観念往生さん、こんにちは。
投稿ついでに、思い出深いものを二つ三つ聞かせて頂きます。
貴女にはちょっと刺激が強いかも知れないが、読んでいただけたら幸いです。
一人目の女は旦那と死に別れて、生活に困窮していた母と娘の二人家族でのこと。
籍には入れずに私の家に引き取って暮らし始めた。
娘が就寝した後に女を縛り上げて責める。
深夜なので娘の耳に届いてはいけないので音が出る責めは極力避けていた。
もっぱらセックスオンリー。まだ私も若かったので、夜が明けるまで何発もぶち込んだ。
娘の留守時には、敢えて娘の部屋の中で縛り上げて放置する。母親としての羞恥責めに泣かせた。そしてセックス。
何時に娘が帰宅して来るとも知れない部屋での緊縛行為に泣いて許しを乞うて来た母親。
時には、亡くなった旦那の遺影を前にしての緊縛行為とセックス。
その余りの非情さに、鬼を見る様な目で私を睨み据えて来たものであった。
そして私はとうとう実行してはならない事をしてしまった。決して許されない事をです。
この日、娘の留守時に、いつもの様に母親を全裸にして縛り上げ、柱に固定。
場所は居間、柱に立縛りにしての片脚吊りで大きく股を割っての羞恥責め。
そして開脚した股間、女陰の奥深くに特大のスリコギ棒を咥えさせて股縄で止めたのでした。
この姿を娘に見て貰うんだ。全てを知ってもらおう。
そうすればこれからは家に娘が居ても遠慮なく出来る。
いつでもお前を縛り上げられるんだ。それを聞かされた母親は余りの理不尽な言葉に泣きじゃくりました。
柱に繋がれた縄を千切らんばかりに暴れました。当然のことです。
私は用意の手拭いでキツイ猿轡を噛まして言葉を封じ込めたのでした。
そして娘の帰宅を待ちました。
この後の事は、想像にお任せします。修羅場になった事には言うまでもありません。
そして最終的には、ひとつ屋根の下で三人仲良く暮らす事となりました。
喜ばしいことに私は妻を娶りました。その娘と結婚したのでした。
私の妻となったからには、縄を受けなくてはならないのが妻の務めでした。
子供程に歳の離れた女を毎晩のように惨たらしく縛り上げて弄びました。
母親は、私に言われるままに娘への縄掛けを手伝って来ました。。
その他、家の中では食事もトイレも縄付きのままでの生活を強要しました。
食事は母親が介添えして娘に食べさせていました。
トイレ事情も母親の手を借りなければ後始末が出来ません。
その後、深く親交のあったSマニアの男性に母親の方は売りました。
金銭の遣り取りが有った方が、母親としてもそれなりの覚悟が出来るものと思ってのことでした。
そんな訳で、他人の男に払い下げたのでした。私も悩んだのでしたが、お金の魅力に負けました。
明日に母親が家を出て行くといった晩、母娘水入らずにして上げました。
勿論、二人とも全裸縄付きの状態で、娘の部屋に二人きり。何を語り合ったのでしょうか。
そうして朝を迎えたのでした。二人して泣き明かしたのでしょう、眼を朱く腫らしていました。
そしていよいよ別れの朝、全裸緊縛猿轡の身で、迎えに来た男に縄尻を預けたのでした。
男の車の後部座席に押し込められてドアが閉まった瞬間、緊縛された身で車ににじり寄って行きました。
と叫んでいたのか、その声はくぐもった声にしかなりませんでした。予め猿轡を噛ませて置いたのでした。
今にして思うと、なんとも非情な仕打ちをしたものです。不条理な男でした。
今から数年前の事、買われて行った女が亡くなったとの知らせを受けました。
果たして彼女の人生は幸せであったのだろうか、それは彼女にしか分からないことです。
私を憎みながら死んで行ったのではないのかと心が痛みました。
更に、最愛の妻も手放すに至った私なのでした。
素人が慣れぬ相場に手を出してしまい、莫大な借金を抱え込んでしまったのでした。
結局、借金の棒引きという成り行きで妻を売らなければならなくなったのでした。
人生で二人もの女を売るに至った私と言う男の末路は、畳の上で死ねる筈もありません。
そんな体たらくな私であるにもかかわらず、あろうことか再婚話しが持ち上がりゴールイン。
暫くの間は、私の性癖は隠しておいたのですが、ある日を境に縄を見せたのでした。
最初は強い抵抗を示しましたが、無理矢理に縛り上げて三日三晩縛り通しで体に教え込んだのでした。
今では立派なマゾ奴隷に仕上げました。この妻だけは手放さないつもりでいます。
次の投稿では、又新たな女との馴れ合いの話しをしたいと思っています。
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