妻の了承を得ると歩き出す。
週末のターミナルビルの前には大勢の人々が行き交い賑わう中、私達夫婦だけが淫らな想いを抱いて歩いているようで気恥ずかしく感じる。
『そんな事…誰にも気づかれる訳はないのに…。』
一人心の中で苦笑いを浮かべ、横を俯きながら歩く妻を見つめる。
「こんなに綺麗で清楚な陽子を…これからハプニングバーに連れて行こうなんて…。」
不意に罪悪感のようなものが芽生えるものの、それでも思い詰めるほどに考え抜いて決めた今日これからの事…。
妻を自分たった一人のものにしておかなければと言う常識のようなものが膨れ上がった欲望に敵うはずもなかった。
せめてもの罪ほろぼしと自分自身に言い聞かせるように隣を歩く妻の腰に腕を回し、自らへと引き寄せる。
『何年ぶりだろう…こんな風に歩くのは…。』
結婚前には人目を気にすることのないデートの時は、今みたいに妻をいたわり愛を表すように接していたはず…。
しかしながら妻がそこに居る事が当たり前だと感じるようになったのはいつの頃だっただろう…。
最愛の妻はいつの間にか空気のような存在に変わってしまっていた。
いや…私自身が妻を空気のような存在に変えてしまっていたのだ…。
それがあの日の居酒屋の出来事で、妻への愛情を再認識させられ、それだけではなく歪んだ欲望までも心の中に宿してしまうことになるなんて…。
無言で歩く妻の腰に回した手が妻の些細な変化を私に伝えてくる。
『震えてる…?』
僅かに伝わる妻の震え。申し訳なさを感じながらも、今日これからの事を無かったことにしようと言い出すことはできなかった。
「もうすぐ…だから…。」
高木に教えられたハプニングバーは、都会のド真ん中に立つ高級マンションの一室にあった。
場末の薄汚れた店であったなら計画を中止する事もできたかもしれない。
「こっ…ここみたいだな…。」
妻に向かって言った言葉なのか、自分自身への言葉だったのか…僅かに震える声色が緊張している事を透かし見られてしまいそうで、思わず腰に回した腕を解き、エントランスへと向かう。
「1524…。」
部屋番号を呟きながらインターホンを操作する。
「はい…。」
てっきり男が対応してくれるものだと思っていた考えを裏切り、若い女の声が聞こえる。
「ご連絡いたしました…島田と申します…。」
高木に言われて連絡を入れておいた。
どうやらハプニングバーと言うヤツは合法的な店舗ではないようで、摘発を逃れる為に知る人ぞ知ると言った立ち位置のようだった。
予約通りの者から確認したいのか、何かを警戒してなのか…念入りに本人確認が為された後、ようやくエントランスの自動ドアが開いた…。
「いいね…?行くよ…。」
最後に妻の意思確認をしながらも、その答えを聞かぬままにマンションの中へと足を踏み入れる。
『いよいよか…。俺の目の前で…淫らな視線を浴びせられる陽子を見られるんだ…。』
エレベーターで15階へ上がり、示された部屋の前に立つと再びインターホンを押す。
「島田です…。」
その声を確認すると静かに扉が開き、薄暗いダウンライトが照らす室内へと入る。
「高木様からご紹介でしたね…。こういったお店は初めてでいらっしゃいますか…?」
怪しい雰囲気ながらも丁寧な対応に拍子抜けしながら説明に耳を傾ける。
「今日は見学だけと承っております…。先に御入店のお客様には予め伝えておりますのでご安心下さい…。」
柔らかな笑みが逆に不気味さを醸していたものの、気にしないようにしながら店内へと足を踏み入れる。
「こちらのお席へ…。」
勧められた広場のソファーに腰を下ろす。辺りは入り口よりも更に暗く、他にも何人かの客が居るように見えるものの、その表情までは確認することができない。
「どうした…?怖いか…?大丈夫…俺がついてる…。」
握ってきた妻の手は薄らと汗ばんでおり、緊張している事を伝えてくる。
『陽子も手にこんなに汗を…。俺だって内心ハラハラだって言うのに…。』
辺りの様子は覗い知ることはできない。それは視界が閉ざされたように薄暗い為…。
しかし、視線を廻らす頼りない感性以外の感覚…聴覚には僅かながらの声色が伝えられてくる。
「陽子…大丈夫…。これだけ暗いんだ…。そんなに怯えることはないよ…。
ほら…聞こえるだろう…?他のお客さんは…それぞれに楽しんでいるみたいだ…。」
僅かに耳に届く周りの声。啜り泣くような女の声や、悦びを表すような嬌声…。
地を這うように呻くような男の声…。
それに…身体と身体が打ち合わされるような音までも…。
「ここはね…それぞれに楽しめばいいんだ…。みんな同じような感性を持った人達なんだから…。」
柔らかく諭すように言葉を口にしたものの、そんな言葉には何の意味があったのか…。
到底妻の緊張を和らげるものにならないことはわかっていた。
そこへ入店時に頼んだ飲み物が運ばれてくる。
「お待たせしました…。」
テーブルに飲み物を差し出す女性。入り口で対応してくれた女性らしい。
セクシーなバーテンダーの衣装を身に纏った女性が身体を屈めてテーブルに飲み物を置く瞬間、深い胸の谷間が目の前に晒され、呆気にとられたような私達夫婦を見て…。
「皆さんもっと大胆にお楽しみですよ…?」
クスクスと笑うように言葉を浴びせられると、初心者とは言え恥ずかしさが込み上げてくる私達に…。
「ここは…皆さん刺激を求めてご来店されるのです…。見学だけとうかがっていますが…先程カウンター席の単独男性様からリクエストがございまして…ぜひご一緒したいと…。もちろんお話しだけと仰ってますが…よろしいでしょうか…?」
思わぬ申し出だった。もちろんこの空間の意義すらわかりかねていた私にとって、何をどうすれば良いのかすらわからなかった。
『そうだな…誰か近くに来てくれないと…陽子を見てもらう事だってできやしないしな…。』
渡りに船とはこの事か…そんな想いで申し出を受けることにした。
「大丈夫…話だけって言ってただろう…?飲み屋で相席になるようなものだから…。」
妻をなだめるようにそんな言葉を投げ掛けた途端、ソファーの目の前に腰を下ろす男性が。
その顔には目元を隠す仮面のようなものが。
『そうか…単独男性は画面を着けているって…受付で言われたんだったな…。』
妻の握る手に少なからず力が込められた…。
「はじめまして…同席のお許しをいただきありがとうございます…。今日が初めてなんですね…?
ご夫婦のようにお見受けいたしますが…奥様…とてもお綺麗で羨ましい限りです…。」
薄暗い中でも、この至近距離であれば仮面の奥の瞳が妻を舐めるように眺めているのがわかる。
俯く妻の顔と胸の膨らみ、そこから更に下がってピタリとつけられた膝から爪先まで…。
『この男…遠慮の無い視線を…陽子に…。』
その視線の先を追い掛けるように妻の身体に目を向ける。
『陽子の胸の膨らみを…他の男達と同じように眺めて…。陽子が…男の欲望に満ちた視線で…犯されているようだ…。』
私の手を握る妻の手を握り返すように力を込めると、どちらの手が汗ばんでいるのかわからないほどに、その合わせ目には滑りを感じるほどに…。
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