、セックスシーンに至るまでの合間、合間に撮影した画像ばかりでした。この頃のオクサン先生は神経障害にかかってないのか、表情が今より断然明るく、全ての写真に共通して「何撮ってんのよ><!」みたいな表情をしていました。ですが、やらしい目つきでオッサン先生の男根を咥えている写真や、ハメられていわゆるアヘ顔している写真もあったり、内容としてはそこまで騙された、、、というものではありませんでした。(知らない赤の他人のエロ画像というのではなく、実際にかかわりのある人物のエロ画像という点では興奮度2000倍でした)動画については全てうす暗いベッドルームの中、ベッドの頭元に定点カメラとして置いていたのでしょうね。脱がすシーンからハメるシーンまで15分程度の動画が系3本。それを見た感想でいえば、オクサン先生の見た目は流石に音楽に精通しているというだけあってドレスが似合いそうな美人、淑女系の華奢な女性なのですが、あえぎ声だけは「アン♪ アアン!♪」みたいな可愛らしい声を出していました。ですが、内容は100点。だけれど、、60数枚と15分が3本の動画に5万円という値段が付くのは正直、高い気がしました。(今度、オッサン先生のところ行ったときに追加で他にも何かないか聞いてみるか・・・)くらいに考えていたのです。この文章の冒頭の言葉を借りれば、「その当時は、その出来事に直面している当事者であったので今とは感覚も受け止め方もまったく違いますが、思い起こせば(よく平気であんなことやってたよな)と呆れてしまう体験・・・。これに足を踏み入れていたのでした。そして、、数日後、僕はまたオッサン先生の家へと訪問したのでした。もちろん、前回の時に5万円という高額の売買をしていたので、オッサン先生はすぐにこう言ってきました。「どうだった?」と。僕はそれに「内容はすごくよかったです。でも枚数が少ないような・・苦笑w」するとオッサン先生は答えました。「枚数とか内容はあらかじめ教えた上でお前が買うって決めたんだから。それを見た後で文句言われてきても困るぞ」と。(ちげーよ、オメーが買ってくれって懇願してきたんだろ。俺から売ってくれって言ってねーよ)こういう一つ一つの言動にイラっとしてしまうのがオッサン先生の特徴なのですが、こういうのがいわゆる「精神を病んでる人」なのかもしれません。人間関係の空気が読めないというか・・。ま、、いいや。大輔「もしよければ追加とか何かないのですか? ちょっと物足りない感もあったので、追加アイテムがあるなら気になってしまって・・w」オッサン先生「追加なぁ。。そうだなぁー。じゃ、ヨメハンの下着とか買ってくれないか?」大輔(そうくるか・・・。この人、もう目先の金の事しか頭にないんだな・・・)大輔「でもw そんなの亡くなったらバレません?」オッサン先生「そうでもないぞ。下着類なんて基本、燃えるゴミとして簡単に捨てれるものじゃないから、家にたまってんだわ。」大輔「今の現行のではないということですか」オッサン先生「その分、安くはしとくけど数はけっこうあるぞ。そんなの俺がヨメにはまとめて捨てといた。といえば大丈夫だし、というか聞いても来ねぇよ」大輔「いくらなんです?」オッサン先生「だいたい、、、俺が前見たときは前に使ってたやつが上下で6セットくらいあったと思うが・・・。3万でいいよ」大輔「3万wwww 1万5000円で手を打ちません?それならすぐに出せます。3万となれば来月の給料日まで待たないといけませんw」僕はオッサン先生が1秒でも早く現金を手に入れたい性格をしているのを逆に利用してみたんです。オッサン先生「来月末か、、なら1万5千円でいいよ。もってくるから待ってて」そういうとオッサン先生は2階部分へ行き、数分後にピンク色で出来たA4サイズくらいの手提げがついたビニール袋を持ってきたんです。オッサン先生「これだよ。いつか捨てよう捨てようとして置いてるみたいだけど、ずっと置いてたやつだ」僕は少しだけ中を開けてみると、確かに・・・。ピンク、紫、白といった具合の色彩のブラやパンツが無造作に丸め込まれているのが見えました。僕「じゃ15000円出します。ほんとバレたりしないで
