タクシーの中で律子の横顔を見てると、律子って呼ぶの慣れなきゃって、不意に思い勇気を出して且つ平静を装って「り…律子…」と呼んだが…その声は震え、とてもたどたどしいものになってしまった。
「ん、なぁに?」とこちらを向いた律子。
「えっ、イヤ、ただ呼んでみたくて…」とバツ悪そうに狼狽えていると、律子は笑いながら「呼んだだけ?…呼び方すぐに慣れるよ?
あたしだって、ちっちゃいあたしの呼び方真似た時はすごく頭くらくらした思いしたもん…
それに…今みたいに「律子」って呼んでくれる瞬一…前よりもすっごく頼もしくなった気がするんだ…」とニコニコしながら身を寄せて腕に抱きついて言われて、僕もどこかで何かがストンと抜け落ちた感じがした。
僕は律子と会話して触れ合う度に、トラウマを起こして失くしたものが埋まって行っているような感じがして、今の笑顔が前みたいな喪失感
は無くて、僕はそっと律子の頬を撫でながら微笑んでると
「今回は函館の方に行くんだよね?」「そうだよ?その後、札幌や小樽にも行く予定だよ?」「…札幌も?小樽も?欲張りな旅だなぁ…」「えっ?ちょっと欲張り過ぎた?律子が少しでも楽しめる様に予定組んだつもりなんだけど…」と不安そうに言ってると「しかも初めからあなたと一緒なんだもん。
ずっと2人で…嬉しいなぁ…」と言ってくれて
「僕もだよ?前回と違ってずっと2人でいれるから僕も嬉しいよ。」と話してると
「…これからのこと…考えるには、ちょうどいい機会だね?トラウマが治ったとしても、そんな未来のを少しでも受け入れちゃうと…揺らいじゃうから…」って言われてハッとした。
僕はこのトラウマが治ったら水泳競技に復帰すると思っていた…でもその一方でまなみさんみたいに家庭を守って、帰ると律子が「お帰りなさい」って迎えてくれる生活も少しは期待していた。
でもそれは律子が競技をやり終えてからだと押し殺していた気持ち…
ただこうして泳げなくなった状態になってしまった事は予想外の出来事だった…
僕が黙っていると「…ふふ?瞬一、迷っているでしょ?現役続けさせるかどうか…」と僕の気持ちを見透かした様に言われ「いや、律子…僕がそんな現役続けさせるって…」とあたふたして言ってると「正直なあたしの今の気持ちは…もうこのまま水泳辞めてもいいかなって思っている。
穏やかに…ゆっくりと神戸で…大好きなあなたの側で暮らすの…
ま…まだわからないけどね?」と言う律子に対して僕は「そ、…そっか…まぁ…」と言いかけた時「…失礼、もしかしてあんた、竹田律子さん?」とタクシーの運転手が話かけて来た。
「あ…はい、そうです…が…」とキョトンとして答える律子…活動休止してしばらく経っていたせいで油断していて、ハッとした僕は様子を守る様に軽く前を塞ぐと律子が静かに首を横に振った。
「話を遮っちゃってごめんね?うちにスイミングしてる娘がいて、いつもりっちゃん、りっちゃんって騒いで見ていたから、顔と名前を覚えさせられちゃって…」「あ…ははは…それはどうもです。」「急に休むって前に発表があったでしょ?一家全員で心配していたんですけどね?その様子じゃ大丈夫そうだ。」と言われ
「…えっ?」と律子が驚くと同じように僕もえっ?と驚いた。
「何があったか、どうするのか、あたしには関与できないし、するつもりもないけど…今のりっちゃんの目、ちゃんと自分で決断する目をしているから。
ほら、私はこんな仕事しているからさ、色々なお客さん乗せて話しているから、なんとなくそういうのが解るんですよ?」と妙に説得力がある言い方で言われて
「あ…ありがとう…ございます…」と律子が頭を下げると僕も頭を下げた。
「どういたしまして。ところで、そちらのおっきなお兄さんは…?」と僕の方をルームミラーでチラッと見て聞くと「はい、夫です。」と即答する律子に「いやいや、まだ早いよ!まだ式だって挙げてないんだし…」とあわあわしながら律子の口を塞ごうとしたら
「…いいじゃない?書類や式なんてただの手続きみたいなものじゃない?
2人の気持ちがそうなら、もうあたし達は夫婦だよ?
それにこの方、ちゃんと公私はわきまえている人だよ。あたしはそう思う。」と至極もっともな事を言われて僕は「…そ、そうだな?律子の言う通りだ…」と戸惑いながら僕はそう言うしかなかった。
「ありがとね?ただ、話の中身は誰にも言わないけど、娘にはりっちゃんがお客さんで乗せたって内緒で自慢してもいいかい?」
「…はい。娘さんにもナイショね?って…お伝えください。」
「わかった。ありがとう、そうするよ。って話しているうちに着いたよ?」と言うとタクシーが止まり、僕が料金を払って「ありがとうございました。」と言って降りた。
タクシーの運転手さんの言った通り、律子の瞳に以前の様に力を取り戻した様に見えるが、まだまだこれからだ!それでも笑顔が取り戻せた分…随分と嬉しそうにタクシーに手を振っている律子を見つめていると…
「…なに?」と不意に振り返って言われ慌てて目を反らすと…
律子がクスって笑うと僕の襟を掴んで耳元に耳を寄せて「…あたし…今夜…抱かれても大丈夫なような…気がする…
して…みる?」と恥ずかしげに囁き終ると顔を真っ赤にして僕の胸の中に逃げ込む様に飛び込んで来た。
そんな律子が愛おしくなり、そっと抱きしめ…
「ああ…してみる…」とそっと耳元で囁き、ギユッと抱きしめた。
その後、律子と手を繋いで函館市内を巡り、予約していたホテルへ入った。
今夜は久しぶりに律子を抱ける…そう思うと、何かワクワクして正直一緒に巡っても、どこか上の空って感じがした。
【まなみさん、お待たせ。
そうだね?そろそろ僕もしたくなっていたけど…内容が内容だっただけにちょうど良かったです。】
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