あらかじめ、長文が嫌いな方と不快に感じる方は読まないでください。別に自慢したいわけでもな
く、批判されたいわけでもない。
知人の紹介で、小料理屋のママを紹介してもらった。行きつけの整体で体調を壊したとのことで,
カウンセリングから私の整体に通院してくれることになった。容姿は松原智恵子にそっくりで、性格
は吉行和子のように気さくだ。そもそも、体調の優れない理由はメンタル的な部分が9割で、治療と
ともに生活習慣等を聞かなくてはならなかった。店は不況にもかかわらず盛況で、銀座のママを辞め
て、売れ残ったホステスの面倒を見るべく料理屋を始めたという。
最初のころは通院してもらったが、店が終わったら来てほしいとの依頼を受けた。一度例外を認め
てしまうとそれが当たり前になるし、時間も不規則でお断りしたのだが、気難しいママのため交通費
をもらうことで引き受けてしまった。そのうち、交通費のかわりにまかないをご馳走になり、有難く
もそうでなくもあった。積極的で、私の事を気に入ってくれて、元ホステスの誰かを紹介すると言っ
たり、自分のバツイチの娘41を紹介したいという。そんなトラップには引っかかることなく、ご馳
走になっても酒は呑まなかった。本当は、元ホステスを自宅に送ってくれるとタクシー代を渡さなく
て済むと言われた。
ママはお客様と毎日酒を飲まされるので、体力的にも、年齢的にもそろそろのようだ。元々ガリガ
リで指圧と言っても、撫でられるのが好きで、愚痴を聞いて欲しい様なのだ。昔は銀座で4店舗経営
したが、男やライバルの女に店を取られたりしたらしい。その時は地獄だったが、その店はバブルで
倒産したのでむしろ良かったと振り返る。女が銀座で生きていくには、相当だったという。何人の男
と寝たかわからないし、娘は年が二回り上の不動産関係の方だったらしいが、死去。子供を育てるう
えで、一旦は水商売から足を洗いソープで数年、頭金や生活費を稼いだという。太ももには刺青があ
ったようだで、今は皮膚移植の痕があり、詳しくは聞いていない。