【生涯最後の・・・】にコメント投稿しましたが、僕は、人妻 との交際ですから、甚だ場違いですが、30年前の事、此処に投稿します。 僕が、高一の、9月11日の事に遡る。 その頃の僕は、軽度であるが色弱で、大学の建築学科をあきらめ、父の母校・父の仕事 に進路変更をしようとしていた。 進路変更のストレスを、音楽活動・バイク・バイトに逃げていた。 大阪のラジオの、深夜放送のアマチュアミュージシャンのオーディションに居た。 何分、幼稚園からのエスカレーターの学校だったから、中学時代から、何度も合格し、番組に流されていて、場慣れしていた。 横に、緊張からか、震えが隣に居ても感じ、顔面蒼白な、八千代が居た。 無事オーディションも終わり、二人で御茶をして、自己紹介・雑談・連絡先を交換 その場は、別れた。 何とか二人とも、合格し、収録日に、始めてのデートをした。 この時から、二人の薔薇色の人生と、奈落の底への階段が始まった。 彼女、高三で2学年上だったが、何か年の差を感じなかった。 そして、いっぱいデートして、3ケ月後のクリスマスプレゼントつで、僕と八千代のファストキスを交換した。 春になり、八千代の大学進学が決まり、四輪の免許を取得した。 この時、2歳の年令差を、痛感した。 思いっきり背伸びして、それまで頑なに拒んでいた、タンディアムで、六甲山の疾風になった。 僕は、勝った!! 八千代が、疾風に魅せられて、親に内緒で二輪の免許を取得した。 それからの2年間は、一杯思い出を作った。 今でも、食べきれない位に。 僕の大学進学が決まり、親父が、粋な祝いをくれた。余りに、大きく悲しい祝いだ。 一泊で、【六甲山ホテル】宿泊だった。 この晩に、童貞と処女を交換し、僕は、八千代に言った 「八千代が70の、御婆ちゃんなった所みて見たいから、ずっと横居てほしい」 答えは無かった。 唯一の答えは、八千代からのキスだった。 いまだ、30年になるが、答えてはくれていない。 そして、それから、2ケ月して、ゴールデンウイークに、2泊のツーリングに出掛けた。 父には、 「八千代が70の、御婆ちゃんなった所みて見たいから、ずっと横居てほ しい」のくだりを、報告していた。 父の答えは、 「もう、兄貴飛び越えて、おまえに義娘かぁ・・・」だった。 八千代も、このツーリングで返事すると、云っていた。 登りの峠を、前に八千代、後に僕、と、 2台で疾風になっていた。 カーブに差し掛かり、センターラインオーバーの対向車が来た。 一瞬悪い予感がした。 次の瞬間、避け切れず、バランスを崩した八千代が、道路の岩肌に激突した。 ここから、ほんの何秒だか、全く記憶がない。 僕が、どんな風に避けたのか、どの様にして停めたのか、誰が救急車を呼んだのか、どの様にして腕の中に八千代を抱き締めていたのか、誰が八千代のヘルメット外したのか。 気がついたら、八千代が腕の中にいた。 かすかな声のはずなのに、凄くはっきり聞き取れた。 「まぁくんの、御嫁さんなりたいなぁ・・・」 「いっぱい、美味しいケーキ食べたいなぁ・・・」 「やっちゃん、ケーキの勉強するね!」 「まぁくん・・・」 この最後の言葉聞き取れなかった。 急に、八千代の力無くなり、笑った様に、腕の中で永く寝てしまった。 どこかで、起きて、ひょっこり 「まぁくん!」 て、来てくれないかなぁ。