”お風呂溜まったよ”
息子の言葉に目が覚める。
宏和に先に入るように言われて風呂場に向かった。
下着を脱ぎ始めて、エッチなTバックを履いていたことに気づく。
「まずかったわ、ヒロちゃんに見られちゃったかな?」
苦笑いしながら風呂に入る。
浴槽につかりながら息子にマッサージしてもらった脹脛を揉み解す。
そして息子が遊園地に誘ってくれたことを思うと幸せな気持ちになった。
そのまま暫く浴槽で体を温めた後、私は風呂場から出た。
バスタオルを手に取り髪の毛、体を拭き始めた時だった。
突然、右足が攣り激痛が走った。
「痛い!脹脛が痙攣した。ヒロちゃん!」
私はその場に座り込み息子を呼ぶと、脹脛を抑えた。脹脛は石のように
硬くなっていた。
あまりの痛さに床に横たわる私を見て息子はすぐに状況を理解した。
息子は床に座ると私の右足を自分の膝の上に引き寄せた。
全裸の状態で私の股間が開く。
「イヤ!見ないで!」
私は慌てて手のひらで股間を隠した。再び、私を激痛が襲いたまらず
私は股間から手を放してしまった。息子は気を利かせてバスタオルを
かけてくれたが、たとえ一瞬でも、私は足を全開にした状態で息子の前で
おマンコをさらけ出してしまった。たぶん、クリトリスやヒダ、アナルまで
見られてしまった。
その後、痙攣は収まったがアソコを見られてしまった恥ずかしさとショックで
私は落ち込んでいた。
そんな私に息子は優しく声をかけてくれた。
”実の息子に見られただけ、俺が生まれてきた所を見ただけだ。
恥ずかしがることない”って
そんな息子を見ていたら、別れた夫(宏和の父)の姿が重なった。
その日の深夜、ベッドの中で私は別れた夫、幼い宏和と暮らしていた頃を
思い出した。
(回想)
別れた夫は同い年で同じ職場で知り合い、大恋愛の後、結婚し宏和を
授かった。
当時は、私たちは20代、毎日、SEXを通して互いの愛を確認し合っていた。
平日でも2回、休日となると数回、互いの肉体を交え結合していた。
妊娠中の時期を除けば、宏和が生まれてからもそれは続いた。
あらゆる体位を試しては二人が一番感じる形を探り合った。
最終的にたどり着いたのは背面騎乗位、鏡の前で行うと結合部分
が丸見えで恥ずかしさといやらしさが私の性欲に火をつけるのだった。
ただ、何度か寝ているはずの宏和が起きて夫婦の交わりを見ていて
慌てたことがあった。宏和は”お母さんをいじめちゃダメ!”と止めに
来てくれた。
よく考えてみれば、宏和には過去に何度もおマンコを見られていたのかも
知れない。もう覚えていないと思うが。
(終わり)
「何で些細な事で別れたのかな・・あんなに愛し合っていたのに」
そのまま私は眠りについた。
週が明けて、私は気持ちが落ち着かなくイライラする日が続いた。
職場の後輩や宏和から心配されて聞かれたが、更年期障害かもと
言って流した。なぜなら、自分では理由がわかっていたからだ。
それは健二が出張して10日以上、SEXレスになっている事が原因だと
気づいていた。以前にも同じようなことがあったからだ。
イライラするのは股間が疼き火照っていてもそれを収める手段が
自我しかないからだった。彼が戻るまで約2週間、私は何とか乗り切ろうと
頻繁にトイレで自我を繰り返していた。
そしてそれは週の半ば、自宅で風呂から上がりリラックスしている時だった。
息子は風呂に入っていた。
私はトイレで用を足し居間に戻ろうと風呂場の前を通るとドアがわずかに
開いていた。
ドアの隙間から風呂から上がって体を拭いている全裸の息子の姿が見えた。
私はその場に立ち尽くした。たくましい肉体、そして下半身にそそり立つ
立派なペニス。
それは私が今まで付き合ってきた十数人の男の誰よりも立派だった。
性欲に飢えていた私は、自分も全裸になり、そのまま抱きつきたい、
抱かれたい衝動に駆られた。
でも、かろうじて母親としての自制心がそれに打ち勝ち、”はっ”と
気づいた私は、慌ててその場を立ち去った。
そして自分を叱りつけるように心の中でつぶやいた。
「馬鹿な事考えないで!宏和は血がつながった息子、あなたの性欲を
満たす対象じゃないのよ!」
何度も、何度も、心の中で繰り返すが息子のたくましい裸体とペニスは私の
脳裏に刻み込まれてしまった。
それ以来、私は頻繁に宏和の股間の膨らみを気にするようになっていた。
(もし可能なら遊園地の事まで書いて頂いてかまいません。またはストーリがあれば教えてください)
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