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オッサン先生と知り合い、そしてオクサン系のコンテンツに課金し始めて2か月くらい経っていました。最初の頃は遠くから「じー」と眺めていただけのオクサン先生も、僕がこの2か月の間に3,4日に1度のペースで通い詰めている事もあり、僕に対して話しかけてくることはないものの、少しは慣れてきたのか同じ空間で時間を過ごすことも多くなっていた時です。(オッサン先生と僕がテーブルで酒を飲んでいる時、すぐ向こうにあるソファーに座ってテレビ見ている等)そしてその日の僕は計画を練っていました。もう画像や動画、またはアイテムでは満足できなくなっていた事もあり、前回の末尾で少し予告していた「オクサン先生に酒を飲ます」という計画でした。なるべく不自然な形にならないよう、あらかじめオッサン先生に、「明日は僕がメシ作りますのでキッチン貸してください」とだけ言っておき、せっかくなので一緒に食事をしましょう。という理由ならオクサン先生を僕たちの場に誘い出し酒を飲ませれると思ったのです。作るものは簡単に作れて酒が進むもの、具材を混ぜるだけで出来る麻婆豆腐と八宝菜の素を買っていき、その作戦を決行することにしたのです。この作戦は大当たりでした。僕がキッチンに立ち、半レトルトの中華料理を作る合間、オッサン先生とオクサン先生には酒を飲んでもらいました。まず最初のビール、そしてオッサン先生が好きな焼酎。あとオクサン先生用にチューハイなど。そして3人でテーブルに座って食事会のような展開になり、音楽の話を中心に話題は進んでいき、(終始、僕とオクサン先生がオッサン先生を省いて直接話をするという事はありませんでしたが)みるみるうちに酒の空き缶、空き瓶が生産されていったのです。そしてここまで予想通りの動きをする事に、あるいみ策を練った僕が驚いたというか、オクサン先生が「ふわあ・・。眠くなってきた」と言い出したのです。以前にも何度か僕がトイレを借りに1階部分に降りたとき、オクサン先生が(オッサン先生がいうには、薬が効いてるからとい理由で)ソファーに座ってうたた寝している光景はみましたが、はやり「酒プラス安定剤」というものに耐性はついていなかった様子です。また、その日のオクサン先生の服装も完璧でした。ベージュの膝までのフレアスカート、シンプルな白ブラウスという感じであり、(スカートを簡単にめくりやすいという点で)ここでスキニージーンズとかなら困難を極めたはずです。僕はオクサン先生はいつものソファーで休んでもらう様に誘導し、引き続きオッサン先生と僕はテーブルの席で酒を飲み続けていました。そしてオクサン先生が居なくなった(具体的にはテーブルから2,3メートル離れたところにあるソファーの上で眠りだした)ことで、話題は「前回のお買い物」の話になっていました。そして僕は言ったのです。ここからは一応、ヒソヒソ声での話になります。(僕だけ。オッサン先生は通常のボリューム)僕「僕からの提案なんですけどw もし元村さん(オッサン先生のことね)さえよければ、、の話をしていいですか?」オッサン先生「どうした」僕「ここ何回か元村さんから色々、オクサンのコンテンツを紹介してもらったじゃないですか」オッサン先生「うん」僕「ここで提案なんですけど、もし僕が寝ているオクサンに、直接触ったりする、、という事が許されるなら、どれくらいの謝礼を提示してきますかね?」オッサン先生「なんだ、触りたいのか?」僕「はいww なんか興奮しちゃってw」オッサン先生「薬のんで寝てるからな。バレないとは思うけど、具体的には何をしたいんだ?」僕「そうっすね・・・。軽くおっぱいタッチとか、スカートめくりといった子供じみた事なんですけどw」オッサン先生「なんだw そんなことか。そうだなぁ・・。いろいろお前にはやってもらってるからな。今回はタダでいいよ」僕「え?そんな悪いっすよ」オッサン先生「オッパイタッチとスカートめくりだろ?タダでいいって」僕「ありがとうございますw じゃ、起きないうちに済ませてきますw」オッサン先生「起きることはないから安心していいぞ。終わったら上こいよ。久しぶり演奏しようぜ」そういってオッサン先生は僕に気を利かしたのか、、それとも「完全に空気が読めてないのか」なにやら上機嫌で久しぶりに演奏しようなんて言ってくる始末でした。そして階段の上に上がっていくオッサン先生。その場に残される僕と寝ているオクサン先生でした。僕は景気をつけるためにグラスに残っていたハイボールを一気飲みし、、ゆっくりと席を立ったのです。
