過去の投稿を覚えてくれていた方がいて嬉しく思います。
早いものであれから二年の月日が流れました。
その後、大学を卒業した私は、現在社会人としてして世に出ています。
結婚はしていませんが、バツイチの女性の許で暮らしています。
あの夏の日の山奥の農家での一ヶ月間が、現在の私の生活の基礎となった事は言うまでもありません。
勇気を出して向かった一軒の農家。そこで出会った農家
夫婦。優しく受け入れてくれた私の頼みごと。私の趣味の性癖を理解し、快く良く受け入れてくれたご夫婦。
私の望みを全て実現のものにして下さった婦人。手慣れた縄捌きで私を縛って来る鮮やかさは、農作業から来ていたものなのでした。
60歳を超えた年齢を感じさせない力のこもった縄の使いよう。畑仕事で陽に焼けた腕。土に侵された手指。
それ等は、自然と共有する農業の厳しさが感じられるものがありました。
若くして現在のご主人のもとに嫁いで来てから今日迄、夫婦二人でこの山の奥地で農業に励んで来ているのでした。
着飾る訳でもなく、化粧もそこそこに、陽が上り暮れる迄、太陽と雨と風の中、只管に土を耕すだけの半生を送って来た婦人なのでした。
そんな彼女に対して夫であるご主人は、感謝の念でいっぱいであったとの事でした。
妻が望んで来る事であれば、何でも応えて上げる思いがあったとの事でした。
そのご主人の思いが、この日の私の願いと繋がったと言えるでしょう。偶然の出会いではなく、神が与えてくれた必然の様に感じられました。
若き日の婦人の写真を見せて貰いました。白い肌の中に整った目鼻立ちが美しく。例えるならば明眸皓歯とでも言うものでした。
見れば、日焼けした肌、年相応に皺の寄った顔の中にもその美しさの名残がありました。
ご主人の性格は温厚であり、畑仕事のみに喜びを見出しているといった働き者。夜の生活にも頓着であり、余り妻を構うこともなっかた様子でした。
婦人にしてみれは、嫁ぎし若い肉体を持て余しての四十年余りの歳月であったと、婦人より密かに聞かされれた私なのでした。
「こんなおばあさんで良いのかい。もっと若い女の人が良いだろうに。」「どうして縛られたりしたいんだい。」「変わった子だね、あんたって。」
そうしてその日から、婦人の縄掛けは始まったのでした。
最初は優しく縛ってくれていた婦人でしたが、日を追う毎にその縄掛けは厳しくなって行きました。
当初は遠慮がちに掛けていた縄でしたが、婦人自身にも興奮の色が見られて来ました。私の耳にかかる息遣いが、それを感じさせて来ました。
「ほらもっと腕を高く上げなさい。手首をしっかりと組んで。」
もうその言葉だけで、私の男の物は起立して脈を打っていました。
「あらあら、若いって裏山ましいわ、こんなに硬くして。男の子って、こんな風になるのね。あの人(夫)の物しか知らないから。」
その日は、全裸(いつももの事)での胡座縛りに固められた私なのでした。私が望んでもいなかった縄掛けに一瞬戸惑った私でした。
婦人は何処でこの様な縛りを覚えたのかと、私の前に屈み込んで両足首を縛っている婦人の表情をまじまじと見つめた私でした。
「お昼になったら戻って来て、ご飯を上げますからね。大人しく待っているのよ。」
そう言い残して作業小屋を出で行行った婦人の後ろ姿を見ていた私。その背中に思わず声を掛けた私なのでした。
恥ずかしさを押し殺して、猿轡をお願いしてみたのでした。身体の拘束にも羞恥といったものがありますが、猿轡となるとそれは別物でした。
婦人は一瞬困惑した様子で私を見下ろしていましたが、我に返った様子で、小さく頷いて見せて来たのでした。私の側に腰を下ろして来た婦人。
「さるぐつわ、、そんな物まで欲しいの、、何のためにするの、、。猿轡って、言葉を塞ぐ為の物よねー、、」不思議そうに首を傾げる婦人でした。
つまり、おばあさんの手でこうして縛られて、猿轡をされて、声も封じられておばあさんが戻りのをただじっと待っていたいのです。必死に説明した私でした。
「ああーそうだったわよね。アナタは監禁されたいと言っていたのよね。だから猿轡なのね。」
婦人の理解を得られた喜びに浸った私でした。ここまでは婦人の理解も得られたのですしたが、この後の私の理想の猿轡を言葉にするには相当な勇気が要るものでした。
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