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ここまで読んでいただいた方はきっと長文耐性ある方だと思いますので、クライマックスシリーズも悔いのないよう書いていこうと思います。<元村夫妻とは>元村夫妻 夫:オッサン先生(39) オクサン先生(30代前半~中盤)聞くところによると、当時からみて9年前、同じ〇〇フィルハーモニー管弦楽団で知り合い交際を開始する。交際2年後、晴れて結婚。それから現在の住宅である2階建ての建売住宅を「借家だといつでも引っ越ししできるから」という理由であえて、購入ではなく賃貸契約したとの事。(よほど金に余裕があったのだろう)結婚後も同じ〇〇フィルハーモニー管弦楽団からの収入と、その他の音楽活動での収入でそこそこ羽振りもよかったらしい。が・・・。何事も順調だった結婚生活は4年目で変化が表れてくることになった。音楽業界にも時代の流れというものがあり(僕にはサッパリわからんが)仕事が少しづつ減ってきたとの事。また一か月で100万稼いだと思いきや、それから3か月、一円の収入もないなど、まるで不安定な水商売的な経済状態だったそうだ。羽振りのいい時と苦しい時が交互に繰り返す。そういう時こそ、しっかり貯蓄をするべきなのかもしれないが、オッサン先生は羽振りはいい時は人に大盤振る舞いし、苦しくなれば物を売ったりして酒代にしていたそうだった。(身に着いた贅沢な習慣を変えるのは難しいんだろうね。)結果・・・。ストレスなのか何なのか、オッサン先生はストレスと私生活の不摂生がたたり気が付けば鬱状態へ。それから程なくオクサンのほうもある日突然、電車に乗っている時に原因不明の不整脈に襲われ、、不安神経症という病を患うことに。こうなれば仕事どころじゃない。最初のうちは僅かな蓄えを切り崩したり、金になるものを売って当面の生活費を工面していたそうだが、思ったより二人の症状は深刻だったそうだ。気が付けば心療内科でもらう薬がなければ普通の生活ができない状態になっていた。そうなってからも生活費を工面するために家財道具、高級電化製遺品などはすべてリサイクルショップに換金し、尚、貴金属類、礼装等、「こんなものはまた音楽で稼いでいけばすぐに取り戻せる」との理由で売り払ったそうだった。全て売り払った。それでも生活の見通しが立たない。かといって援助してくれる知り合いもいない。(年老いた親も楽な暮らしをしているわけではない)そんな理由で・・思っていたよりも簡単に生活保護申請が受理されたと言っていた。これで必要最低限の生活ができる。そこから病気を治療する事に専念し、「僕と知り合うまでの3年間」オッサン先生は仕事から離れ家でゴロゴロし、オクサン先生も同じくこれといって外出もせず、とにかく家でひきこもる生活が続いたとの事。それがよかったのか、それとも悪かったのか、それは誰にもわからないが、少なくともうつ症状や神経障害の症状自体は、当初とくらべて8割くらい緩和していると本人は言っている。だが僕から見れば、きっとこの3年間も続いたひきこもり生活というものは、うつ病や神経障害という次元を超えて、「人間性」というものをどこかで堕落させ、普通の感覚を忘れてしまうものなんだろうと思う。(過度な節約癖、物乞い癖、羞恥心の欠如、無気力)いいかえればどんな健常者でも3年もひきこもれば先生みたいになるんじゃないかって思うのだ。そして練習後・・・・。僕「ありがとうございました。」オッサン先生「おつかれさん。やっぱうまくなってるな。」僕「そうっすかね。自分ではまだまだだと思ってますが」オッサン先生「そういや総銀のフルートも練習してるのか?」僕「いえ、、あれはあれで難しそうなんでそこまで手を付ける余裕はありませんよ」オッサン先生「そうか。いちおうヨメハンも今はあんな調子だけどフルートはプロだからな」僕「そうなんすか?」オッサン先生「前にあげたフルートはもともと、ヨメハンのものだからな」(あげたんじゃねーよ。買ったんだよ)僕「そうだったんですか。でもいいんですかね?僕がもらっちゃって」オッサン先生「それは本人にも言っておいたから。」僕「え?僕が買ったって言ったんですか?」オッサン先生「ああ。この前、最近、羽振りいいね。なんて言われたんだよ」僕「なるほど」オッサン先生「フルートの事だけでなく、動画の事も言っておいたよ。」僕「え? 動画のこと? 本人にいったんすか!?」オッサン先生「うん。いちおう金銭的な世話してもらってるみたいな部分もあるから、言う必要あるだろ」(ねーよw どこにあるんだよ! シレ~~と「いったよ
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